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出会いの最近のブログ記事
広い国に散在する中西部の諸州では、それほど出会いはありませんでしたが、スーパーマーケットの駐車場でかわいらしいおばあさんがひょっこり話しかけてくれたり、自動車ばかりのこちらでは珍しいスクーターに乗った男性が声をかけてきたりして、時々の巡り会いを楽しみながら、私たちのオートバイはまだ、東への旅を続けます。
【写真】かわいらしいご婦人
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翌日午前7時ちょうど、ホテル前でキャメロンさんを乗せ、春野町の34番札所種間寺に行きました。
早朝なので参拝客は女性の二人組くらい。本堂の前で写真を取り合っていましたので、小生がシャッターを押してあげると、喜んでお礼を言ってくれました。
たずねると愛媛県新居浜市から来たそうです。
車に乗り、土佐市の35番札所清滝寺へ。たくさんのお遍路さんでにぎわい始めました。ここでまた先ほどの新居浜からの女性に再会。
あいさつを交わし、次の宇佐にある36番青龍寺へ。
参拝後、またも女性二人に再会。立ち話をして、「キャメロンさんと以前からの知り合いですか」、と問われたので、「昨日知り合ったばかりだが、自分も旅先でたくさんの人々にお世話になり、その人たちに直接にはお礼をできないので、機会があれば別の人に返すようにしている」と返事するとしきりに感心してくれました。
「今日はどこまでですか」、と聞くので、「ここまでで、後は須崎駅までキャメロンさんを送って帰る」と言うと、「私たちは、愛媛まで帰るのでよかったら足摺岬あたりまで、この方を乗せてあげますよ。」と言ってくれました。
キャメロンさんにそれを伝えると信じられないような表情をして、「私は何のお礼もできないです」と言い、何度もありがとうの言葉を繰り返していました。
お別れの時、用意していた少しのお金と母のお遍路姿の写真を渡し、「実はつい先日母が亡くなったばかりだ。母は元気なころ、何度も歩き遍路をして、いつもたくさんの人たちにお世話になったと言っていた。お遍路さんを見ると他人事とは思えない」と言うと、キャメロンさんも女性たちも涙ぐんでくれました。
お金は受け取れないという彼に、「母のために祈ってください、同行二人、一緒に歩いてやって下さい。」と言うと、拝んで受け取ってくれました。
きっと一緒に歩いてくれると思います。
よくお遍路さんへ接待するこころは、遍路に回れない人の代わりとして祈り、また歩いてくれているのだから、大切にと言われますが、まさしく私たちの思いそのものの、この2日間でした。
【写真】青龍寺にて(上)、青龍寺で新居浜の女性たちと(下)
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ここの砂だらけの駐車場にアメリカでは珍しいバイク、イタリア製のモトグッチが止めていて、ナンバープレートがアメリカのではなかったので、気になり近くでしばらく待っていると、持ち主が戻ってきたので話しかけるとオーストリアの北部グラーツからきたピーターという青年でした。
休暇中でオーストリアからわざわざこのオートバイを持ってきて、私たちと反対にニューヨークから、ロサンゼルス方面に向かっている途中でした。
われわれが、このアメリカ横断後、ヨーロッパに渡る予定だというとぜひオーストリアに来たら、家に寄ってくれとアドレスを渡してくれました。
いつも旅人はやさしく、ありがたいです。
その後、ヨーロッパを走り、オーストリアのザルツブルグやウィーンには行きましたが、残念ながら彼の家には寄ることができませんでした。
しかし彼はエアメールをわざわざインド・ニューデリーの日本大使館気付で出してくれており、その後彼は西海岸サンデェゴから北上し、アラスカのバンクーバーまで走ったそうです。
夏場日中でも摂氏6度、オートバイの旅には非常に寒い気候だったけれど、自然はスケールが大きく、美しかったとのこと。
しかし、バンクーバー近郊で路面に漏れていたオイルに乗り上げオートバイが転倒してレバーが破損、エンジンオイルもシールから漏れだして大変だったそうで、いつでもオートバイ乗りは転倒の危険と背中合わせで、手紙を読んだときは、他人事ではありませんでした。
ライダーはよく「次のカーブの先には何が待っているか、誰も知らない」と言いますが、これは人生に重ね合わせても言えることです。
たくさんの記念写真を撮り、十分に「モニュメントバレー」の大自然を楽しんだ後、また、私たちは田舎道を東にとり走り始めました。途中にはいつ見捨てられたのかわからない古い時代(新大陸アメリカにしたら)の交易所「トレーディング・ポスト」が、ところどころにあり、人々の西部を目指した頃の賑わいや、その生活の厳しさがしのばれました。
【写真】古い時代の交易所
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砂漠の中の道をひたすら走っていると、やがてそそり立つ岩山が左右に見えてきます。針のように尖った岩山、あるいは台形状になった岩山、さまざまな形状の岩山の風景が広がって、道はそのふもとに導かれて行きます。
最近でこそ、特に取り上げられることはないようですが、往年のいわゆる「西部劇」映画では、かならずと言っていいほど、撮影の舞台として出てくる場所がこの「モニュメントバレー国立公園」でした。
昔映画の中で見た風景が、当然のことですが、雄大なスケールで目の前に広がっていて、はるばるここまで走ってきて、今その中に身を置いていることを実感でき大きな感慨がありました。
有名な観光地にもかかわらず、それほど人出は多くなく、全般的にやはり西部でもこんなところは、なにもないので東部の観光地に比べるとどこも最果ての地、というイメージが強く閑散としており、緑も便利な町も近くにはないので無理もないかという感じでした。
【写真】モニュメントバレー
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アリゾナ州北部、ユタ州に近い「チュバシティ」にたどり着きました。
ここも渇ききったメサの間の盆地にある街で、はずれに二階建ての四角な建物の唯一のモーテルがありました。旅行者はほとんどいないのか、うらぶれたところで、部屋もドーミトリー(相部屋)で男女別々となっていて、別にあるシャワー室は、なぜかやたら広く、いくつもシャワーの小部屋が並んでいました。
食堂はないので、持っていたパンと少しのチーズで食事を済ますと、窓の外、はるか彼方に黒雲が広がり、ゆっくりとこちらに向かって来ていて大荒れの模様、もしかしたらアメリカ中西部で頻発する竜巻が接近しているのかな、と少し心配をしておりましたが、見ていると幸い別の方角にそれて行きました。
次の朝、モーテルの駐車場でオートバイに荷物を載せ、出発の準備をしていると、どこから歩いてきたのか、インディアンの初老のおじさんが一人近づいてきて、「シャワー?、シャワー??」と私たちの耳元で小声で尋ねるのです。
よく見ると手には小さな石鹸とくたびれたタオルを持っていて、サンダル履きでした。なんだかよくわからないので、モーテル内のシャワー室の場所を教えてやると、にやっと笑って、「サンキュウ」と言い、中に入って行きました。
この近所に住んでいて、勝手にモーテルのシャワーを使っているのか、こんなほこりだらけの土地ならシャワーはありがたい、気持ちのいいものだろう、しかし、家にシャワーくらいないものだろうか、モーテルの人に見つかったらどんなことになるんだろう、 など、あれからずいぶん時間が経ったいまでも時々思い出して、「シャワーのおじさんは?」と裕美と二人して話すことがあります。
そんなこんなの変な町「チュバシティ」にお別れし、ひたすら北上、岩山がそこら中に点在するゴツゴツとした地形に変わり、大きな岩の上に、平たい岩が乗っている「メキシカンハット」というそのものの名前が付けられたものなどを見ながら、やがて風景はまた視界が開け、砂漠がどこまでも広がって、その中に台形や、とがった形の巨大な岩山が遠くに見える、感動的な眺めに変わってきました。
これが、西部劇で名高い「モニュメントバレー」です。
【写真】二階建てのモーテル
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モニュメントバレーに向かう直前に、一度40号線からはずれ、アスファルトで舗装はしているが、荒野の中のごつごつの道を数十キロ南下。
特に行く予定はなかったのですが、砂漠の中に開いた大穴を見物に行きました。昔、頭の片隅に残った記憶が時々蘇ってくることは、誰にでもあると思いますが、私にとってのこの場所は数十年前に見た、何かの本の記事に載っていた写真で、覚えている記憶の一部でした。
その土地の名前は「メテオ・クレーター」。約5万年前に数十万トンの大隕石が時速6万キロ以上の高速で地球に激突、直径1.3キロメートル、深さ200メートルの大穴が開き、まるで月世界のような景色を残しています。ここはアポロ宇宙船の乗組員が月面着陸の訓練をしたことでも知られています。
地球の歴史から言うと最も新しい隕石のクレーターと言われています。
ほとんど車の通らないがたごと道にハンドルをとられながら、南に向かうとはるか彼方に小高い丘が見えてきます。到着し、ふもとにある駐車場にオートバイを置いて急な坂を登りきると、目の下に巨大な穴が広がっています。
穴の底、中心まではずっと遠く、昔隕石そのものを発見しようと調査した人々がいたとのことで、そのあたりに発掘に使ったやぐらなどの古びた設備が残っていました。
頂上から隕石口の外側をぐるりと眺めると、周囲に人家や町も森林も、何もなく、ただこの隕石口が穴を開け、砂漠にぽつんと残っているだけの光景は、写真で見た月の世界そのものでした。
地面に激突した衝撃のエネルギーでこの大穴があき、私たちの立っているあたりの外周ははほとんど山のように盛り上がっていて、自然の驚異を実感しました。
観光客はあまり多くなく、ぽつぽつといったところ。グランドキャニオンほどの知名度はないのでしょうが、私たちには、おもしろいところでした。
十分に大自然の力を目にした後、ふもとに下り、もと来た道をまた、北にたどって田舎道の99号線に入り、精霊伝承やさまざまなメッセージの「アメリカ・インディアンの言葉」で知られている先住民族ホピ族の居留地に入ります。
日本からみると面積は広大ですが、どこまで行っても渇いた大地です。そんなに神秘性は感じませんが、ときどき、空き家となったうらびれた人家がぽつんとあり、まるで一昔の西部劇の場面に出てきそうな木造の小さな教会が、何にもない道端に倒れそうになりながら建っていました。
このあたりはさびしい様子がいっそう強い印象で、ほとんど車も通らないせいか、道路標識やときどき見かける道端の錆びた看板に銃弾のあとがやたらあり、穴だらけでした。
退屈なドライブの途中、気分転換に積んでいる散弾銃かライフル銃をぶっぱなすのでしょうか。日本では絶対に見かけない風景でした。
平坦な大地に、谷が現れ、そのずっと向うにテーブル状の台形の山がいくつも見えてきます。
この周辺に点在する「メサ(台地の意味)」です。そちらに向かうには結構深い谷底に、アメリカにしたら悪路と言うような砂交じりの狭い坂道を転がるように下って行き、谷底に着くと、また急な道を登って行きます。
台地の上にはホピ族の人々の小さな集落があり、砂埃が舞っています。集落の中にこじんまりした日本のコンビニくらいのスーパーマーケットがあり、入ってみると閑散とした店内は商品も少なくぱらぱらとあるだけで、この居留地の厳しい生活を思わせます。
コーラやパンを買い、店の外に出ると、隣のメサの上は黒雲に覆われ、雨が降っている模様です。
オートバイの旅で一番困るのが雨や風です。店の前に止めたオートバイにシートカバーをし、軒先で近づいてくる雨雲を見上げていると暇なのか店内から主人のホピ族の男性が出てきました。旅の話しなどをして、「オートバイの旅では、雨が一番の悩みだ」と言うと、空を見上げ「われわれにとって、雨ほど大切なものはない。雨はわれわれの生命で、天の神々からの大切な贈り物だ。」と答えました。
ほとんど雨の降らない砂漠に生きる人々の切実な思いです。毎年台風などで水害のでる日本人には想像できない厳しい自然の現実を実感しました。
【写真】最も古い隕石のクレーター
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通関手数料金を払い込みに他の窓口に行くと、なんとそこの係員はこちらに20年ほど住んでいる中年の日本人の女性でした。オートバイを受け取ることと、これからの旅行の話しを少すると「本当にうらやましい。この国でも仕事はけっこう厳しくて、休みもなかなかとれず、夏休みは一週間位」と言います。
「日本からみれば、毎日きっちり仕事をし、あとは好きなことばかりしているのがアメリカ人の生活と思っていましたよ」と言うと、「なかなかそんなふうには行きません。お二人のそんなすばらしい旅行がうらやましい限りです」との感想でした。
彼女から「長い旅行です、病気やけがに注意して無理せず行って下さいね。」と温かい言葉を贈られました。
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