土佐の街路市(露店市、青空市)についてのコラム!!高知の食材や農業、食の安全の話題も

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大河ドラマ「龍馬伝」のふるさと高知から、坂本龍馬関連の話や、彼の生誕地近くの日曜市、火曜市など街路市のトピックなど、観光情報、食の情報をお届けしています。愛すべき日曜市のおじちゃん、おばちゃんの話、おいしい食べ物や農業の話、旅のつれづれ、街角の経済や投資の話題、歴史や土佐の風土など、考えたこと、感じたことをつづります。

歴史の最近のブログ記事

韓信は中国史上、いや世界史上でもまれな、軍事の天才です。

有名な「股くぐりの韓信」は、故郷でいいがかりをつけられ、「この場で相手を斬り殺しても、何の役にも立たない」と考え、屈辱を忍んで、相手の股の間をくぐった逸話。

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冷静沈着で兵法に通じ、どんな局面でも応用力がある。

はじめは劉邦のライバルの項羽に仕えますが、献策しても全く用いられず、劉邦の元に身を寄せます。

それでも低い役職しか与えられることなく、職を辞して立ち去ろうとしますが、劉邦の重臣、蕭何(しょうか)に見いだされ、劉邦軍の指揮をとることにる。

蕭何(しょうか)に「国士無双」と評された韓信の活躍がここから始まります。

「背水の陣」は日本でも親しまれた言葉ですが、常識にとらわれず兵法の逆をゆくこの戦法をとったのが彼でした。

「智者も千慮必ず一失あり。愚者も千慮また一得あり」は自分が滅ぼした相手側に組していた李左車が韓信に語った言葉。

「敗軍の将、兵を語らず」と初めは助言をしぶっていた李左車が再三の韓信の説得に「では」ということで語り始める時に使われます。

どんなに知恵のある人間でも、必ず間違いがあり、愚かな人間にもどこか得るところがある。

のちの韓信の最期を暗示しているような、何とも味わい深い言葉です。

劉邦の別働隊として連戦、連勝の韓信は、斉の国王にまで上り詰めますが、やがて漢帝国が定まると、あまりにも有能なため、反逆を恐れた劉邦に疑いの目を向けられ、失墜。

失意の中で謀反を計画し、とらえられて斬殺されます。

「国に二人並ぶ者ない」と言われ、千里眼のような韓信の「一失」。

まだ斉の国王だったころ、項羽、劉邦とともに斉の国を基盤として「天下三分の計」を図れば、いずれは天下の主になれるのではないかと部下に進言されて、心は揺らぎながらも、劉邦に重用された恩を考えて、その策に踏み切れなかった韓信。

その揺らぎが後難を招きます。

ただ、最期まで冷徹になれない韓信に人間らしさを感じてしまいます。

劉邦にとっては、「韓信の揺れ」は最大の危機でしたが、この時に韓信が裏切らなかったことが劉邦の天運なのでしょうね。

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昨日は終戦記念日でしたが、テレビを見ていると、トップニュースじゃないところが多かったみたいですね。

66年前ですから、当時生きていた人もだんだん少なくなり、記憶が薄れていくのも当然のことかも知れません。

アメリカと戦争をしたことを知らない子どもたちも多くなっているそうです。

日米の蜜月は長きに渡ってますから。

逆に見ると、戦争をやっている最中に日本がアメリカと仲良くなって、密接に結びつくことを想像した人はたぶんほとんどいなかったでしょう。

考えてみれば、こんなに長きに渡って国民が平和を享受し、自国の軍事力を持った部隊が他国の人を1人も殺めてないというのは奇跡的だと思います。

できれば、この平和をずっと長く保ちたい。

そのためには、やはり日本がどうして戦争に至ったか、なぜ敗戦したか、国民や海外の人びとがどれほどの被害を受けたかを、再確認した方がいいのではないでしょうか。

この時期、昭和史や太平洋戦争、日中戦争に関する本を読んだり、戦争関係のテレビを見たりすることは意義のあることだと考えます。

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「きょうは私の誕生日」という口上で人気のおじさんが昔、日曜市にいました。

このおんちゃんは毎週「きょうは―」とやっていたのですが、本当にきょうは私の誕生日です。

普段は誕生日なんて、特に意識をすることもなかったのですが、facebookでたくさんのお祝いをいただき、うれしいけど、ちょっと恥ずかしい。

8月生まれというのは、広島、長崎への原爆投下の日があり、終戦記念日があり、お盆があるので、厳粛な気持ちにさせられます。

終戦の月が誕生月なので、やはり太平洋戦争を意識せざるをえません。

66年前の晴れた空。

その青空に向かって、何もないところから日本は前進を続けました。

何もないけど、心は軽々明るかった。

井上ひさしさんの「下駄の上の卵」では、そんな終戦直後の雰囲気がよく分かります。

その後70年近く、日本は他国と戦争をすることもなく平和でした。

これは戦争の痛みを抱えながら生きてきた、先人たちのたゆまぬ努力のおかげ。

これまでの人生で「熱い戦争」に巻き込まれなかったことは、ありがたく、幸せなことだと感じています。

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昨日の日本経済新聞文化欄に、先日取り上げた「炎(ほむら)立つ」の作者、高橋克彦さんが「甦ったこころ」と題して寄稿しています。

「炎立つ」は奥州藤原四代をその前史から描いた作品。

奥州藤原氏開祖の藤原清衡は「後三年の役」の争乱で、妻子をあやめられ、弟と骨肉の争いをしなくてはならなくなり、身内や地元の人々に多大な被害を出したことが描かれています。

高橋さんは、奥州の支配権を握った清衡が、平泉に現世の浄土を作ろうと意図したと指摘。

清衡の中尊寺建立の際の落慶供養の願文から「浄土思想に基づいた万人平等と戦のない国造りを宣言した」としています。

そしてそれは4代百年にわたって続いた。

確かに今から千年前の貴族社会に、こんなユートピアが東北に築かれていたことは奇跡です。

ただ、奥州藤原氏は源頼朝によって滅ぼされてしまい、歴史の常として被征服者の歴史はかき消される。

3年前に平泉が世界遺産の登録延期の根本理由は、その奇跡を史料的に認められなかったことからだと高橋さんは言います。

そして震災時の宮城、福島、岩手(いずれも奥州藤原氏の支配区域)の辛苦に耐え、上下のない、他者に優しい被災者の人々が、史料よりも確かな理想国家平泉の存在を世界に確信させたとも。

今回の平泉世界遺産登録は、被災者の人々への励ましの意味も込められていると思いますが、高橋さんの斬新な視点と、被災地への温かいまなざしに胸が熱くなりました。

さらに言えば、清衡の「浄土思想に基づいた万人平等と戦のない国造り」は、国の内外に多くの犠牲者を出して「憲法に基づいた万人平等と戦のない国造り」にまい進してきた戦後日本の66年の歴史に呼応します。

この歴史も「JIN―仁」の坂本龍馬が述べるように「そんな国は極楽としか言いようがないぜよ」です。

これも一種の奇跡といってもいい。

この「極楽、奇跡」を100年、200年、千年と続けていくことが、現代に生きるわれわれに課せられた使命ではないでしょうか。

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3日の高知新聞「喫水線」で中平・編集局長が「まつろわぬ民」と題して、奈良時代後半から平安初期にかけて大和朝廷の東北侵攻に抵抗した蝦夷(えみし)の族長、アテルイのことを取り上げています。

高橋克彦さんの小説「火怨」でアテルイは名を知られることになりました。

高橋さんの歴史小説では蝦夷(奥州)を軽蔑し、狡知の限りを尽くして侵略してくる中央軍に対し、決然と戦いを挑む誇り高き北の民が描かれていますね。

私の好きな作品は「炎(ほむら)立つ」。

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NHKの大河ドラマにもなりましたが、奥州藤原氏をその前史から語る骨太な小説です。
金の採鉱を基盤に、繁栄を謳歌(おうか)し、民に優しい理想郷を築き上げた藤原氏。

先日、その中心地である平泉は世界遺産に登録されましたが、中尊寺金色堂のきらびやかさは往事の隆盛を物語っています。

高橋さんの解釈で面白かったのは、侵略した側である鎌倉幕府を開いた源頼朝が、国造りにあたって、平安貴族ではなく、奥州藤原氏の治世を参考にしたということ。

頼朝が得た「征夷大将軍」の官職は奥州藤原氏を意識したものであり、武家の棟梁(とうりょう)として、その呼称は近世の江戸幕府にまで引き継がれます。

卑弥呼時代からおよそ1700年の日本の歴史の中で、武家政権は3分の1以上を占めますから、高橋説に従うとすると、初めての武家政権である鎌倉幕府がまねた奥州藤原氏の統治システムが日本の原型を作ったと言えるかも知れません。

ところで、アテルイや高橋作品の「天を衝く」の九戸政実とも共通しますが、豊かで平和な北の大地を狙ってくるのはいつも中央政権。

主人公たちは潔く戦いながらも、敗れていく。

それは民の被害を最小限にするため、自らの命を差し出すという負け方。

一方、北から遠く離れて、古代は「鬼国」といわれ、貴族たちの島流しの場所にされた南国土佐。

この環境の中から醸成された「異骨相(いごっそう)」の性格は「まつろわぬ」民と、相通じるところがあり、共感を感じます。

今回の復興担当大臣をめぐるごたごたでは、相も変わらぬ中央政権の地方への優越意識が見え隠れしていますね。

高橋作品のヒーローたちは、潔く、我慢強く、誇り高い。

時間はかかっても、その血を引く末裔(まつえい)たちは悲哀を乗り越え、復興を必ず成し遂げると確信しています。

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満尾さんのコメントに触発されて、考えたことです。

幕末、大政奉還前に、幕府の諮問機関として機能した四侯会議の四侯は、松平春嶽(越前=福井)、島津久光(薩摩=鹿児島)、山内容堂(土佐=高知)、伊達宗城(宇和島=愛媛)。

幕末の四賢侯が母体なのでしょうが、薩摩の名君、島津斉彬に代わって死後、殿様になった久光が入っています。

内田樹さんの「街場の中国論」によりますと、江戸時代、三百諸侯といわれるように、日本国内には三百以上の国(藩)がありました。

それぞれの国では、殿様を補佐する官僚群が支えていた。

君主を含めて、国を運営するのに帝王学の修業を代々重ねていたわけです。

その中での四賢侯のような優秀な殿様は、いつでも将軍様の代わりができた。

今で言うなら、総理大臣予備軍が300人以上いたということです。

内田さんは、日本がアジアの中で一番先に近代化を成し遂げた一つの要因は、江戸期を通じて醸成された小さなたくさんの独立国にあったと推論しています。

幕藩体制は中央集権ではなく、地方分権。

豊臣秀吉は日本統一のスピードを上げるため、恭順するものはこれを許し、敵対するものだけ征伐をするスタイルを採った。

これが徳川家康の幕藩体制に受け継がれています。

織田信長は、中央集権主義者ですから、もし彼が明智光秀に討ち取られずに、お隣の中国のように中央集権的な政権を打ち立てていたら、ひょっとしたら日本の近代化は遅れ、西洋列強の植民地になっていたかも知れません。

内田さんは幕藩体制に類似したものとして、ユナイテッド・ステイツ、アメリカ合衆国を挙げています。

確かにオバマさんを除いて、最近の歴代米大統領は州知事経験者が多い。

米国の力の源泉は、いつでも大統領の職務をこなせるリーダーが50人以上いることにあるということになりますね。

中央集権は平時には強いけど、世の中が激しく変化している際には弱い。

最近のネットコミュニティの隆盛は、世の中が垂直統合的な中央集権から、水平的な地方分権に移る歴史の予兆ではないかと感じています。

この件については、また稿を改めまして。

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「JIN―仁―」も佳境を迎えてきました。

先週は長崎で龍馬と再会した南方仁は、幕府軍を迎え撃つ長州へ。

イギリスと薩摩を通じて最新鋭の武器を長州に提供した龍馬。

そんな武器商人のような龍馬に仁は不審の目を向ける。

仁には同じ国同士の殺し合いが耐えられない。

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「昔の龍馬さんじゃない」

「今、ここで幕府をたたいておかないと、こちらがつぶされる。なんぼ、新しい、いい考え方をしちょっても、つぶされてしもうては、なんにもならん」

「暴力は暴力を生む。暴力で勝ち取った政権は暴力で滅ぶ」

原作には仁が龍馬と対立するシーンはありませんが、この対決は永遠の命題です。

どちらにも理があるように見える。

古来から、洋の東西を問わず革命はほとんど、武力を伴っています。

ちなみに「レボリューション」を「革命」と訳したのは日本の幕末から明治にかけてのの知識人。

土佐の中江兆民あたりかも知れません。

中国古来の「易姓革命」から採った言葉です。

革命は天命を革(あらた)める。

易姓革命とは、徳を失った王朝が天に見切りをつけられ、新しい王朝ができること。

皇帝の姓が易(か)わるのですね。

中国の歴史は、ざっくり言ってしまえば、旧王朝の悪政→農民の疲弊→各地で反乱→新王朝の成立、の繰り返しです。

現在の中国政権までそれは続きます。ですから今の政権は「地方の反乱」にもっとも神経質になる。

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それはともかく、無血革命は中国神話時代の堯(ぎょう)舜(しゅん)の禅譲くらいしかない。

禅譲(ぜんじょう)とは自分の血筋でない有能な臣下に帝位を譲りわたすことです。

これは「王道」で、理想とされていますが、現実的には政権に取って代わろうとする人たちは権謀術数と武力を用いた「覇道」を選ぶ。

幸いなことに日本は中国と違って明治政権ができたあと、局地的な戊辰戦争や西南戦争はあったものの、国を二分するような大きな内乱はなかった。

ただ仁先生の考え方からすれば、政府の「暴」は外に向かい、やがては、国は壊滅的打撃を受けた、とも言える。

たぶんこれから仁は「暗い渦の中にいる」龍馬の灯りとなり、無血革命の大政奉還への着想に、つながっていくのでしょう。

龍馬らが夢見た大政奉還は、その後、薩長と幕府がぶつかった鳥羽伏見の開戦によって無に帰したように見えます。

でも、大政奉還がなかったら、薩長と幕府が、がちんこで戦っていたら、戦いが長期化していたら…。

歴史にイフは禁物ですが、ひょっとしたら介入してきた欧米列強の植民地になっていたかも知れない。

そうはならなくても、国民が大きな傷を受けたことは間違いないでしょうね。

大政奉還は決して無駄ではなかったと思います。

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65年前のきょうは広島に原爆が落とされた日。

今年4月に亡くなった井上ひさしさんの戯曲の中に、広島の原爆をテーマにした「父と暮せば」という名作があります。

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この作品の特に優れている点は、広島の被爆の光景、現場の惨状を直接的に描くのではなく、原爆の悲劇とその後の希望を父と娘の物語に集約したところです。

原爆で亡くなった父。でも、娘のことが気に掛かるのか、幽霊になって出てくる。

というよりも、この父親は娘が心の中で、作りだしたものだということが次第に明らかになってきます。

井上さんの芝居ですから、もちろん中にはユーモアもたっぷり。笑わせながら、考えさせ、徐々に感動のラストへ持ってくる手法です。

好きな人ができる娘。でも結婚にはためらいがある。

被爆しているために、これから生まれてくる子どものことを考えると、踏ん切りがつきません。

いったい、どれだけの人たちが、この苦しみを味わったのでしょうか?

原爆が通常の兵器と違うところは、子々孫々まで影響が出てくるということです。

負の連鎖を背負わされる。

人を殺傷する兵器は、もともとまがまがしくむごいものですが、この点でも核兵器の残酷さは類を見ません。

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声高な主張ではなく、父と娘のさりげない会話の中に埋め込まれた幾千、幾万の悲しみが見えてくるだけに、心に強く響いてきます。

そして残された者に芽生えた「自分は今ここで生きていていいんだろうか」という原罪的な懐疑の心。

何度繰り返し見ても、読んでも、新しい発見があり、深遠なものに触れる気がします。

おおげさでなく、人類のすべての人に読んで欲しい作品。

新潮文庫になっています。わずか340円。

映画版は、黒木和雄監督で、原田芳雄さんと宮沢りえさんのコンビ。

芝居は井上さんの劇団、こまつ座が今後もたびたび上演することでしょう。

でも、できたら初演のすまけいさん、梅沢昌代さんの舞台をビデオかDVDで見てほしい。最高傑作です。

この2人の生の舞台。高知で見ることができて、幸せでした。

それにしてもラストのじゃんけんのシーンは反則!涙腺を刺激しすぎる。

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世は龍馬ブーム。歴史ファンが急増しています。

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「歴女」「歴ドル」という言葉に代表されるように、歴史好きの女性も増えているようですね。

「娘が『歴女』になりまして。長宗我部元親の大ファンです」という話を聞きました。

ゲームのキャラクターに起用されてから、「長宗我部のアニキ」として、元親は大人気。「龍馬のあとは元親」と、気の早い話も聞こえてきます。

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漫画やゲームから入って、歴史上の人物への思い入れが強くなる。まゆをひそめるむきもありそうですが、入り口は何でもいいのでは?

歴史の扉を開けて、少しでもその豊かな世界に触れる機会が増えれば。

旅サイトの編集長と話をする機会がありましたが、最近の旅は「『蓄積型』が好まれる傾向」だそうです。

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旅をすることで、知識を加えていく楽しみ。歴史のある土地に立って昔を想像する喜び。
ただおいしいものを食べ歩くだけではなく、土地ごとの風土を感じる旅がに魅力を感じる人が増えているなら大歓迎です。

その点からいっても土佐は史跡の宝庫。歩いて、感じて、食べて、触れあって、実りある旅を、高知県外からいらっしゃったみなさんに、提供できればいいですね。

龍馬関係の記事は→こちら

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きょうの高知新聞26面に、長宗我部元親の末弟、親房から数えて17代あとの子孫の長宗我部友親さんの話題が掲載されています。

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友親さんは東京都練馬区在住で、このほど長宗我部氏の歴史を子孫のめで本にまとめたそうで、貴重な資料群を土佐山内家宝物資料館に寄託されました。

意外だったのは、親房の跡を継いだ五郎左衛門が、山内家に仕えていたこと。

長宗我部氏は元親の4男、盛親の代で憤死するのですが、一族が山内家に仕えていたとは初耳でした。

「龍馬伝」で、最近山内容堂から「解説」があったとおり、征服者の山内家と被征服者の長宗我部家は犬猿の仲。

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幕末の動乱期も、この対立が根っこにあったため、長宗我部の家来であった下士の連中がばたばたと路上に倒れていくということになっています。

五郎右衛門は家の格は下士ながら、職務は上士の扱い。

山内家の懐柔方針、五郎右衛門の屈辱を堪え忍びながら、「土佐で生きる」姿勢が感じ取れます。

戦場で華々しく死んでいく道、山内と同化して生きていく道。

さまざまな道を選択しながら生を終わり、生を紡ぐ。

人って、はかなくも、たくましいものですね。

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