
映画の最近のブログ記事
「ALWAYS 3丁目の夕日64」を見てきました。
64年は東京オリンピックの年。
劇中にも出てきますが、敗戦から20年。ようやく「日本が世界から認められた」と、みんなが高揚していた時代です。
オリンピックで「ひょっこりひょうたん島」が見られなくて、文句をいう子どもたちは実際にいたのでしょう。
今回のテーマは巣立ち。
鈴木オートの六ちゃんと、芥川先生ところの淳之介君の旅立ちがメーンで描かれていました。
鈴木オートは、六ちゃんの後輩もできて、カラーテレビを購入するなど、少しだけ裕福になっている様子。
対して、芥川さんのとこはやっと白黒テレビが入ってきたばかり。
ちょっとだけ格差が現れています。
これから4半世紀後のバブル期に向け、紆余曲折があったにせよ、日本は経済成長を続けていくのですが、経済格差も広がっていきます。
「出世するとか、お金持ちになるとか、そんなことより、他の人を笑顔にする仕事の方が楽しい」
このせりふは、これから広がっていく「ひずみ」に対する予感。現在からの視点ですね。
前作、前々作でもそうですけど、ご近所の人たちの関わりが濃密です。
たばこやのおばさんが六ちゃんの恋愛を気にかけるなど、現在では考えられない。
みんなおせっかいやきだったのですね。
それはうっとおしいことではあるけれども、コミュニティの相互扶助が作用していた。
「3丁目」の空間はとてもほっとしますが、これが現実の昭和30年代もそうだったかというと、それは分かりません。
でも、人間と人間が今よりもっと、深く結びつけられていたことは間違いないようです。
こういった関係は当時からほぼ半世紀たった今でも、残っている場所があります。
それは高知の日曜市。
お店の人同士の関係、店主さんたちとお客さんの関わり合いは50年前とそんなに変わっていないでしょう。
こういったコミュニティの価値がこれから、間違いなく見直されていくと思います。
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「地球交響曲第7番」の上映会に行ってきました。上映のあと、龍村仁監督の講演もありました。
地球交響曲は、地球を一つの生命体と見なし、その視点から自然とともに生きる人々を描くドキュメンタリー。
第7番まで全部見ているわけではないのですが、感じるところが多く、上映会を見る機会があれば、足を運んでいます。
今回の3人は環境教育活動家の高野孝子さん、ツールド・フランスの優勝者、グレッグ・レモンさん、統合医療医学博士のアンドルー・ワイルさん。
さらに日本人の精神の支えとして歴史を経てきた神道にもスポットを当てています。
龍村監督の言葉で心に残った言葉は
「変えられないことを受け入れる落ち着きを持つ。変えられることを変える勇気を持つ」
何が変えられないことで、変えられることは何かというのは難しい問題ですが、こういう二律背反的なバランスを取る考え方は、「陰陽合一」というか、融通無碍なところを感じさせます。
映画や講演を通じて一貫して示されているのは、「自らの内部に答えはある」ということ。
体内には生命38億年の叡智が積み重ねられている。
昔の叡智は未来の化学。
人間に備わった自然治癒力。
過去も現在も未来も、行くべき道への回答もすべて自分の中にある。
それを引き出すにはどうしたらいいのか。
高野さんが映画の中でおっしゃってたのが、「心のスタミナは柔らかく受け入れることで長持ちする」。
心を落ち着け、柔らかい心で、自らを受け入れ、じっと耳をすます。
そうすると答えが自然に立ち現れてくる。そういうふうに解釈しました。
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「マネーボール」の映画評を書きました→こちらです。
人(企業)をさまざまな視点から評価し、光を当てて活性化させる。
この物語は単に野球の話ではなくて、投資、ビジネス、組織の活性化の点でも、参考になります。
書ききれなかったけど、人間ドラマとしてもよくできていました。
「もっと野球を楽しんで」。特に主人公の娘との交流は、ほのぼのとしたものを感じさせます。
お金に目がくらんで、人生の選択を誤った主人公が、大枚でお金持ち球団、レッドソックスに誘われたとき、それを拒否して貧乏球団のアスレチックスにとどまるところが、すがすがしい。
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「ツレがうつになりまして。」映画評を書きました。
「高知シネスポット」は輪番制なので、必ずしも自分が見たい映画に当たるとは限りません。
でも今回は「当たり」でした。
実をいうとあまり期待してなかったのですけど、映画を見たあと、ほんわかあたたかい気持ちにさせてくれました。
夫婦の日常生活を描くので、まったりしていて、あまり起伏がありません。
それでも随所に笑えるところがあり、深刻な題材にもかかわらず、コミカルで明るく仕上がっています。
気分が落ち込みやすい寂しい秋。
「うつ気分」の人も、そうでない人も、元気になる映画です。
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東北でわずかですが、震災の津波のつめ跡を確認してきました。
この映画は、ミクロの家族をマクロの生命の流れの中に位置づけるという壮大な試みですが、ラストに生者と死者がともに行進するシーンがでてきます。
生きている者は、いずれは彼岸に行くことになるのですが、生者も死者も含めた大いなる流れが生命の木(ツリー・オブ・ライフ)ではないか。
人間だけでなく、すべての生物がこの木の中にある。
作品から感じられるのは、命に対するいとおしさ。
生も濁も、俗も聖も、人間も動植物も、生者も死者も、すべてを内包する。
宗教の根源に触れたような気がしました。
また老子の道(タオ)にも通じるのではないかと。
生命の木は、そのまま「道」と言い換えても知れません。
老子は道の中に安らぐことを説きました。
道の中に安らぐ、生命の木に思いをはせ、その中に存在しようとすることは、とても難しいことですが、これからの人類にとって、大きなテーマになりそうですね。
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物語は虚構ですが、その虚構をどう面白く見せるかというのが、脚本家の腕の見せ所。
その虚構の中には虚構を成立させるリアリティがないと、話が嘘くさくなってしまう。
ウソの中に真実を込めるのが作家の仕事だと思います。
「JIN」と同じく日曜日放映の大河ドラマ「江」で、こういうせりふがありました。
お市の方「悪いのでは人ではない。すべて戦(いくさ)が悪いのじゃ」。
首をかしげてしまいました。
戦を起こすのは人だから。
人が悪くなかったら、なぜ戦は起こるのでしょう。
「平和が何よりも尊い」
これは真理ですが、平和を守るという確固たる人の意志がない限り、平和な世は続きません。
「江」のお市の方のせりふは底が浅く、真実味がない。
「JIN」や「プリンセス トヨトミ」は一見、荒唐無稽に見える壮大な虚構ですが、登場人物の言葉には、真実が込められており、周辺のさまざまな仕掛けにも嘘がないように感じられます。
「嘘の中の誠(真実)を見たい」から、人は映画館、劇場、寄席に通い、テレビドラマを見るのです。
映画やドラマには、制作者、脚本家、監督、スタッフ、キャスト、音声、カメラとたくさんの人々が携わります。
総合芸術といわれるゆえんですが、その中で最も大事なのは何かというと、私は脚本だと思います。
いかな名優が演じ、カメラが巧妙、演出がざん新でも、お話の骨格やせりふがだめだと、作品は成り立ちません。
映画「アマルフィ」で脚本家のクレジットがなかったのが、問題になってました。
どうしても役者さんと、監督(ディレクター)には注目が集まる傾向がありますが、世の中によい作品を送り続けている脚本家にもっと着目すべきだと思います。
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「プリンセス トヨトミ」の映画評を書きました。→こちらです。
3年前、万城目学さんの小説をテレビドラマ化した「鹿男あをによし」のスタッフが再結集した作品。
「鹿男」は、相沢友子さんの脚本がとても、よくできてました。
原作ものを映像化すると、製作者側がいじって、設定を変に変えていたり、大事なせりふが削られていて、原作の良さが大幅に減じられることが多いのですが、「鹿男」については、原作を超えている、まれな作品だと思います。
原作では男性になっている歴史教師役を綾瀬はるかさんが好演しているのですが、男女を置き換えたことで、主人公の鹿男(玉木宏)とのラブストーリーを縦軸にしています。
それと、卑弥呼とシカのほのかな情の交流を横軸として重ねているのが見事です。
原作の良さを生かしつつ、想像力を十分に駆使したファンタジーの傑作といえると思います。
配役がまたいいんです。それについてはまた。
「プリンセス」も、相沢さんらしいタッチで改編が巧みに行われてました。
ただ、映画評にも書いたとおり、「旭」に込められた万城目さんの意図がちょっと薄まっています。
原作本を読めば、よりいっそう理解が深まり、数々の仕掛けの面白さが分かりますので、ご一読をお勧めします。
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「心の師」と自分勝手に思い定めていた井上ひさしさんが亡くなって1年。
あの「分かりやすく、面白く、深い」言葉はもうリアルタイムでご本人から聞くことはできないのだと、時としてむなしさに襲われる日が続いていました。
そんな中で起こった東日本大震災。
井上さんは高校時代を仙台で過ごし、釜石でも暮らしたことがあって、今回の被災地とはゆかりが深いです。
もし生きていらっしゃったら、きっとみんなを光に導く言葉をたくさん発してくれたことでしょう。
そう思うと残念でたまりません。
ただ、彼の残した膨大な言葉は、書籍や劇中に宿っている。
それをこれからずっとひもといていこうと考えています。
昨日、井上さんのNHKBS100年インタビューをまとめた「創作の原点 ふかいことをおもしろく」を読了しました。
「人間の存在自体の中に、悲しみや苦しみはすでに備わっている。笑いは人間が作るしかない。人間のできる最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗できるようないい笑いをみんなで作り合っていくこと」。
人生には「生老病死」はつきもの。
人はいずれも悲しみと寂しさの中にあることに気付く。
それを一瞬でも忘れさせたり、楽しい気持ちにしてくれるのが笑い。
芸術とは暗くつらい人生をリアルに描くものであると考えられ、笑いは最近まで、お芝居や映画の中での地位は低かった。今でもそうかもしれないけど。
笑いの重要性に気づき、価値を高めた功労者の一人が井上さんではないかと思います。
悲しみや苦しみのある人生に、人は時に耐えられなくなる。
そんな時、灯台の光の役割を果たすのが笑いではないか。
そして笑いは「みんなで作りあう」もの。
被災者のみなさんにこれから最も必要なものは笑い、笑顔ではないでしょうか。
被災者の方々にどんな形であれ、笑いを提供すること。
自らも悲しみと寂しさの中の人生を歩んでいることを実感し、被災者の気持ちに近づくこと。
こういったことがこれから最も求められる支援になるかも知れません。
その行為は自らに跳ね返って、自分自身を支える。
何はともあれ、支援する側が、笑いを作らなければ。
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いい映画作品は心に勇気を与えてくれます。
久しぶりに映画に行ってきました。
「SP 革命編」。
連続テレビドラマはもちろん、前回の「SP 野望編」も見てますが、やっと謎の数々が解けました。
このドラマの特徴は、ドラマの中にいろいろな謎を残しておいて、それを伏線に見せていく手法です。
ドラマの最終回のそれこそ最終場面でのSP課長である尾形(堤真一)のせりふ。
「仕方ないだろう。大義のためだ」
「あれ?」これは謎が続くなあと、思ってたら、映画に「続く」でした。
「踊る大捜査線」シリーズのように、テレビはテレビで一応完結しておいて、その続編を作るのは「あり」ですが、これはちょっと反則のような気がします。
でも作品自体は斬新で面白い。
主演の岡田准一さんのアクションは見事としかいいようがないですね。
これだけのアクションをこなす役者さんは見たことがありません。
彼は「花よりもなほ」でも主演してましたが、複雑な人格を表現する演技力もあります。
せりふは聞きやすいし。
波多野貴文監督は、顔のアップ、ストップモーション、スローモーションなどを効果的に使い、これまでにない新しい映像を見せてくれます。
俳優陣も演技派が多くて、楽しめました。
特殊能力を持ったSP、井上の「はみ出し加減」は「踊る」の青島に共通するものがあります。
組織の中で苦悩するせつなさ、厳しさの中で、使命感は捨てずに懸命に働く。
身をていして人を守るSPの崇高さを表現した作品にもなっています。
「踊る」の方が笑いが多くて明るいですけど。
でも、SPは緊張するシーンが多いので、数少ない笑いの場面では、ほっと体が緩んで、大笑いしてしまいます。
しかし、しかしです。映画の最後は何?
ファイナルエピソード、最終章と銘打っておきながら、まだ謎を作るのか。
ラストを見ると、まだ続編がありそう。もう少しこの作品を見ていたいので、それは、それでかまわないのですけど。
またしても反則だああ。
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