
将棋の最近のブログ記事
厳寒からあたたかくなって、また寒くなった日曜市。
行き交うお客さんも上着を脱いだと思ったら、完全防寒姿に逆戻りです。
でも確実に春は訪れ始めている。
それを感じさせるのが菜の花です。
黄色くかれん。
この花を見るたび、「菜の花は薹(とう)が立ってから咲く」という言葉を思い出します。
将棋の米長邦雄・将棋連盟会長が、現役時代、悲願の名人位を獲得したときに、こう述べました。
当時、米長さんは49歳。実力派として知られ、数々のタイトルを獲得していましたが、名人位は6度チャレンジするも、ことごとく跳ね返されていました。
米長さんの挑戦を5度阻んだのが、ライバルの中原誠16世名人。
2人は名人戦を初め、数々の名局を残しています。
薹(とう)は花の茎のこと。
茎が伸びるとかたくなって、食べごろを過ぎることから、盛りを過ぎるの意味。
「菜の花は薹(とう)が立ってから咲く」
米長さんの名人位にかけた思いと、苦難の末、大願成就した万感の気持ちをよく表しています。
50歳名人は当時話題になり、米長さんは「菜の花名人」とも呼ばれました。
どんなにとうが立っても、盛りを過ぎた年齢になっても、人は花を咲かせることができる。
以前に紹介した「われらの春秋はこれからだ」(宮城谷昌光さんの「買われた宰相」)と同じく、懸命に生き続け、年齢を重ねる人々をずっと勇気づけてくれる言葉です。
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「将棋界の一番長い日」というのをご存じでしょうか?
プロ棋士の順位戦システムは、A級、B1、B2、C1、C2の5ランクに分かれています。
A級を中心とするピラミッド型になっており、それぞれのクラスで、リーグ戦を行って、上位何名かが上のランクに上がれる仕組み。
それとは逆に同じクラスで、悪い成績の何人かが降級します。
A級ではこの過酷なレースを上り詰めた10人が、星を争い、一番成績のいい人がその年の名人戦の挑戦者になれます。
「将棋界の一番長い日」はそのA級の年度末の日をずっと中継する番組。
名人挑戦者が生まれる瞬間、健闘むなしく下のクラスへ落ちる人の挙措動作を映し出します。
昨日の放送、深夜まで見ていましたが、さまざまなドラマがありました。
特に3年ぶりの名人挑戦権がかかった森内俊之九段と降級の心配がある久保利明棋王・王将との対決は、延々と対局が続きました。
敗れたとはいえ、久保さんの最後まであきらめない粘りと気迫には胸が熱くなりました。
個人的には「藤井システム」の生みの親である藤井猛九段が陥落したのが、残念。
藤井さんは理論派で、文章もうまく、華があります。
四間飛車党なので、大ファンです。早くA級に復帰してほしい。
もともと将棋界には現将棋連盟会長の米長邦雄さんの有名な「米長理論」というのがあります。
それは、昇級や降級に関係ない対局にこそ、全力を尽くせというもの。
勝ち越しを決めていて降級することはない。しかし、昇級あるいは名人位挑戦者にはとどかない棋士がいたとします。
その一番を落とすと降級が確定する相手になった場合、人情的には、別に星を落としても自分自身には、ほとんど影響がないので、わざと負けるということはないにしても、将棋が緩む恐れがある。
でもそういう緩みのある将棋を指していると、自分にとってのここ一番の勝負でツキに見放されてしまう…という考え方です。
この考え方は将棋界に広く浸透していて、相手がどんな状況でも、すべての棋士は全力で相手を負かしにかかります。
持病をかかえ、青息吐息の故村山聖九段に、不利な局面から粘りに粘って逆転勝ちした丸山忠久現九段は、「それでこそ将棋指しだ」と仲間から賞賛されました。
考えてみれば、自分が星を相手に譲ってあげたとしても、ほかの降級すれすれの人に影響を与えるわけですからフェアではないですよね。
この厳しさが、将棋界のすがすがしさを支えています。
プロとアマの差が最もあるのは将棋と相撲だと言われていますが、八百長はありえない将棋界が一番厳しい勝負の世界であることは疑いようがありません。
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以前、神戸新聞社の記者だった中平邦彦さんが書かれた本の中で、中原誠・16世名人について述べられていたことを正確にではないですが、記憶しています。
つらいとき、苦しいとき、あるいは普通の日常でも、頭の中にこの人の笑顔を思い浮かべたとき、心が明るくなる人がいる。
それが中原誠・16世名人だと。
中原さんは、活躍し始めた時期に「若き太陽」と呼ばれていましたが、まさにその笑顔は太陽そのもの。
当時の写真を見ても、周囲を照らすような温顔です。
04年の2月、当時の丸山―谷川の棋王戦の際に高知を訪れた中原16世と同席する機会がありましたが、間近に見る笑顔はとても魅力的で、オーラを感じました。
上の中平さんの言葉を中原先生に伝えると、照れた表情がまたよくて、幸せな気持ちになったことを覚えています。
日曜市の店主さんの中にも、笑顔を想像するだけで、心の中が晴れてくる方がたくさんいらっしゃいます。
ほんと心を和ましてくれる、すてきな方々が多い。
ただ、ここではたと気がつくのですが、どんな人でも笑顔は見ている人に好印象を与えますよね。
中原先生や日曜市のおばちゃんほどでなくても、笑顔と笑いは周りの人を明るくします。
自分が周囲にどれほどの笑顔を見せているかと考えると、心もとない気持ちになります。
笑顔の連鎖は、世の中を明るくする。
その端緒はまず自分からですね。
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きょう南海王将戦第1局が終了しました。
永森広幸・南海王将に、中村中2年の中脇隆志君が挑む第41期南海王将戦。
永森さんは19期もタイトルを保持している強豪です。
南海王将戦では升田幸三さんみたいに大豪と、言っていいでしょう。
対する中脇君は史上最年少、14歳の挑戦者。
若武者というには、幼すぎる気がしますが、将棋という頭脳ゲームに年齢は関係なし。
ずっと棋譜の中継をしていましたが、ちょっとした中脇君のミスをとがめた永森さんが快勝。
無理に攻めにこようとする中脇君を「受けつぶし」に出て、最後は大差がついていました。
残念でしたが、最近若い人がなかなか出てこない高知の将棋界。
中脇君やたくさんの若手が名乗りを上げて、盛り上げてほしい。
読みを養うには、将棋は最適です。
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高知市の「藤並神社」と言われている場所が、日曜市の西端にあります。
とはいってもここに神社はない。
もともと、山内家の初代、一豊と千代(司馬遼太郎さんの「功名が辻」で有名)らを祀るためにできたものですが、戦災で焼け、現在の山内神社(三翠園西)に合祀されたらしいです。
ここを訪れると、パチパチと駒を打つ音がいつも聞こえてきます。
縁台将棋、青空将棋が行われているんですね。
年会費をいくばくか払えば、いつでも指せるみたいです。
いずれもなかなかの熱戦で、「こりゃ、もういかん」などと口で「三味線を弾き」ながら、虎視眈々(たんたん)と逆転を狙っている人、大差をつけ、口がほころんでいる人、やけくそで勝負手を放つ人など、みんな生き生きとした表情をしています。
ギャラリーも多く、興味深げに見入っています。
昔は家に縁台があり、その上で夕涼みがてら、近所の人が将棋を指している姿が見受けられましたが、今はそんな光景も亡くなってしまいました。
今でも中国に行くと、中国将棋を指している方たちがいて、その姿は日本の「縁台将棋」そのもの。
ネット将棋もいいですが、顔の見える縁台将棋の方が、より人間的。
コミュニケーションの道具として、縁台将棋が復活すれば、社会にもっとゆとりができるのだけど。
藤並の青空将棋も長く続いていってほしいです。
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ただ目を上げて、静かに自分の命を燃やすことなのだ。
「聖(さとし) 天才・羽生が恐れた男」(山本おさむ著、小学館)
※11年前に29歳の若さで、亡くなった将棋の村山聖(さとし)九段。その生涯を描いたコミックから。
幼少から難病のネフローゼを患い、全力で走ることも、運動もできない聖。病院で病と闘いながら、同じ境遇の子どもたちの死に次々に直面する。
絶望の毎日。しかし彼には将棋がありました。
「指すことは生きること」
聖は、将棋の中で、病気になって初めて、全速力で思い切り走っている自分を発見します。胸打つ鼓動、駈けめぐる全身の血。
「直人くん 友子ちゃん… 僕は生きていま、将棋を指している
将棋の中には全てがある 悲しみも喜びも」
将棋を習ったのは父に。そして、将棋と生きることは死んでいった仲間に…
幼くして逝ってしまった友は、何のためにこの世に生まれ出てきたのか?
なぜ人は生きるのか?
将棋の才能に目覚めた聖は、プロへの登竜門である奨励会に入会し、驚異的なスピードで駈けあがっていきます。
しかし、プロの世界は、脱落者が7割の狭き門。
またプロになっても名人を目指して熾烈な戦いの日々が待っています。
自分が生き残るには、相手を蹴落とす、相手を殺すしかないのか。
虫も殺せない聖は悩みます。
悩んで悩みぬいたはてに達した境地が冒頭の言葉。
どんな立場の者も、どんな職業に就いている者も、どんな国籍を持つ者も、すべての「生きる」者たちは、静かに自分の命を燃やすしかない。
のんべんだらりと生きている自分に、この本はいつも生きる意味を問いかけさせ、「喝」を入れてくれます。
生涯、死を身近なものとして、何かを成し遂げようとした村山九段の一生は、私たちに生きる力をを与えてくれます。
毎年発行されている将棋年鑑では、それぞれの棋士に来年の目標を聞くのですが、晩年の村山さんは、ひと言だけ。「生きる」。
薄れゆく意識の中で最後につぶやいた彼の言葉は「2七銀」でした。
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昨日、高知市の帯屋町を歩いていると、机の上に将棋盤が置いてあり、子どもたちや青年を中心に将棋を指しているじゃありませんか。
うーん。昔懐かしい縁台将棋の雰囲気。
高知ではお城の下の藤並神社の縁台将棋というか、青空将棋が有名ですが、商店街アーケード下の路上での将棋は初めて見ました。
主催しているのは高知の棋士團(きしだん)。ネーミーングがいいですね。
若手の将棋愛好家集団と聞きました。
何でも高知市内の将棋好きの若い人たちが、3カ月おきにトーナメント戦を行ったり、普及に努めているそうです。
中央公園のイベントで、こういうイベントをやりたいと言ったら、それならぜひ日曜日の帯屋町商店街で、ということになったらしい。
題して「びっくり体験将棋広場」。
子どもを中心に将棋の楽しさを知ってもらおうという催しです。
将棋が好きな子どもさんも訪れ、パチパチ。年齢も職業もさまざまな人たちが、将棋というゲームに熱中する姿は、ほほえましい。
将棋ファンの私はうれしくなってしまいました。
時間が合えば、棋士團のトーナメントや会合に参加してみたいです。
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昨日の高知新聞朝刊22面に、高知県内指折りの少年棋士、長瀬暉(ひかる)君=9つ、土佐市蓮池小3年=の話題が掲載されていました。
暉君の一日は将棋漬けだそうです。登校前の朝7時から棋譜並べや詰将棋。帰宅して宿題が終わるとすぐに将棋の本を読み、インターネットで全国の見知らぬ強豪と対局。
将棋を初めて1年少しで、小学生県代表として全国大会に出場し、県内アマ強豪が集う9月の南海王将戦では、大人2人を破って本戦へ。
本戦で当たった元南海王将の永森広幸六段に負けましたが、その活躍ぶりに注目が集まっています。
将棋を知らない方は、「大人に勝つとはすごい。天才少年では?」と思われるでしょうが、全国に彼のような少年はたくさんいます。
将棋は頭脳ゲームなので、年齢、性別は強さに関係ありません。特に若い時、集中して将棋に励むと棋力(将棋の力)は急成長します。並みの棋力の大人をすぐ、負かしてしまう。
そして、地域の天才少年たちがプロを目指してしのぎを削るのが奨励会。
そこで、リーグ戦を行い昇級し、勝ち残った者が晴れてプロ棋士になります。
7級から三段まであり、三段を抜けて四段になるとプロになれます。原則、満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会に。
この厳しさは尋常ではありません。すべてのスポーツ、ゲームにおいて、最もプロになりにくい、すなわち、アマとプロの差が最も大きいのが将棋ではないかと思います。
その中で、中学生でプロになったのは、これまで加藤一二三九段、谷川浩司九段、羽生善治四冠、渡辺明竜王の4人だけ。いずれも棋界の最高峰である名人か竜王のタイトルを取っています。
プロ棋士は天才集団から勝ち上がってきた者たち。タイトルを取る人たちは、まさに天才中の天才ということになります。
プロになる人は、5歳くらいから将棋を始めている人が多いので、プロを目指す暉君の場合も将棋を8歳で始めたのが早いともいえないんです。
この過酷なレースに挑む暉君に胸が少し痛くなると同時に、幼い時から一心不乱に一つの道を究めようとする者への羨望を感じます。
道は険しくても、目標を持って懸命に精進することは、きっと人生に豊かな実りを持たらすでしょう。
★将棋に関する記事は→こちら
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「すべての駒に喜びを」の金言を思い出させる一手
26日付高知新聞18面第35期棋王戦予選特選譜の第1局観戦記
※新聞の片隅に掲載されている観戦記。将棋の分からない人には棋譜の部分は分かりにくいでしょうけど、それ以外のところを読んでみると、面白い発見がありますよ。
観戦記を書いているのは将棋ライターの後藤元気さん。元奨励会員で、渡辺竜王の兄弟子に当たる方です。
将棋は、囲碁と並んで2人で対戦する盤上ゲームとしては、その奥深さ、面白さは世界のゲームの中で最高峰だと思います。
将棋のルーツはもともとインド(チャトランガ)に発生しており、西に進んでチェスに。東に来て将棋になりました。
チャトランガ、チェス、将棋などは、戦争を模していますが、チャトランガの発生は戦争好きの王様に戦争を止めさせるために考案されたという言い伝えがあります。
将棋とチェス(似たゲームに中国象棋=シャンチーあり)は盤上の王様の駒を詰める(動けなくする)ところは同じですが、将棋の場合は相手から取った駒を使用することができます。
対戦ボードゲームで、相手の駒を再使用できるのは日本の将棋だけ。
このルールが、終盤になればなるほど無限に手が広がっていくという変化の複雑さ、奥行きを与えました。
将棋が盛んになったのは戦国時代から。一説によると、日本の人口は少ないので、戦争で捕虜を殺してしまったのでは、国自体が成り立たなくなる。そこで、捕虜になった兵隊をあまり殺さず、殿様自ら家臣として、雇い入れた。
その流れが、将棋というゲームに反映されたということです。真偽のほどは分かりませんが。
将棋にはさまざまな能力を持った駒がたくさんありますが、能力に応じて、適材適所に使うことが将棋に勝つ秘けつです。
すべての駒に喜びを与えるような使い方をする。棋力が上がれば上がるほど、すべての駒を機能的に働かせるようになります。
プロ将棋を鑑賞していると、駒を使うあまりのみごとさに、「これは芸術だ」と感じる瞬間があります。
従業員や社員を駒に例えるのは不穏当ですが、すべての社員に喜びを与えることのできる経営者は間違いなく、いい経営者でしょう。
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後回しにできる手はあとまわしにする
(「最新戦法の話」 勝又清和著 浅川書房刊)
※将棋における定跡(先人や現在の棋士が試行錯誤の末、開発してきた序盤の最善手)が体系化してきた現在。
著者の勝又清和六段はいろいろな戦法を分析し、徐々に「後回しできる手はあとまわしにする」思想が出てきたと説きます。
例えば「飛車先不突矢倉」。もともと「矢倉戦法」(囲いを城郭のやぐらのように組み上げることから名前が由来)は居飛車(飛車を元の位置から動かさずに戦う)本格派の戦法で、飛車先の歩をどんどん突いていくのが常識でした。
それが徐々に歩の歩みを後回しにするようになり、ついには歩をつかない形が登場した。
それは、囲いを優先的に組み上げるとか、端に狙いを定めるとか、ほかに先に指しておけば有効な手順が発見されたからなんですね。
また振り飛車(飛車を元の位置から動かして戦う)の「藤井システム」(このシステムは将棋の革命だと思っています)。
振り飛車は元来、守備を重んじる作戦で、しっかり囲ってから、駒をさばいていくのが常識でした。
それが、居飛車穴熊戦法(金銀3枚か4枚で、盤上の端っこに、穴蔵に潜った熊のように王様を囲う)対策として、居玉(まったく玉を動かさない)で、攻めるシステムが開発されました。
後回しできる囲いはあとまわしにして、「穴熊にもぐるようだったら、がんがん攻めていくぞ!」とプレッシャーをかける。
幾百のプロ棋士が、能力の限りを尽くしてできた「道」が戦法や定跡です。それはゲームにおいて勝つための合理性が導き出したものだといってもいいでしょう。
その中で出てきた「後回しにできるものをあとまわしに」という思想は、とても深い意味を持っていると思います。
将棋に興味を持たない人には退屈だったかも知れません。
この思想を生活に応用しようとしたら、自分にとっての優先順位をはっきりさせるということでしょうね。
最重要じゃないことを思わずやってしまうので、自戒の意味を込めて、かみしめたい言葉です。
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