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2008年5月アーカイブ
この町に入る前に道ばたのミズーリ川の見える駐車場で休憩しているとフォード車に乗った男性が缶ビールを片手にご機嫌で話しかけてきました。
アメリカの生活や政治の話をした後に、これからどこまで行くかとたずねるので、アメリカはニューヨークまでだ、と返事すると、「ボストンを見なさい、ボストンはすばらしい、いい街だ」と繰り返し「シー・ボストン!!!」と重ねて言って去って行きました。
もう少しでアメリカ合衆国の横断も終わりますので、ここで一度横断ルートの地図をお見せします。
【写真】上からミズーリーの外輪船(1)、(2)、ミズリーの川にて、横断ルート
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東に向かうにつれて、歴史のある町を見かけるようになり、私たちからみるとヨーロッパ的な風景に近づいてきました。
ミズーリ州に入って泊まったマリエッタという小さな町は静かな落ち着いたたたずまいでのんびりした雰囲気でした。
【写真】マリエッタの町
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風景は大平原から起伏の多い地形に変化し、川や運河が増えて来ました。
数年前に小説や映画で話題になった「マディソン郡の橋」に出てきた屋根付きの橋もところどころにありました。
【写真】屋根付きの橋
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緑あふれる中西部のカンザス州をほぼ真東に。ここらあたりでは大都市のカンザスシティに入ると行くべき道が複雑になり町を出ることがなかなか難しくなってきました
うろうろしていると、ホンダ・ゴールドウィングという1500ccのオートバイに乗った男性が声をかけてくれ、郊外まで道を先導してくれました。
どこでも、どこの国でも、地元のひとびとは旅人に優しく温かいです。
【写真】親切なライダーと
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ご存知ですか、何万軒とあるアメリカ合衆国のモーテル何割かはインド人が経営していることを。
正確にはインド系アメリカ人と言うことになりますが、お金持ちのインド人が、どんどんアメリカのモーテルを買収してどこに行っても、マサラの香りのするモーテルができているのです。
ニューヨークに着いたときも、実際に宿泊したのは隣のニュージャージー州でしたが、たまたま入ったそのモーテルもインド人が経営をしていました。
モーテルもさまざまなところがありました。一応カンザス州周辺で宿泊したモーテルの写真をご紹介します。
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それはともかく、アメリカ横断中は、安くて快適なので、すべてモーテルに宿泊しました。
どんなに暑い日の砂漠の中の町のモーテルでも、凍える位に冷房がはいっていて、廊下の端には必ず無料の製氷機がおいてありました。
たまたま中西部のモーテルに入ったとき、レセプションで忘れようとしても忘れられない香り、マサラ。
カレーの臭いが…。
【写真】マサラの香りがするモーテル
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ちっぽけな島国の日本でも町外れや、すこし山には入れば簡単にどこでも安心安全にキャンプができるのにアメリカでは、どこまで行っても、鉄条網で仕切られた私有地ばかりでした。
それなりに旅の経験をしてきた小生には、日本では想像もできないし、しなかった風景です。
「私たちの旅」だったのですが、いままで、こんな情報はあまりなかったので、意外だったのです。
みなさんも、そう思いませんか。
あの広い大西部がどこまでも鉄条網で区切られているとは日本にいて思い至りませんでした。
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【写真】モーテルのパーキング
日本でも、外国でも、(結構危ない印象のあるアフガニスタンでも、イランでも、パキスタンでも、北アフリカのアルジェリアでも)、たいがいの国でほとんど大地にゴロ寝かキャンプの旅をしてきた小生にとって、意外なことに「アメリカ合衆国」は実にせせこましい国でした。
砂漠の西部も、緑あふれる中西部も、いたるところ鉄条網で仕切られた土地ばかりで、「立入禁止、入れば警察に通報する」といった看板が西海岸のロサンゼルスから、東海岸のニューヨークまで続いて、広くて狭い国だ、という印象です。
【写真】西海岸と東海岸の中間点
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私たちの大好きな、また、いつでもわれわれの旅の最終目的地のインドでは、牛たちはヒンズー教徒にとっては「神」そのもので、たいへん大切に扱われます。
道の真ん中などそこら中にウロウロ・ゴロゴロしている牛を自動車ではねて殺そうものなら、人間様の運転手が裁判で死刑になりかねない位の存在です。
同じ牛でも生かされる国によってはこれだけの違いがあります。
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【写真】カンサスの牧場(上、下)
西部の荒涼とした風景、ロッキー山脈の大森林や、所々見かけるようになった川や湖を抜けて、広大な草原、大牧場の広がるカンザス州に入ります。何キロも何キロも手前から、なんとも言えない臭気が広がって来ます。
大牧場です。
何万頭もの放牧された牛が、アメリカン・インディアンより豊かな緑の大草原の中で、放牧されています。
集荷場のあたりでは、言葉にできないほどの臭気があり、ハエもそこら中に飛び回っています。
ただ殺され、食べられるだけに太らされている肉牛たちは、私たちが牧場のフェンス沿いに止まっても、ふっと頭をあげるだけで、あとはひたすら草を食べるだけです。
【写真】カンサスに入る(上)と牧場
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広い国に散在する中西部の諸州では、それほど出会いはありませんでしたが、スーパーマーケットの駐車場でかわいらしいおばあさんがひょっこり話しかけてくれたり、自動車ばかりのこちらでは珍しいスクーターに乗った男性が声をかけてきたりして、時々の巡り会いを楽しみながら、私たちのオートバイはまだ、東への旅を続けます。
【写真】かわいらしいご婦人
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この周辺は、スキー場が多く、冬場はスキー客で賑わうようです。しばらく、ロッキー山脈の山中を走り、ふたたび麓に下がってゆくと山の西側とは対照的な緑の牧場、森林が広がり、西部からはなれアメリカ中部の豊かな牧草地帯に入ったことが実感できます。
大きな家が、ぽつんとあり、広い芝生はきれいに手入れされ、休みらしい一家の主人が日本よりずっと大きな芝刈り機に「乗って」芝生を手入れしていたりします。そしてどの家も玄関にはかならず星条旗が掲げられていて、私たちの想像するアメリカらしい風景です。
ときどき家の前がやたら広く直線に広がり道路でもない空き地をとってあるので不思議に思っていると、爆音がして、道路沿いのその空き地に軽飛行機が着陸してきました。滑走路だったのです。
家の前に滑走路があるとは日本人には想像もつきません。これ以後、庭先に停めてある飛行機や、あるときは事故なのか火災で燃えてすぐのような飛行機も、間近で見ました。
【写真】アメリカの農家
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チベットと自宅へちょっと寄り道してしまいましたが、アメリカ編へ戻ります。
ほとんどが砂漠のような荒涼とした風景が続くユタ州から、コロラド州に入りひたすら東へと走っていると、まわりに徐々に緑が増えてきて、草地が牧場に変わり、ときどき小さな湖が見えたりして、やがて前方にうっすらと雄大な緑の山々が広がって来ます。
カナダから連なるロッキー山脈です。さすがの高峰ロッキー山脈も、このコロラド州あたりになると、標高はかなり下がってきますが、それでも日本とは違う大きなスケールで、峠越えにかかると道路はゆったりとカーブを描きながら徐々に標高を上げ、高さ3、580mのウルフクリークパスで峠越えとなります。
【写真】雄大な緑の山々
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翌日午前7時ちょうど、ホテル前でキャメロンさんを乗せ、春野町の34番札所種間寺に行きました。
早朝なので参拝客は女性の二人組くらい。本堂の前で写真を取り合っていましたので、小生がシャッターを押してあげると、喜んでお礼を言ってくれました。
たずねると愛媛県新居浜市から来たそうです。
車に乗り、土佐市の35番札所清滝寺へ。たくさんのお遍路さんでにぎわい始めました。ここでまた先ほどの新居浜からの女性に再会。
あいさつを交わし、次の宇佐にある36番青龍寺へ。
参拝後、またも女性二人に再会。立ち話をして、「キャメロンさんと以前からの知り合いですか」、と問われたので、「昨日知り合ったばかりだが、自分も旅先でたくさんの人々にお世話になり、その人たちに直接にはお礼をできないので、機会があれば別の人に返すようにしている」と返事するとしきりに感心してくれました。
「今日はどこまでですか」、と聞くので、「ここまでで、後は須崎駅までキャメロンさんを送って帰る」と言うと、「私たちは、愛媛まで帰るのでよかったら足摺岬あたりまで、この方を乗せてあげますよ。」と言ってくれました。
キャメロンさんにそれを伝えると信じられないような表情をして、「私は何のお礼もできないです」と言い、何度もありがとうの言葉を繰り返していました。
お別れの時、用意していた少しのお金と母のお遍路姿の写真を渡し、「実はつい先日母が亡くなったばかりだ。母は元気なころ、何度も歩き遍路をして、いつもたくさんの人たちにお世話になったと言っていた。お遍路さんを見ると他人事とは思えない」と言うと、キャメロンさんも女性たちも涙ぐんでくれました。
お金は受け取れないという彼に、「母のために祈ってください、同行二人、一緒に歩いてやって下さい。」と言うと、拝んで受け取ってくれました。
きっと一緒に歩いてくれると思います。
よくお遍路さんへ接待するこころは、遍路に回れない人の代わりとして祈り、また歩いてくれているのだから、大切にと言われますが、まさしく私たちの思いそのものの、この2日間でした。
【写真】青龍寺にて(上)、青龍寺で新居浜の女性たちと(下)
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母の葬儀の翌日、実家から帰宅途中、五台山下のバス停で時刻表を見ている外人さんのお遍路を見かけ、一度通りすぎましたが、Uターンして声をかけました。
キャメロンさんという42歳の男性で、オーストラリア・ブリスベーンから数年前に来日し、会津若松市などおもに東北地方で英語教師をしていたそうですが、すこし時間がとれたので以前からしてみたかったお遍路に出たそうです。
32番札所禅師峰寺まで送り一緒にお参りしましたが、彼は歩くことにはこだわらず、バスや鉄道をつないで移動しているということです。
峰寺の参拝が終わり、一度私たちの部屋に来てもらい、コーヒーをご馳走。
できれば33番の雪渓寺にお参りしたいとのことで、納経所が午後5時に閉まるので、ついでに雪渓寺まで乗せていってあげました。
「今夜宿泊するところは?」とたずねると、「すでに高知駅前のコンフォート・ホテルに部屋を取り、ザックを置いてこちらに回ってきた。」とのことでした。
もう一日休みがあったので、「明日も案内しますよ」と言うとたいへん喜び、明朝7時に迎えにくると約束しました。
【写真】キャメロンさんと自宅で(上)、雪蹊寺のキャメロンさん(中)、土佐市で一緒に(下)
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私事ですが、3月に母が亡くなりました。心臓麻痺です。
1月1日元旦が誕生日でしたので、ちょうど満85歳でした。糖尿病を患っていましたが、おおかた元気でしたので、もう少し先まで生きてくれると思っていました。
いろいろとしんどいことがあったようですが、本人は我慢をしていたみたいです。
だれもいつか命は尽きますが、それまでは、何かを頼りに精一杯生きることはみな同じです。
ずっと自宅で洋裁をして家計を助けてきた仕事ばかりの人生でしたが、70才前後から歩き遍路を始め、そんなことをしたことがなかったので、これが大きな楽しみでした。
77歳の時、妻とと3人で富士山に登りました。
ツアーでしたが、父ともいい年になっても外国に何度か旅行し、最近の若い人たちよりずっとたくさん旅していたと思います。
数年前、庭先で転倒し、腰の骨を折って、急に足が弱り、杖を手にするようになってからも、楽しかった
そのころの思い出を嬉しそうに話していました。亡くなった、ちょうどその日の午後、兄が久しぶりで高知にいる母の妹の家に連れて行き、しばらく懐かしく話し込んでうれしそうだったし、帰り道は近くの春野運動公園の満開の桜の花を楽しんだそうです。
自宅に帰ると少し疲れていたけれど、これも久しぶりで近所のおばさんが訪ねて来てくれて話をした、楽しい最後の一日でした。
旅に生きている小生を訪ねて来た、たくさんの日本や外国の旅人を実家でよく世話をしてくれ、友人に知らせると、「おふくろさんには、お母さんには、本当に世話になった、なにかこころにのこる人だった」と口々に言ってくれ、日本に2度呼んだことのある、ドイツのエリカさん(この女性ももう84歳です)も電話で知らせると、びっくりし、涙を流してくれました。
台湾に出張中の友人は40年前に世話になったことをいまでも覚えているとメールをくれました。
ただの田舎のおばあさんだけれど、たくさんの若い人にも好かれ、好きなことをして、いい人生だったと思います。
まさしく桜の季節にふさわしい西行さんの歌のように逝きました。
「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」が頭に浮かんできて、母の思いもその通りでしょう。
考える暇がないくらい、あっさり逝ってしまいましたが、いつも小走りで「へんしも、へんしも」といつも急いでいましたので、母らしいと思います。
いまごろは、にっこり笑顔で文字通り、お大師さんと同行二人、のんびりと次の人生を歩んでいると思います。
【写真】世界旅から帰ってきて母と(上)、遍路している最中の母(下)
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また、日本人の旅人はトヨタのランドクルーザーをチャーターしてチベット側エベレスト・ベースキャンプ経由、同じくネパールのカトマンズまで。
*写真「旅する日本人」2枚
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最後に、旅する人たち旧ソ連のチェコ侵入に抗議し、亡命したチェコ系ドイツ人ジャーナリストのピーターさんはラサからネパールまで、自転車で取材を兼ねた旅立ち。
*写真「ピーターさん」2枚
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