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アボリジニの最近のブログ記事
移民が入植しはじめたころから、アボリジニの抵抗が始まりますが、近代の武器を相手に狩猟の道具です。1838年のMyall Creek の虐殺では、28人のアボリジニが死亡、その責任を問われた白人が処刑されました。が、その後も飲み水や食料に毒を混入させる行為やさらなる虐殺が行われ、記録には残されていないものの、その死亡数は1万人とも2万人とも言われています。
その間の白人の死亡数も3000人に上りますが、1870年には居住可能な土地はすべてイギリス人によって入植され、生き残った極めて少数のアボリジニは入植不可能とされた土地に住むことを余儀なくされたのです。
1869年から1969年にかけて行われた政策(俗に「StolenGeneration」と呼ばれる)は、崩壊寸前のアボリジニ文化にさらに追い討ちをかけます。どうやっても自分たちの文化(文明)を受け入れないアボリジニを改革するという名目で幼い子供達を親から引き離し、白人家庭や政府、教会が管理する施設に住まわせ、英語を教えヨーロッパ文化の中で育てたのです。
現在私が住んでいるシドニーの北地区のあたりもたった300年くらい前までは、たくさんのアボリジニが海からの産物を獲り木の実を集め、土地の神々に祈りを捧げて暮らしていたはずなのですが、そのことがかすかにうかがえるのは、このあたりに住んでいた部族の名前Cammeraygalが、街の名前として残されていることぐらいでしょうか。
オーストラリアには一年に一度、アボリジニに対して素直に謝ろうという日”National Sorry Day”というのがあります。残されたアボリジニたちも何とかして失われた自分たちの文化や言語を取り戻そうとしています。
限られた土地の中で、まったく違った文化をお互いに尊重しながら、平和に暮らしていくにはいったいどうすればよいのでしょうか?そんな質問を私達に投げかける日でもあります。
美香
【写真】世界最大のつり時計、グレートオーストラリアンクロックに描かれたアボリジニの子どもたちが親から引き離される様子(シドニーのクイーンビクトリアビィルディング)
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ヨーロッパ人がオーストラリアに上陸する以前のアボリジニ人口は、約25万人から100万人と想定されています。
彼らが砂漠の民であるという一般的な認識は間違いで、広いオーストラリア大陸の全土、つまり温暖な北部の海岸沿いから寒冷な山間部、南のタスマニア島まで、その土地に合った生活習慣をしていたようです。
特に海岸沿いや川沿いの土地には人口が多く、漁をしたり、植物を集めたりする習慣があり、砂漠に住む部族は乾いた土地で何十キロも離れた仲間と交信しながら狩猟をしたり、飲み水を探すすべを知っていたりするわけです。
その土地の風土に合った習慣を何万年にも渡って築き上げたのですから、慣れ親しんだ食べ物や守り神を離れ、そこ以外の土地で暮らすことは出来ないのです。
1770年にイギリス海軍のジェイムス・クックがオーストラリアの東海岸に上陸してから、アボリジニの歴史は大きく変わります。
イギリスから最初に持ち込まれたものは、今までオーストラリア大陸に存在しなかった、水疱瘡、天然痘、インフルエンザやはしかのような様々な伝染病だったのです。人口の多い海岸沿いの地区では、あっという間に病気が広がり大勢のアボリジニが死亡しました。
そんな状態のところへ、大量の開拓者が押し寄せて来て、自分達の水と食料の確保のためにその土地にいたアボリジニの部族を追い出したのです。開拓者達から見たアボリジニは原始民族であり、土地さえあればどこででも生活できると思ったのでしょう。
虐殺、性病のまん延で出生率は低下、開拓者達が持ち込んだアルコール、タバコ、アヘンに対して全く抵抗力がなかったアボリジニ達は現在でもその中毒症状のため苦んでいます。1788年から1900年の間にアボリジニの人口は約90%減少したと言われています。
初期の移民が到着する以前すでに、土地の肥沃な東南海岸のほとんどの部族はその存在すらも知られないままに消え去ったのです。
美香
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アボリジニの歴史を語らずしてオーストラリアを語ることはできません。静子さんに引き続き、まず長い歴史を持つ原住民、アボリジニに関することを紹介しようと思います。
初期の人類の歴史というと、石器時代(100万年以上前)のあたりからとなるのでしょうか。
「アボリジニがいつごろからオーストラリアに住むようになったのか」については残されている資料があまりに少なく、想像するしかないのですが、ヨーロッパ人がオーストラリア大陸にやって来た時(1770年)、初めて見たボリジニは、石製の道具を使っていたそうです。
そのため石器時代のままの生活を続けている原始民族という認識がありますが、二本足で歩行をし、道具を使い始めてからの歴史はオーストラリア以外の土地で進化してきた人類と同じだけ経過しているのですから、決して人類として未進化とは言えないでしょう。
オーストラリアという隔離された島の中で生活するのに必要なものや知識を使って進化して来た、実に大地に根付いた民俗ということになります。
文字を持たないアボリジニはコミュニケーションの伝達に絵を使っていました。木の皮や岩などに石を砕いた塗料を使い、独特な色使いと点や線を組み合わせた絵でさまざまなストーリーや情報を展開します。
精神世界を重んじる民族の特徴として、「体を伴った世界は仮のもので、眠っている間に見る夢の世界こそが本物である」としています。ですから、夢の中で得た大切なメッセージや、生活に欠かせない水や食料の情報を絵にして仲間に伝えるのです。
美香
【写真】アボリジニの描いたカンガルー(カカドウ-ナショナルパーク、Rock
Painting)
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「水平線の彼方の国」kazuさん