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2007年12月アーカイブ
アボリジニの歴史を語らずしてオーストラリアを語ることはできません。静子さんに引き続き、まず長い歴史を持つ原住民、アボリジニに関することを紹介しようと思います。
初期の人類の歴史というと、石器時代(100万年以上前)のあたりからとなるのでしょうか。
「アボリジニがいつごろからオーストラリアに住むようになったのか」については残されている資料があまりに少なく、想像するしかないのですが、ヨーロッパ人がオーストラリア大陸にやって来た時(1770年)、初めて見たボリジニは、石製の道具を使っていたそうです。
そのため石器時代のままの生活を続けている原始民族という認識がありますが、二本足で歩行をし、道具を使い始めてからの歴史はオーストラリア以外の土地で進化してきた人類と同じだけ経過しているのですから、決して人類として未進化とは言えないでしょう。
オーストラリアという隔離された島の中で生活するのに必要なものや知識を使って進化して来た、実に大地に根付いた民俗ということになります。
文字を持たないアボリジニはコミュニケーションの伝達に絵を使っていました。木の皮や岩などに石を砕いた塗料を使い、独特な色使いと点や線を組み合わせた絵でさまざまなストーリーや情報を展開します。
精神世界を重んじる民族の特徴として、「体を伴った世界は仮のもので、眠っている間に見る夢の世界こそが本物である」としています。ですから、夢の中で得た大切なメッセージや、生活に欠かせない水や食料の情報を絵にして仲間に伝えるのです。
美香
【写真】アボリジニの描いたカンガルー(カカドウ-ナショナルパーク、Rock
Painting)
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透き通るような真夏の青空、街々に流れるクリスマスキャロル、半袖シャツや薄手のドレスを着てプリ・クリスマスランチを楽しむ人々、クリスマスの買い物客で賑わう商店街、ビーチで波とたわむれる水着姿の人々....オーストラリアの真夏のクリスマス風景です。
ここ真夏の国にもサンタクロースはやってきます。
赤い服に赤い帽子で(時にはウエットスーツで)サーフボードに乗り大波を巧みに乗りこなしながら南の方からやってくるユニークなサンタがいるかと思うと、膝に青い目の可愛い女の子や男の子を乗せて記念写真におさまりながら、その左手にはちゃっかりアイスキャンデーを握っているサンタがいたりで、暑い中、サンタさんも大変なのですね。
こちらは25日と26日がクリスマスの祭日で、この日に仕事をしているのは警官か救急病院の当直医ぐらいなものです。
敬虔なクリスチャンは25日の朝教会のミサに出席した後、家族や親戚などと一緒に香ばしく焼き上げた七面鳥の丸焼きローストなどのご馳走を囲んでお祝いをします。クリスマスケーキはブランデーをきかせた濃厚なフルーツケーキで、手作りする主婦は2~3カ月前から種を仕込むのだそうです。とってもおいしいけど体重が増えそう...。
また、暑い最中なので冷たいローストハムやサラダ、生牡蠣、えび、ロブスターなどのシーフードで祝う家族、あるいは広々とした緑の公園やビーチに繰り出して野外バーベーキューを楽しみながら祝う人々もかなりいます。
プレゼントも大きな楽しみの一つです。いえいえ、子供達ばかりではなく大人達もですよ。贈り物は親から子供への一方通行ではなく、親から子供へ、子供から親へ、夫から妻へ、妻から夫へと家族皆に贈られるのです。ですからこの日のために半年前からお小遣いを一生懸命に貯める子供がいたり、この時ばかりは、と妻や子供達や恋人へのプレゼントを熱心に選んでいる男性などほほえましい光景も見られます。
もう一つ、”クリスマス・イン・ジュライ”(Christmas in July)というのもあります。南半球が真冬になる7月に伝統的なクリスマスデイナーでお祝いをする人々がいるのです。それは七面鳥のロースト料理が冬に楽しむ料理である事や、ヨーロッパのホワイトクリスマスへの郷愁から7月にお祝いをするのでしょう。
オーストラリアが一年中で最も賑やかになるクリスマス、そのオーストラリアより愛を込めて~
We wish you a Merry Christmas!
静子
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ダーウインを出発してしばらく車を走らせていると、やがて左手に広大なカカドウ国立公園が見えてきます。
ここは野生のワニや野牛をはじめ珍しい動植物の宝庫で、ウランなどの地下資源が無尽蔵に眠っているといわれる原始そのままの自然地帯です。
寄り道をしてここに入り、その夕方池の側にキャンプを張ったところ、先行のオージーから「さっきその池で大きなワニを見たから気をつけるように」と警告され、その夜はこわごわ眠ったのでした。
翌日、寝不足のまま時速約百キロ前後で車を飛ばし続けていると、いつしか車は褐色の土ぼこりに覆われ、行き交う車もだんだんまれになり、やがてそれもほとんどなくなり、両側には一軒の家も店も見あたらなくなりました。見えるのは、ただ、ただ、荒涼たるブッシュと荒野のまっただ中に一直線にどこまでも伸びるスチュアート・ハイウエーのみになってきます。
そんな荒野の中のハイウエーを1000キロは走ったでしょうか。ただひたすらに走り続けるのですが、この頃になると乾燥と暑さで食欲も失せ、ただただ水が欲しくなるばかりです。道路も木も草もカラカラに乾燥し、日中の気温は40度をゆうに越えました。車の窓を開けると熱風が吹き込み、そして、時折、前方はるかににユラユラと蜃気楼(しんきろう)が見えたりします。
こんなところで車が故障でもしたらどうなるだろう....と、フッと不安が脳裏をかすめたりします。四方八方どちらを向いても眺め得るのは果てしなく続くブッシュと砂漠地帯です。そこには、「ロマン」と呼ぶにはあまりにもかけ離れた、過酷で厳しい自然の姿がありました。
極度の乾燥、真夏は50度にもなると言われる灼熱、塩基を含んだ不毛の土地、そして、延々と続く荒野と赤い砂漠。その厳しい自然によって内陸部は人間の文明的な居住を拒み続けてきました。しかし、よくよく観察してみると、この過酷な自然環境にも適応した動物や植物がいて驚かされます。
いや、動物や植物ばかりではありません。この内陸には2万年前とも4万年前とも言われる太古からの先住民-アボリジニが住み着いていたのですから…。
後記…2003年にダーウインとアドレイドを結ぶ大陸縦断鉄道が開通しました。
静子
【写真】果てしなく続く赤土の大地
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関西国際空港を飛び立ち一路南に向けて飛ぶこと9時間、現地時間に合わせるため腕時計を1時間早めると、やがてシドニー上空に達します。
天気の良い日は眼下にシドニー湾をかこむように広がる美しい町並みや、アーチ型のハーバーブリッジ、オペラハウスなどが見え、またこの時季だと南半球の
「桜」と呼ばれる薄紫色のジャカランダの並木なども眺められるかもしれません。
しかし、なによりもまず広大な自然に驚かされる事でしょう。シドニーの大都会でさえ緑の中にポツンと都市がひらけているようで、日本のマンモスビルが樹
立する間にちょこっと緑が見えるのとは、これも大きなあべこべの一つです。
オーストラリア大陸には、この大都市シドニーや、また、美しいヨーロッパの雰囲気を漂よわすメルボルンやアドレイドやパースなどの先進大都市がひらけている一方、その内陸には果てしない不毛地帯が横たわっています。赤土の国と言われるその内陸―それは実際に行ってみないと実感できないものかも知れません。
かなり以前の事になりますが、オーストラリア先端の町・ダーウィンから(進化論を唱えたチャールズ・ダーウィン所縁の地としてその名が由来する)オーストラリアの内陸中央部を縦断してシドニーまでの約4000キロを車で旅した事があります。
長い、長い旅でしたが、その体験はまさに「これが赤土の内陸なのだ...」と実感させられるものでした。
静子
【写真】ハーバーブリッジの向こうに見えるのがオペラハウス
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「水平線の彼方の国」kazuさん