大河ドラマ「龍馬伝」のふるさと高知から、坂本龍馬関連の話や、彼の生誕地近くの日曜市、火曜市など街路市のトピックなど、観光情報、食の情報をお届けしています。愛すべき日曜市のおじちゃん、おばちゃんの話、おいしい食べ物や農業の話、旅のつれづれ、街角の経済や投資の話題、歴史や土佐の風土など、考えたこと、感じたことをつづります。

システム管理者: 2011年6月アーカイブ
先日「東京に出たい」という若い知人と歓談しました。
この若い知人は、東京で生活していて、帰郷していますが、「高知は肌に合わない」そうです。
どこかへ出かけて、何かをしていたら、いつの間にか、母親にそのことが伝わっていることが息苦しい。
そういう気持ち、よく分かります。
地域の共同体というのは、とても「うっとおしい」ところがあり、関係が濃いだけにべたべたしているように感じられる。
村の縛り、家の縛り、男女の縛り。
こういった拘束から抜け出すことが、進んでいる、自我の確立だという考え方が、一昔、二昔前から主流になり、若者は都会へ出て行った。
そして村落共同体、家族の崩壊が進み、今や風前の灯になっています。
ただ、人は何かのコミュニティに所属してないと、孤独感や不安感に陥る生き物です。
最近はネットで人とつながることが大流行ですが、これはリアルなコミュニティが壊れていっていることの反作用ではないでしょうか。
メールやツィートを受け取って、「すぐ返事を出さないと」と、強迫観念にかられる人が増えています。
ネットはリアルな触れ合いがない分、相手との一定の距離感が保てるのが一つのメリットだと考えられます。
でも、一方では渇するように相手の返答を待ち続ける人たちもいる。
「離れたいけど、くっつきたい」人間の心理の矛盾を反映しています。
リアルのコミュニティは、お年寄りや子どもといった社会的弱者のセーフティネットの役割を果たしていました。
それがなくなったとき、どうするのか。
新しいコミュニティの形を考える時が来ているような気がします。
ぴりっと効いたワサビ。
お寿司にもお刺身にもおそばにも欠かせない薬味です。
子どものころに、ワサビをなめて、衝撃を受けた経験があります。
なに!これ!
とてもとても食べられた(なめられた)代物ではなかったです。
時は移り、いつのころか、ワサビのうまさが分かってきました。
人の味覚は年とともに、変化します。
「苦み、辛み」が分かるには、ある程度、人としての歳月を経ないとね。
「酸(す)いも、甘いも分かる」というのが、年を重ねて、人格に厚みを増した人。
子どもだって、すっぱいもの、甘いものがよく判別できる。
実は「苦いも辛いも分かってくる」のが大人になったということなんじゃないかなあ。
先日、「にぎりがだめなんです。ワサビが食べられなくて」と、知人の女性にいわれました。
思わず「もったいない!」と叫んでしまいました。
子どもの時にわさびが受け付けられなくて、そのまま食わず嫌いになっているとしたら、とても惜しい気がします。
アレルギーの人とか、絶対に受け付けない人もいるでしょうけど、ワサビにチャレンジする価値はあると思いますけどね。
加藤さんの中国のブログには1本につき、万単位のアクセスがあるそうです。
どんなに少なくても1万、平均10万、多ければ50万のアクセスがあるとも。
日本人の立場から中国語できちんと論ずることができる人が限られていることが人気の秘密。
それに加えて日本の10倍以上という中国の人口の母数の多さも見逃せません。
中国のネット人口は5億人ともいわれ、07年での時点で、ブログを開設しているのは1億人を超えているそうです。
「商業利益を増加させたいメディア、発言や知名度を獲得したいブロガー、ブログを閲覧することで見識を深め、人脈を獲得したいユーザーの三位一体の利益相関関係」がブログの隆盛を招いているようです。
ブログのパワーはすさまじく、政府もその影響力を無視できなくなってきました。
政府の要人とも接する機会の多い加藤さんの感触によれば、実は首脳部は「適度に」政府を批判してほしいと思っているそうです。
これも意外ですが、現状を改善したり、民主化に移行するためのワンステップと政府は考えているとか。
中国では、マスコミよりもネットの方が世論への影響力が強いというのも面白いところ。
それもそのはずで、マスコミは日本に比べて規制が多いですから。
日本のブロガーは、まだそれほどの力を持っていませんが、ひょっとすると、中国のように大きな力を発揮する日が来るかも知れません。
何せ、中国は固定電話を一気に飛び越して、携帯が爆発的に普及した国ですから。
一気に未来へ突っ走っているという見方もできます。
加藤さんが書かれている「中国は意外と自由な国」の言葉は新鮮でした。
もちろん言論、思想統制や反体制運動の抑圧もあるにはあるけれども、それ以外は比較的自由。
そりゃそうですよね。
何せ13億人も人口がいるんだから、そのすべてを監視するなんて、できっこない。
むしろ、「公への奉仕」が強要されることも多い日本も、その面からいうと不自由な国といえるかも知れない。
以前から市場主義経済が中国に浸透してくる中で、ひょっとして中国での民主化は急激ではないにしろ、徐々に徐々に進んでいくのではないかという予感がありました。
なぜかというと、物の流通や人の交流が盛んになると、物や人に自由や合理主義がまとわりついてくるからです。
経済的に豊かになった人々は自己の主張をするようになるし。
中国には人権がない。民主主義がないと、その点でわが国や欧米諸国の優位性を強調する人がいます。
でも昨今の日本の政治的な混乱を見ていると、ほんとに民主主義は正常に機能してるのだろうか、と疑問に感じることが多いです。
西欧諸国に散らばる華僑も、中国の急激な民主化には反対する人が多いそうです。
いわゆる衆愚政治などの「民主主義の毒」の部分もよく知っているから。
「民主主義や言論の自由に対する欲求は庶民の間にもある」と加藤さんは述べています。
でもそれは急激にではなくて、徐々に達成されることを政府も民も望んでいる。
日本人が公の場を大切にするのは同質性が強いところが大きいのではないでしょうか。
隣りが何をしているかが気になる。常に世間の目を気にする社会。
「公」のことをまず第一に考えて個人は後回し。
日本型の企業が一時勢威をふるったのは、こういう組織(公)をまず重視する考え方が浸透していたのが一つの要因でしょう。
先の震災でも報道されたように、これは世界には日本人の美質としてとらえられていますね。
これに対して、長い歴史の中で動乱を星の数ほど経験している中国人はまず私を大事にする。
自己主張が強いから、私たちから見ると傍若無人に見えます。
中国人が「公」を尊重するようになるには、何を柱に持ってきたらいいのか。
加藤さんは問いを投げかけています。
考えるに、やはり中国人が大好きな「利」を前面に出すのがよいのではないでしょうか。
公が過ごしやすい場所であるということは私(わたくし)、個人にとっても非常に都合がいい。
公が住みよい、過ごしやすいと、構成員のストレスが平均的に軽減されますので。
最近中国の都市部では五輪や万博の影響で、急速にマナーがよくなってきているように見えます。
上からの「文明人は、公共交通機関では、降りるのが先で乗るのが後」のようなキャンペーンがある程度功を奏しているところもあります。
さらに、居心地のいい空間を一度体験してみると、個人もそれを維持しようとする。
衣食足ることもあいまって、自然に公共の秩序が保たれる方向に動いていくように思います。
弱冠18歳で中国に渡り、中国語が全く話せないところから初め、北京大学の大学院まで卒業して、中国で人気の評論家になっている加藤嘉一さん(27)。
「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか 」(ディスカヴァー携書)では、新しい切り口で日中問題を論じています。

日本人として中国のエリートが集まる北京大学の中に身を置き、中国語を駆使して肌感覚で書いたものですから、稀少性があり、貴重です。
加藤さんがいう日本人と中国人の違いの中で面白かったのは、外と内の関係。
中国に出かけると、公の場での中国人の傍若無人さはあきれるほど。
列は作らない。物はそこら中に捨てる。周囲を気にせず大声で話をする。
これに対して、日本人は人目を気にして、公の場ではマナーを守る。
でも中国人は家に帰ると、部屋の中はきちんと整理整頓されていて、いつ誰が来てもいいようにしている。
これに対して、公の場で気を使いすぎる日本人にとって、私的空間は唯一ともいっていい自らを解放する場。
勢い部屋は荒れ放題ということになります。
中国4千年の歴史の中で、庶民の中に飢餓がなかった期間というのは、とても少ないのではないでしょうか。
「大躍進運動」などの経済的な失敗や文化大革命の混乱もありましたが、中国共産党は中国人民の中で飢えをなくすという点では、さまざまな問題を抱えているとはいえ、成功していると思います。
いずれ各地で暴動が起き、中国は崩壊するという日本の「中国崩壊論」は、最近少し下火になりましたが、歴史を見る限り、庶民は「飢える」状態が極限にならない限り、反乱、暴動は起こさないことが多いです。
私の周囲には「中国って共産主義、社会主義でしょう?」といってくる人がいます。
その人に「どちらかといえば、中国より日本の方が社会主義に近い」と言うと、びっくりされます。
中国は「社会主義市場経済」と銘打ってはいますが、その実態は資本主義。
何せ人口が多いものですから、それはそれは激しい競争が行われています。
日本は、一時期に比べて格差は広がっていますが、福祉や保健などのセーフティネットが残っており、世界でも有数の「社会的弱者に優しい国」なのではないでしょうか。(ただ国の借金の額を考えると、福祉を削らなければならなくなる時が早晩来そうです)
そもそも「商人」の語源になっている「商」の国とは中国の古代国家のこと。
「商人」は中国から発生しているのですね。
中国4千年の歴史の中で、社会主義体制だったのはおよそ30年くらいしかないのです。
中国の人がすぐに市場経済に移行でき、商売上手なのは当たり前といえば、当たり前の話です。
近年の新興国の代名詞といえばBRICs(ブリックス)。
ブラジル、ロシア、インド、中国(チャイナ)の頭文字を取ったものです。
言い古されて、最近ではそれに続く国としてベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチンの頭文字を集めたVISTA(ビスタ)ということになっています。
BRICsの中では、中国が抜きんでていて、GDPでいうと、世界第二位の大国になってしまいました。
ブラジル、インドは発展著しく、ロシアも徐々に力を増しています。
ただ冷戦時代、ロシアの前身であるソビエト連邦は、米国と世界を二分する超大国でした。
その割には現在のパワーはそれほどでもなく、中国の後塵(こうじん)を拝す状態。
工業化で世界の雄となった中国に対し、ロシアは資源国にとどまっています。
どうしてこうなったのか。
一つの大きな要因は、民主化と経済政策のどちらを重視したかによるのではないでしょうか。
80年代後半のゴルバチョフのペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)により、政治体制の刷新を図ったロシア。
これに対して中国は70年代末、鄧小平が「改革開放」を掲げ、市場経済に移行しました。
ロシアが市場開放を、中国は民主化を後回しにしたのですね。
30年を経て、こういう結果になりました。
やはり人間は、食べる、豊かになるということが、政治体制や民主主義の問題より、優先するのではないでしょうか。
年秋に上海に行く際には、尖閣諸島問題で日中がごたごたしていたこともあって、周囲では「大丈夫か?」と心配してくれました。
報告したように、全く問題はなく、むしろ現地の人から「今は(日本人にとっては)一番安全な時期だ」と言われていました。
時は上海万博の最終盤。
世界の耳目が注目しているときに、日本の民間人になにかあったら、中国の国際的地位が危うくなるとの読み。その通りでした。
このように、日本だけに限らず、マスメディアは、問題のあるところを局部的にとらえるので、現地に行かないと実際のところはよく分かりません。
03年に北京に行ったときには、日本では「中国がこれから経済発展するなんて、ありえない」という論調が主流を占めていました。
でも現地で、若い人たちの顔を見ると、明るいのですね。
よりよき未来が待っていて、それにまっすぐ向かっているように見えました。
もちろん発展に伴う拝金主義的な側面も多々見ましたが、それでも全体としては非常に前向き。
一例を挙げると、若いカップルの類似性です。
男の人は薄暗い色のオーバーやセーター姿で眼鏡を掛けている人が多かった。
それに対して、女性は日本ほど洗練されてないけど、ファッショナブルで、すらっとしていて立ち姿が美しい。
あまりのアンバランスに言葉を失ってしまいましたが、脇目もふらずに仕事に専心している男性と、身なりに気を使い、豊かさを享受する女性のコントラストが印象的でした。
中国の昇り龍のような躍進を確信したことでした。
「龍馬伝」での龍馬は「労を惜しまず、行きたいところに行き、会いたい人に会う」旅人として描かれていました。
よく足を運んだからこそ、時代のすう勢がよく見えたのでしょう。
使い古された言葉ですが、百聞は一見にしかず。
現地へ行き、におい、空気を感じてこそ、分かることがあります。



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