
2011年8月アーカイブ
人間は空を飛ぶことにあこがれてきました。
飛行機を発明することで、その夢は、かないました。
初めて航空機に乗った時の感動は、今も忘れがたいです。
雲海を下に見下ろし、太陽の光を浴びる。
はるかかなたの下界に動く車が豆粒のように見えました。
青い海に浮かぶ島々。
自分が鳥の目を獲得したことを知りました。
飛ぶことによる「高さ」の獲得と同時に、地上に縛り付けられていた自分が重力から自由になる心地よさ。
機械の力を借りずに、生身の体で、思い切り飛んでみたい。
いつしかそのことを空想するようになりました。
夢の中で飛翔することは何度も体験していますが、夢からさめたあとは、そのなんともいえない自由さ、それと、逆に地に足をつけてない不安な気持ちを感じます。
東京の10代の写真家、林なつみさんの「浮遊写真」が話題になっています。
自らが飛んだ一瞬の場面をカメラにおさめ、ブログで公開。
街、自然、部屋の中などで宙に浮かんだ写真は、不思議な開放感に満ちています。
人間が縛り付けられてるのは、重力だけでなく、さまざまなしがらみや束縛。
彼女の写真を見ていると、そこからちょっと自由になれる気がするのですね。
こんなふうに、ふわっと浮いてみたいなあ。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
もう8月も終わりだというのに、まだまだ暑いですね。
直射日光が肌に痛い。
だいたい高知は春ごろから、強烈な日差しが照りつけてきます。
春秋が短く、夏が長い。
近年は特に、夏が暑い気がします。
冷房に体が慣れているせいもあるでしょうが、気温も確かに高い。
おまけに晴れていても、急にスコールのような雨が降ってきたりします。
亜熱帯化しているのかなあ。
先日、仙台へ行ってきたときには、気温が35度と、高知より暑かった。
それでちくと奥六郡へ出かけていて、戻ってきたら20度代前半に。
天候といい、地震といい、素直ではないですね。
でも涼しい秋はもうすぐ。
もうちょっとの我慢です。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
東北でわずかですが、震災の津波のつめ跡を確認してきました。
この映画は、ミクロの家族をマクロの生命の流れの中に位置づけるという壮大な試みですが、ラストに生者と死者がともに行進するシーンがでてきます。
生きている者は、いずれは彼岸に行くことになるのですが、生者も死者も含めた大いなる流れが生命の木(ツリー・オブ・ライフ)ではないか。
人間だけでなく、すべての生物がこの木の中にある。
作品から感じられるのは、命に対するいとおしさ。
生も濁も、俗も聖も、人間も動植物も、生者も死者も、すべてを内包する。
宗教の根源に触れたような気がしました。
また老子の道(タオ)にも通じるのではないかと。
生命の木は、そのまま「道」と言い換えても知れません。
老子は道の中に安らぐことを説きました。
道の中に安らぐ、生命の木に思いをはせ、その中に存在しようとすることは、とても難しいことですが、これからの人類にとって、大きなテーマになりそうですね。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
先週半ばから東北に旅行に行ってきました。
仕事などがたまっていて、ブログを1週間ほどお休みしましたが、東北旅行の備忘録をまとめてみたいと考えています。
まずは食べ物から。
写真は盛岡市大同苑の冷麺。
盛岡は日本での冷麺発祥の地といわれています。
麺はそば粉ではなく、ジャガイモとか。太くて腰が強い。
だしはあっさりしていて、カツオだしのようなこくがあります。
渦巻いた麺の頂上に卵を置き、キュウリと牛肉、さらにはスイカも。
スイカには驚きましたが、夏の暑い時季に、口の中に清涼感を呼び起こします。
冷麺は韓国系、冷やし中華は中国系でどちらも大好き。
「人類は麺類」を信奉しており、毎日1度は麺類を口にしている私としては、また新たなレパートリーが広がり、うれしいです。
さあ、うどん食べに行こうか!
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
昨日は終戦記念日でしたが、テレビを見ていると、トップニュースじゃないところが多かったみたいですね。
66年前ですから、当時生きていた人もだんだん少なくなり、記憶が薄れていくのも当然のことかも知れません。
アメリカと戦争をしたことを知らない子どもたちも多くなっているそうです。
日米の蜜月は長きに渡ってますから。
逆に見ると、戦争をやっている最中に日本がアメリカと仲良くなって、密接に結びつくことを想像した人はたぶんほとんどいなかったでしょう。
考えてみれば、こんなに長きに渡って国民が平和を享受し、自国の軍事力を持った部隊が他国の人を1人も殺めてないというのは奇跡的だと思います。
できれば、この平和をずっと長く保ちたい。
そのためには、やはり日本がどうして戦争に至ったか、なぜ敗戦したか、国民や海外の人びとがどれほどの被害を受けたかを、再確認した方がいいのではないでしょうか。
この時期、昭和史や太平洋戦争、日中戦争に関する本を読んだり、戦争関係のテレビを見たりすることは意義のあることだと考えます。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
きょうの日曜市は、暑さがさらにヒートアップ。「暑さがさらに、暑さ増し」という変な言葉遣いになってしまいますが、とにかく暑い。
それでもたくさんの人でにぎわってました。
ちょうどお盆休みで、帰省中の方々や、観光客の人がどっと押し寄せたのでしょう。
朝から早々品物が売り切れというお店もありました。
夏休みで家族連れが多いのも特徴的。
偶然、久しぶりに出会った友人、知人と旧交を温めているシーンにも出くわしました。
よさこいからお盆にかけて、高知市の人口の増加を感じるのは毎年のことです。
ずっと、このにぎわいが続けばいいのですが。
高知には若者が就職するところが、あまりないといわれてますが、農家になというのはどうでしょう?
体力的にきついところはあるかも知れません。
でも、新興国が発展して、農作物が将来不足することがほぼ確定的。
農業は未来産業だと思います。
今の大企業は、30年後はどうなっているのか?
30年前の大企業で、そのままの形で残っているのはそれほど多くありません。
「人の行く裏に道あり。山の花」は何も投資だけに限ったことではない。
きっと農業に日が当たる日がきます。
高知に定着して農業に従事し、日曜市に出店してくれる若者が増えてくれないでしょうか。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
「とさあち」ブログ仲間のまつみさんが、「海を見る自由」という表題で、埼玉の男子高校の校長先生が、卒業生に送るメッセージについて書いています。
原文は→こちら
この先生のメッセージは週刊誌などにも取り上げられ、多くの反響を呼びました。
このメッセージは読む人によって、いろいろな感想を抱くのでしょうが、正直、復古調で命令調の「~であれ」のような文体(口調)が苦手。さらに論旨がよく分からないところがあって、首をかしげてしまいました。
「大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない」
「大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい」
「多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ」
「楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ」
学ぶために大学に行ってもいいじゃない。世の中には、地球上には大学で学ぶことができない人が多くいることを自覚し、学ぶ幸せをかみしめつつ、良き師につき勉学に励むならば。
多くの友人を得るために大学へ行ってもいいのでは?社会人になっての友人は、全く仕事に関係ない場合は除いて、どうしても利害得失がつきまとう。立場や部署に関係なく気のおけない大学時代の友人は、一生の宝になる可能性があります。
楽しむために大学に行くというのも大賛成。何が楽しみかというのは人によって違いますが、大いにエンジョイした時間は一見無駄に見えるかも知れないけど、年を経て心の余裕につながってきます。
「学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか」
「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう」
「大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか」
「言葉を変えるならば、『立ち止まる自由』を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい」
「大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ」
「池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない」
「今日ひとりで海を見てきたよ」
「そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない」
「海を見る自由」「立ち止まる」自由は、高校生にも社会人にもあります。時間は制限されていますが、これも本人の自覚次第。
毎日途中下車して海を見に行っていたら、卒業できなくなる。大学生でもすべて時間を自分が管理できるわけではない。「黙って頷いてくれる」大学での友人はかけがえのない友でしょう?初めに戻るけど、こういう友人に出会うために大学へ行く意味があるのでは?
大学生は自由になる時間が多い。だから立ち止まったり、時には海を見て、孤独を直視し、自ら考えてください、ということをこれほど大仰に言わなくてもいいのでは?と、あまのじゃくな私は思ってしまいます。
校長先生の文章に感動した方々、ごめんなさい。私自身が世間からずれているので、感動する方々の方が、多いかも知れません。
ものの見方はいろいろあるということで、お許しください。
最後に
「巣立ちゆく若き健児よ。日本復興の先兵となれ」
ですが、命令調が苦手な私なら「巣立ちゆく君たちへ。君たちが一生懸命に勉強し、働くことが、いずれは日本の復興にきっとつながるよ」になるかな。
弱すぎる?力強さにかける?申し訳ない。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
きょうの高知新聞31面には、道の駅「四万十とおわ」と、竹製品販売の「竹虎」が携帯電話ゲーム会社「コロプラ」と提携したサービスを開始したことが報じられています。
同社が運営する「コロニーな生活」は、移動距離に応じた仮想通貨が与えられる携帯ゲーム。
店舗で対象商品を購入すると、仮想土産カード「コロカ」が得られるとか。
まだやったことはありませんが、宝探しとSNSを組み合わせたようなゲームですね。
一昔、いや二昔前は、「知らない街を歩いてみたい」若者が、用もないのに、日本各地や世界をうろうろしていました。
若者の旅の動機付けが「旅すること」そのものだった時代から見ると、ゲームが旅の動機になる時代に生きている思うと隔世の感があります。
私自身も海外をふらふらしていました(今もふらふらしてますが)。
友人に「自分を見つめ直すなら、別によその国にいかなくてもいいんじゃない?」と言われたことがあります。
でも本人には「自分を見つめ直すために旅に出る」という哲学的な感覚がよく分かりませんでした。
自分自身の動機が単純に「外の世界を知りたい」「知らない街を歩いてみたい」だけでしたから。
この世に生まれた以上は、世界の成り立ちをできるだけ知りたいという欲求が強かったのですね。
歴史が好きなのは、今だけでなく昔の世界の成因を知りたいという気持ちからかも知れません。
「知らない世界を知る」「自分を見つめ直す」あるいはゲームでも動機は何でもかまいません。
旅はいいです。外へ出ると、何かしら豊かなものをつかんきた気がします。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
あすからよさこい本祭ですね。
追手筋の日曜市のお店が並んでいるところがメーン会場で、踊り子たちが乱舞します。
このよさこい祭り。
ずいぶんと前に参加したことがありますが、日中踊るのはたいへんしんどい。
正直倒れそうになります。
でも、夜になると、お神酒も入って、どんどん調子が出てくる。
一種のトランス状態になり、いくらでも踊れる気がしてきます。
気持ちいい。チョー気持ちいい。
祭りは神事と結びついているのが実感できます。
阿波踊りは「同じあほなら、踊らにゃ、そんそん」ですが、踊ってみないとあの心地よさは分かりません。
踊り子さんたちには、完全燃焼してほしいですね。
ただし、自分の体と相談して体調が悪くなったら、すぐ休むこと。
くれぐれも暑さには気をつけてください。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
きょうの日曜市は、夏休みのためか小さいお子さんを連れた家族連れでにぎわってました。
いやあ、それにしても暑い。
夏真っ盛りです。
ただでさえ、肌を焼くような高知の直射日光。
自然と建物の影を探して、歩くようになります。
この暑さしのぎに日曜市のアイテムと言えば…。
これです。ひやしあめです。
これがあるから夏が乗り切れると、言っても過言ではない。
汗をかきかき、おなじみ吉平商店さんのお店へ。
奥さんがにっこり、冷えたひやしあめを出してくれました。
砂漠の中のオアシスに出会った気分で、ごっくん。
う~ん。
口からのどまで、さわやかな風のように、ショウガの香りが通り抜けていきます。
生き返った。
口に残るのはほんのりとした甘さ。
炎天下の日曜市で疲れた方にお薦めです。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
「きょうは私の誕生日」という口上で人気のおじさんが昔、日曜市にいました。
このおんちゃんは毎週「きょうは―」とやっていたのですが、本当にきょうは私の誕生日です。
普段は誕生日なんて、特に意識をすることもなかったのですが、facebookでたくさんのお祝いをいただき、うれしいけど、ちょっと恥ずかしい。
8月生まれというのは、広島、長崎への原爆投下の日があり、終戦記念日があり、お盆があるので、厳粛な気持ちにさせられます。
終戦の月が誕生月なので、やはり太平洋戦争を意識せざるをえません。
66年前の晴れた空。
その青空に向かって、何もないところから日本は前進を続けました。
何もないけど、心は軽々明るかった。
井上ひさしさんの「下駄の上の卵」では、そんな終戦直後の雰囲気がよく分かります。
その後70年近く、日本は他国と戦争をすることもなく平和でした。
これは戦争の痛みを抱えながら生きてきた、先人たちのたゆまぬ努力のおかげ。
これまでの人生で「熱い戦争」に巻き込まれなかったことは、ありがたく、幸せなことだと感じています。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
久しぶりに木曜市に出かけてみると、新装成った高知県民文化ホールに長蛇の列。
物見高いので、何事かしらんと、近づいてみました。
なんときょうは飛ぶ鳥を落とす勢いのAKB48のコンサートだそうです。
それにしても、開演の夜にはまだ間があるのに、どうして昼からこんな行列が?
何でも家庭教師の派遣会社とAKBが提携して無料で消しゴムをくれるとか、メンバーの生写真を販売しているとか。
並んで順番に入っていたのですね。
出てくる人は、たくさんメンバーの生写真を買い込んでいました。
子どもはお金持ってますからねえ。
握手ができる近い距離感。
ネット時代を反映したランキング制度。
CDに投票券がついた「総選挙」
各種ユニットの形成によるばら売り。
芸能に携わる人には昔からひいきの旦那衆や、お金持ちマダムなどのパトロンがいたものです。
「芸人を育てた、見てきた」パトロンたちは、ひいきの芸人が出世する、人気が出ることによって報われます。
CDをたくさん買うことで投票券を求め、好きなメンバーに投票する。
そしてお目当ての娘がトップを獲得することによって得られる達成感。
まあ、数百万円もCDにつぎこむというのは少々行き過ぎの感がありますが、ファン真理を突いたよくできたシステムだと思います。
何かに応用できないかな。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
きょうの高知新聞朝刊24面によりますと、全国の宿泊旅行者を対象にしたテーマ別都道府県魅力度ランキングの「おいしい食べ物」部門で、高知県が連年の1位になったそうです。
新聞に掲載されている写真は、昨年のゴールデンウィークの高知市のひろめ市場。すごい混雑ぶりですね。
カツオのたたきに代表されるように、高知の食べ物は素材をそのまま生かしたものが多いです。
これは日本料理の特色でもあります。
生の素材を素材のまま楽しむ。食する。
これは、とにかく調理に凝るフランス料理、中華料理と対極にある考え方です。
フランス料理は中華料理がルーツともいわれているので、考え方が似ているのは当然ですが、中国の人はフランス料理より、日本料理の方がインパクトが強いということを聞いたことがあります。
中国人の味覚にとって「素材をそのまま味わう」ということ自体が新鮮に感じられるようですね。
「おいしい食べ物ランキング1位」は昨年の龍馬ブームの影響が大ですが、やはり高知の食べ物は「高知に来て食べる」と、一番おいしさを感じられると思います。
高知県外の人も、中国の人も高知へ来てみて、食べてみて。
きっと満足するきに。
日曜市まで寄っていただけたら、さらに土佐の食の深さを味わうことができるでしょう。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。
先日NHKの「セカイでニホンGO」という番組をたまたま見てました。
この番組は、世界の中の日本を考えるというコンセプト。
「世界幸福指数」(国民が自らを幸福と考える指数)で、1位のコスタリカを紹介し、同国が女性が暮らしやすくなったため、相対的に幸福度数が上がったという話をしていました。
日本は120位代でしたね。
「幸せって何だろう?」という根源的な問いが番組でなされていましたが、ちょいと疑問が頭をもたげてしまいました。
幸せは個々の感じ方で、ひとそれぞれの価値観によるもの。
どんな状況でも「幸せ」と思えば幸せだし、ほかから見て幸せそうに見えても、当人が不幸と感じていることだってある。
「幸せって何?」の答えは人の数だけあるのではないでしょうか。
それと「幸せって何だろう?」ということを考えうる状況にあること自体が幸せなんじゃないだろうか。
あす食べることが心配な人間は、食うことに精一杯で、「幸せ」の定義なんて考えません。
日本の戦時中のように、あす死ぬかも知れない人たちは、自殺なんて考えない。
衣食足って、生活にゆとりができた状態じゃないと、「生とは」「死とは」「幸せとは」なんてところに頭が回らない。
もちろん貧しても哲学的な人っていうのは、例外的にどんな場所にも存在しますけど。
内面を省みる余裕ができるのは、ある程度の生活レベルに達してからでしょう。
「物質的な豊かさが真の豊かさとは限らない」とはよく言われる言葉です。
確かにその通りなんだけど、でもそんなことが言えるのは、物質的な豊かさをある程度成し遂げた人。
そんな豊かさのある国っていうのは、世界的に見るとまだまだ少数です。
この幸せをかみしめなくっちゃあ、もったいないですよね。
四国ブログランキングに参加しています。「ぽちっ」と
「りょうまっち」に会いたい方はこちらへ。



とさあちメニュー
検索
最近のコメント
「心地よい寒さ」夏子さん
「「う~み」とともに」鍋島さん
「「う~み」とともに」風花さん
「願いは東北で生きる人の幸せ」鍋島さん
「願いは東北で生きる人の幸せ」yamanakaさん
「今年最後の日曜市」鍋島さん
「今年最後の日曜市」夏子さん
「ツバキ園を作り続けた影山さん」鍋島さん
「ツバキ園を作り続けた影山さん」yumeさん