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ブラジル在住のカメラマン、楮佐古晶章さん(高知市出身)が、ブラジルの毎日を活写。

 

world: 2009年1月アーカイブ

reisi 初めてライチを食べたのは、ブラジルに来る直前に横浜の中華街でだった。

友人から、「楊貴妃が好んで食べた果物だよ」という話を聞き、1個の冷凍ライチをゆっくり味わいながら食べた覚えがある。冷凍のライチは、ほんのり甘く、その上品な味に感激したものである。

インターネットで調べてみると「唐の玄宋皇帝がその妃「楊貴妃」の機嫌をとり結ぶために、長安から嶺南までの数千百里を8日8晩でレイシを伝送し、そのために多くの人馬が犠牲になった」というのが楊貴妃とレイシの故事である。

この故事からわかる様に、レイシは非常に鮮度保持が難しい果樹なのである。樹上になっているときは果皮が鮮赤色をしているのだが、収穫して1日もすれば色があせてきて茶色になってしまう。そのため古くから乾果として食されたり、缶詰、瓶詰めといった加工品が利用されてきた、とある。

サンパウロでもここ数年、ライチが出始めるようになった。日本人がもちこんだのか、中国人が持ち込んだのかわからないが、ブラジルの気候と土地があったのか、毎年11月ごろになるとリベルダーデの日本食材店で見かける。

今年のライチは豊作だったようで、出始めがイチゴパック1箱が7レアルほどしていたレイチも今や1.9レアルである。息子に変わったものを食べさせてあげようと7レアルも払ったのが今ではばかばかしいくらいである。随分前に食べさせたときは、あまり好かなかった彼も今回はやっと味がわかる年齢になったのか、気に入ってよく食べた。

僕自身も大好きで軽く一パックは食べてしまう。皮が硬く、種の周りについたうす透明の実が少しなので食べるのが非常に面倒くさいが、後をひく味なのである。ついつい食べてしまう。値段は高めであるが、種の小さな品種もあるようだ。

ライチは非常に発芽力が強く、土に埋めると簡単に発芽する。大きくなるまで育てことはないが鑑賞にも堪えられるそうなので、ライチを食べた後、植えてみようと思っている。
この間、大型スーパーでも見かけたので、これからはブラジル人の間にも浸透していくであろう。リンゴのフジのように、ライチもブラジルの果物だとブラジル人が言うようになるのも近い。

【写真】イチゴパックに入ったライチ。最安値2レアル(100円)。これ以上安くなるのか? スーパーでも売られるようになりブラジル人の間にも浸透してきた

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dotoku 「あなたはブラジル人が嫌いなんでしょう」

突然彼女にそういわれて、とっさに返す言葉がなかなった。

はっきり言って嫌いである。ブラジルに来てから最初の数年の、ほとんど表面的にしかつきあっていなかったころは、ブラジル人はみんな陽気で、屈託がなくて親切で、と思っていた。

僕自身もあまり言葉が理解できず、ブラジル人たちも僕のことを外国人として扱ってくれていたのだと思う。その当時、周囲の日本人からブラジル人は信用できない、してはいけない、ということを山ほど聞いて、本当にそうなのかな、と軽く考えていた。

その後、ブラジル人と一緒に働くようになって、やっと知人たちがいうことが解ってきた。陰口ばかりで、人の足をすぐにすくおうとするし、執念深い。今までのイメージが一変してしまった。もちろん数少ないが、信用もでき、本当に尊敬できる人間もいる。

いつも写真の現像を頼んでいる写真屋で、「ブラジル人は信頼できないから、本当に大切な仕事は任せられないんだ」、という話を聞いた。なるほどな、と思った。

もちろんできるやつはたくさんいるだろうが、最終的な信用はできないのである。失敗やヘマをすると、うだうだと言い訳をしてするりと逃げてしまう。そういうことが解っていると本当に重要な仕事は任せられない。

じゃあー、なんでブラジルに住むの? と言われそうであるが、やっぱりブラジルが好きなんだと思うし、日本人も大なり小なりブラジル人と同じだと思う。そして何より、こんなブラジルが僕にあっているのだと思う。

ブラジル人の身勝手さから、またひとつ問題が発生した。頭が痛い。でもなんとなく慣れてしまって以前ほどは頭を悩ますことがなくなった。

【写真】ブラジル人に規範や道徳について要求するのは難しい事?

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gakuseiundo 街を散策していると、テアトロムニンシパル(市営劇場)の前の方が騒々しい。何をやっているのかと見ると、学生風の若者たちが集まって、行進をする直前だった。

前列にピエロの格好をした若者たちがいて後ろには打楽器隊、そして最後にプラカードを持った若者たち。ピエロと打楽器隊がいるところが、ブラジル的で面白い。

それでも周囲には警察がきて、大きな騒動にならないように監視している。プラカードには値上げ反対などの文句が書かれているので、最近の公共機関の値上げに反対する行動なのだろう。

1週間前にも同じような行進をみたが、テレビでは一切報道されていなかった。せいぜい200人程度だから見捨てられたのかもしれないが、僕自身ブラジルでこうした学生運動を見たのは本当に少ない。

これほど貧富の差が激しくて、どうして人々は反対運動をしないのだろう、といつも思っていたが、ブラジルに長く暮らして少しずつその理由がわかってきた。

その理由のひとつには、ブラジルは食べ物が豊富で安いので貧乏でも生活できる。貧乏人が多いのでそんなに極端な劣等意識を持ちづらいこと、そしてブラジル人の特性の大雑把で楽観的な部分が大きいと思う。それでも軍政時代の末期には、日系人も参加して学生運動もあったようだ。

考えは飛躍するかもしれないが、今の貧富の差などに対する反対運動のひとつが、リオの麻薬組織や、サンパウロのPCC(麻薬組織)のような気もする。PCCの組織の発端はもともと左翼系の人間だったという話も聞く。

行進に参加している数人の学生はそれでも結構顔が強張っていた。お遊びのような行進であるから、連行されたりすることはまずないだろうが、人が集まれば何が起こるかわからない。

写真を撮られて、今後のデーターとして残される可能性もなしではない。リスクがまったくないわけではない、そんなことを考えながら写真を撮っていた。今の日本で学生運動をやろうなんていう気骨のある学生がいるのだろうか?? いないとは思わないが、本当に少ないと思う。


【写真】後方部隊は結構真剣な表情。中の一人は写真を撮ろうとすると顔を伏せた。ブラジルでも取り締まりが厳しい?

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syuri 物事がうまくいかず、イライラする毎日が続く。本当はこんなとき掃除をすれば良いのだろうが、掃除は大の苦手で、結局余計イラついてしまうので、ここ数日は今までやったこともなかったアパート修理をしている。

まず、ドアに新しく錠前をつけた。ドリルで穴を開けてドアに錠前を埋め込むのであるが、これが以外に難しくドアの表側に穴が開いてしまった。その穴も石膏で塞いなんとか完成。やはりいざやってみるとなかなか難しいものである。

続いて、落ちたタイルの貼りなおし。修理人に貼り方、セメントの練り具合を聞いていたので、見よう見真似でこれもなんとか90%を貼り終えた。しかし、細かいところを見るといかにも素人がやったということがすぐわかる程度のでき。でも、自分では十分満足している。少しずつ自分のアパートが住みやすくなっていくことに喜びを感じている。

ブラジルの貧乏層の人々は、13か月分(日本のボーナスのようなもの。1年働くと、12月に給料とは別に1か月分の給料と同じお金をもらえる)をもらうと、建築資材を買う人が多いとニュースでやっていた。彼らは少しずつ資材を買い自分で家を建てているのである。

アパートのわずかな修理でさえもきれいになると、喜びがあるのであるから、家が出来上がったときの喜びはまたひとしおだろう。いつか自分で家を造ってみるのもいいかもしれない。

【写真】マナウスの浮かぶ家。周囲には1軒の家もない。住みたいところに行ってすめる、こんな家もいいなー。(撮影協力 ATSTUR) 

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bufo 「昼は、私はいないから、昼ごはんを作ってね」と彼女に頼まれていた。

「今日は僕がご飯を炊いたんだよ」と息子が誇らしげに言ったことが頭に残っていたので、息子に気軽に「ご飯を炊いててよ」と電話で頼んだ。

アパートに着くと、ご飯粒がいっぱい、床にこぼれていたのでなんとなく嫌な予感があった。息子の様子も何かおかしい。問い正すと、

「釜を使わずに、機械にそのまま水とご飯をいれちゃった」と申し訳なさそうにいう。

思わず、かっときた僕は「ブーフォ(まぬけ)!」と息子に言ってしまった。

ブーフォとはポルトガル語でロバの意味で、失敗したときや、まぬけな行動をしたときになげつける言葉である。できるだけ人には使わないように、とくに子供には使わないように気をつけていたのだが、頭に血が昇ってしまい口に出してしまった。

この炊飯機は3つ目、日本に帰る人に安く譲ってもらったものでおいしく炊けるので気に入っていた。2つ目は、以前いたお手伝いさんが、水洗いしてしまってやはりおしゃかになってしまった。ブラジルでは炊飯機はまだ一般化していないので、買うとなると結構高い。

ふとゴミバコを見ると、たくさんのお米が捨ててある。「これはどうしたのだ」と聞くと、「二人分作ろうと思って入れすぎたから捨てちゃった」と半分ベソをかきながら息子はいう。

ブラジルの、安くて豊富な食べ物のおかげで僕自身も無理に食べるようなことをせずに、食べ物を残したりするようになっていたが、どちらかというと古い人間に属する僕は、食べ物を、とくにご飯を粗末に扱っているのをみると頭にくる。

子供の頃、ご飯を残すと、母親に「農家の人たちが一生懸命ご飯を作っているのだから粗末にしたらだめよ」と怒られたものである。白いご飯が捨てられているのをみて、引きかけていた血が再び頭に逆流した。

「ブーフォ(まぬけ)!」ますます息子はしゅんとしまった。

「このご飯は、おまえが洗って、今日の夕飯と明日食べるんだ」というと、「どうやって洗えばいいの?」と聞いてきたので、再び「ブーフォ(まぬけ)!頭を使え!」 最近ませたことをいうようになっていたので、だいたいのことはできると思っていたのが間違いだったのだ。まだまだドジな9歳の子供だったのである。

料理を作るときは、いつもできるだけ手伝わせるようにしていたし、何かをするときは実際に見せるようにしていたのだが、今後は実際にやらせなければと実感した。

頭が冷えると「ブーフォ(まぬけ)!」と息子にののしったことを深く反省した。ふだん、できるだけこの言葉はで人に使わないようにしているのだが、ついカッしてしまい使ってしまった。以前友人に「子供はできるだけ、いいところを見つけて、褒(ほ)めて育てるのが、子育てのコツですよ」と言われたことを思い出した。

夕方、また何かドジなことを息子がしたのだろう。母親が「ブーフォ(まぬけ)!」と罵った。彼女自身が僕にこの言葉は悪い言葉だから使うな、と常日頃注意しているくらいだから滅多に彼女がいうのを聞いたことがなかった。だから意外だった。

「今日は、二人から「ブーフォ(まぬけ)!」っていわれちゃった」と言って息子はしょげていた。それを聞いて、思わず、変な意識を植え付けなかったらいいがと心配してしまった。どこかいいとろこを見つけて褒めてあげなくては!

今後、「ブーフォ(まぬけ)!」は使用厳禁の言葉とする。

【写真】夕方から大雨になった。たくさんの床上浸水の被害が出そうだ。サンパウロは無理な都市の拡がり方をしているので、自然災害には非常にもろい。

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kisetukan サンパウロに暮らしてもう15年になるが、どうも僕は季節感に対して鈍いようで、いまいち季節がよくわからない。

テレビのニュースなどでは、「もう春になりました」、「秋です」なんてことをいっているのだから、パウリスタ(サンパウロっ子)は四季の移り変わりをちゃんと感じている? のだろう。

もちろん、僕にも冬と夏くらいはわかるがその間の秋、春などはピンとこない。気がついたら夏になっていた、冬になっていたという感じである。

ひとつには、近年の異常気象などもあるが、標高800m近いサンパウロは1日に四季を味わえるといわれるくらいだから、僕には余計難しい。

日本だと、春には菜の花が咲き乱れ、秋には紅葉、夏のスイカに初カツオ、秋の柿と栗というふうに自然や食で季節感を感じられることができるが、日本の23倍もあるブラジルではどこかかしらであらゆる食材が収穫されているから、国内の果物や野菜が簡単に入手できるサンパウロでは食という面から四季を感じるのは意外に難しい。

外国で年齢を重ねるに連れ、季節を感じようとする気持ちが僕自身薄れてきたようだ。サンパウロにも、春の羽蟻や新緑、夕のスコール、夏のイカなど、四季の特徴があるのだが、「あれ、もうイカの時期か、雨の時期か…」毎年そんな感じである。

だから、「スコールの季節はいつ? マンゴーの季節は?」と問われてもいつも答えられない。

考えてみれば、今まで生活に精一杯で、季節を注意してあまり見てこなかったような気がする。こうやって見ていると、サンパウロの四季もまんざら捨てたものではない。これからは、もう少し気持ちに余裕をもって生きていきたい。

【写真】初夏のサンパウロの夕はスコールが多い。雨の多い日はゴミの回収人も大変である。

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rogo 父が亡くなったこと、そして老人と接触する機会が増えたせいか、自分の老後について考えることが多くなった。

毎週日曜日、カラオケ・ダンスの会場に行って、写真を撮らしてもらっている。人見知りが激しい僕にとって毎週会場に行くのは、結構つらいときもあるが、人生を重ねた人達を見れるのはひとつの楽しみでもある。

彼らを見ていると、よく食べて、よく踊る。平均年齢は65歳を超えているそうであるが、とてもそうは見えない。この会場では昼食ついており、セルフサービスになっている。
男性も女性も食べること、食べること。お皿にてんこ盛りを平らげてしまう。痩せた上品そうなおばあちゃんもそうであるから驚いてしまう。たくさんの仲間といると食欲が沸くのだろうか?

異性との交流をひとつの目的にきているから、みんなきれいに着飾っている。30年、40年前はさぞかし綺麗だったろうな、と安易に想像がつくおばあちゃんがひらひらの、真っ赤なスカートをきていたり、会場は結構色っぽい雰囲気にあふれ、みんな生き生きとしている。

時には異性問題があったりするそうで、そんな色のある話を聞いていると彼らの活力の強さを感じてしまう。

多くの人は、踊りに習いに行っているそうであるが、炭坑節でルンバを踊ったり、独自の踊りで踊る人がいたりと、何でもありなところが移民の人たちらしくていい。

「移民当初は大変だったけど、今は、ここでこうして踊ることができて楽しいよ。日本にもこんなところないだろう」とあるおじいいちゃんがにっこり笑った。

見ていてほっとするようなやさしい顔をしたおばあちゃんがいるかと思えば、いかにも頑固そうな、むすっとしたおじいちゃんもいる。その人の人生が顔に出ているのだと思う。
できれば、いつもニコニコしたやさしい顔になりたいと思うが、今の感じからすれば、僕はきっとむすっとした顔のヘンコツ爺になるのだろうなと思う。

【写真】僕も老後をこんなに楽しめるだろうか?

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musukot ニンジャは、茶色いダックスフンドで、購入したときには多分4ヶ月を過ぎていたのではないかと思う。日本だと処分される大きさであったから、僕も買うのをちゅうちょしていた。

息子に「本当にこれでいいの? 前のペットショップの小さい奴がいいんじゃないの」と聞いたが、彼はニンジャが気に入ったらしく、「これでいい」といいはるので購入することにした。

ニンジャという名前は、息子が生まれる前から飼っていた、ドーベルマン・ピンチャーの名前で、初代ニンジャは今年老衰?で死んでしまった。本当は彼に名前をつけさせようと思っていたのだが、どうもパッとしない名前ばかりなので、「もう、ニンジャ」にしようということで僕が決めてしまった。

ニンジャは、頭がいいのか悪いのか、イマイチよくわからない犬で、名前を呼んでもこないし、とろいし、子犬としての愛想がないのである。一度、公園に連れて行くと、しばらく息子の後ろをついて歩いていたが、人が通り過ぎると、その人の後をついていくといった調子である。

僕もこんなアホ? な犬を飼ったのは初めてである。さすがに息子もこのときは呆れたようで、ちょっと哀しそうな苦笑いを浮かべていた。そのくせ寂しがり屋で、独りになるとキュンキュンないてうるさい。ペットショップでもショロン(泣きん坊)と呼ばれていた。しかし、その妙に物が解ったような顔つきと、身体に似合わない太くて短い足が、滑稽で憎めない。

だんだん悪さをはじめ、息子に対する態度も悪いので、インターネットで犬のしつけ方を調べて息子に伝授した。それで大分ましになったが、まだまだである。飼ったのが遅かったせいか、もともと間抜けな犬なのかよくわからないが、それでも息子はニンジャのことが大好きなので仕方がないかと思っている。

【写真】こんなに人に愛想をふりまかない犬も珍しい。我が道をいくといった行動をいつもとる愛犬ニンジャと息子

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