
龍馬伝の最近のブログ記事
週刊現代の新年号に、「龍馬伝」の大友啓史監督が、お龍役の真木よう子さんにインタビューしています。
「魔女の宅急便」から演技に目覚めた幼い真木さんが、せりふを覚えて一人芝居をしていたこと。
役を演じる上での葛藤など、監督にしか聞き出せないようなエピソードがたくさん盛り込まれていて、とても面白く拝見しました。
「龍馬伝」の「う~み」のエピソードも。
(c) .foto project
笑わないお龍に、龍馬が「おまんは、もっと愛想良くした方がえい。『う~み』ゆうてみ」とうながす。
この言葉を口にすると、自然に口角が上がり、笑顔の表情になる。
「そうじゃ。まっことえい顔じゃ」の龍馬の言葉に、お龍の心がほぐれていく。
脚本の福田靖さんの見事な構成です。
そして「龍馬伝」ラスト。
桂浜に暗殺されたはずの龍馬がたたずむ。
龍馬の家族とともにこの地を訪れた傷心のお龍に、龍馬は「う~みじゃぞ、う~み」。
そしてお龍の輝くような笑顔の「う~み」が画面いっぱいに。
「龍馬伝」が終了して3カ月後に東日本大震災が起こります。
多くの家や家族を失ったみなさんの悲しみがいえることはないでしょうが、龍馬を失ったお龍も同じです。
彼女はその後、幸せな人生を送ったとはいえませんが、それでも龍馬の思い出とともに生き続けた。
どんなにつらく悲しいことがあっても、それまでの人生を肯定し、とにかく口角を上げて、笑顔を作ろう。
「龍馬伝」の結びは、被災者のみなさんや、寄り添うわれわれへの力強いメッセージになっていることに気が付きました。
笑顔で乗り切り、来年はいい年に。みなさんのご多幸を心より祈っています。
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早いもので、「龍馬伝」が終わってからもう1年ですね。
昨日は「龍馬の誕生祭」イベントが高知市の各所で行われました。
生誕地の上町病院前では、たくさんの人だかりが。
龍馬は176歳になり、ますます注目が集まっています。
「生まれたまち記念館」では、彼の盟友でご近所さん、近藤長次郎の「ちょうじろうまんじゅう」がふるまわれました。
ご相伴にあずかりましたが、あんこがあまくて、ふわふわの生地。とてもおいしかったです。
同館の中庭には、龍馬の座像があるのですが、その右隣りに長次郎の座像ができて、お披露目されていました。
龍馬と長次郎の間には、長いすが置かれています。
これから何人の人が二人の間に座って写真を撮影するのでしょうか。
誕生日はすなわち、龍馬の命日でもあるので、全国的にも京都のお墓を始め、さまざまな催しがありました。
「わしは、命を使い切ったじゃろうか?」
「龍馬伝」の最後のせりふが、今も心に残っています。
「命を使いきる」の意は、全身全霊をかけるに値することを見つけ、集中する、夢中になることと、解釈しています。
そういう時間をできるだけ持ちたい。
龍馬の命日、誕生日が来るたび、これからもこの言葉を思い起こすことでしょう。
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きょうの高知新聞朝刊29面、社会1面のトップ。
桂浜龍馬像の両隣に、武市半平太と中岡慎太郎の銅像レプリカを置く問題での議論についての記事が掲載されています。
高知県観光振興部の企画で、「志国高知 龍馬ふるさと博」が開催される3月5日から5月末までの3カ月間の予定です。
すでにレプリカは発注されており、6月からは龍馬像のレプリカを作り、JR高知駅前に置く計画。
「時代を超えて再会した龍馬、半平太、慎太郎の志を伝えたい」との趣旨でしたが、「安易な発想」、「違和感がある」との反対意見も。
森健志郎・高知県立坂本龍馬記念館長がツイッターで、この件について意見を募集すると、「龍馬像がここにある意味を分かってほしい」などのつぶやきが寄せられています。
期間限定なので、それほど目くじらを立てることもないかとも思います。
でも、司馬遼太郎さんは、銅像の立つこの空間が世界で唯一の場所であると、おっしゃってます。
「世界じゅうで、あなたが立つ場所はここしかないのではないかと、私はここに来るたびに思うのです」
「大きく弓なりに白い線をえがく桂浜の砂は、あなたの清らかさをあらわしています。この岬は、地球の骨でできあがっているのですが、あなたの動かざる志をあらわしています」
「さらに絶えまなく岸うつ波の音は、すぐれた音楽のように律動的だったあなたの精神の調べを物語るかのようです」
「そしてよくいわれるように、大きくひらかれた水平線は、あなたのかぎりない大きさを、私どもに教えてくれているのです」
「竜馬がゆく」を執筆する前に桂浜の龍馬像を訪れた司馬さんは「全霊をあげて、あなたの心を書く」と誓ったそうです。
龍馬にとって、桂浜は世界を見る目を養ってくれた特別の存在です。
それと同様に、桂浜は、龍馬像が立つことで龍馬の精神を表す「特別な空間」になったといってもいい(思わず司馬さんふうの物言いになってしまいました)。
3カ月の短期ではあるけれど、この期間にそれこそ、一期一会で、生涯ただ一度だけ、龍馬像を訪れる方もいらっしゃるはず。
その人たちは、龍馬像と彼の精神の開放性をあらわす広々とした空間を味わうという唯一無二の機会を奪われてしまいます。
龍馬本人は、小さいことを気にしない性格ですので、「こんまい(小さい)こといわんじゃち」と笑うかも知れません。
ただ司馬さんが生きてらっしゃったら、迷わずこの企画に反対されると思いますね。
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「龍馬伝」が終わって早2カ月がたちますが、ひとつ心にずっととどまっている劇中の言葉があります。
「みんなが笑って暮らせる国」。
こういう国を龍馬は理想としたとの解釈。
幕末当時は封建制、身分制があり、職業選択の自由もなく、世襲で仕事の流動性はなかった。
飢きんや天災の時は、たくさんの犠牲者が出る。西洋の国々は虎視眈々と国をうかがっている。
先の大戦を経て、曲がりなりにも民主主義国家になり、飢餓状況も大幅に改善され、街を歩いても安全。国民皆保険で、病気になったら気兼ねなく病院へ行けます。
システムとしては「龍馬が目指した国」は十分実現しています。
ただ、「みんなが笑って暮らせる国」ということころまでは言っていません。
というか、世界中見渡してもそんな国はどこにもない。
たぶん追っても追っても、実現しない夢なんでしょうね。
ただ、国外へ出ていつも思うのですが、こんなに安心で、安全で、清潔で、サービスが行き届いている日本のような国はありません。
ひょっとしたら「龍馬伝」の龍馬が目指した「みんなが笑って暮らせる国」に一番近いのが現在の日本かも知れません。
少子化、国の財政問題、不況、就職難と、最近暗い話題ばかり多いのですが、もっと自らの国に自信を持ってもいいのではないかと思います。
あとは各人が意識的に笑顔を保つようにすることが肝要かと。
何事も笑い飛ばして、元気に生きていれば、きっといいことがある。
そう信じる楽天性があれば、日本は大丈夫。
みんなが笑顔になって、その笑顔を「輸出」できれば、世界は平和になる。
こういった土佐人的なラテン思考が世界を救う気がします。
ああ、極楽とんぼ。
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もう先月の話になりますが、映画「武士の家計簿」を見ました。
「日本の夜明けぜよ!」という咆哮(ほうこう)も、斬り合いもない、武士の日常を淡々とした描いた異色の作品。
もともとは歴史学者、磯田道史さんのノンフィクション。
幕末。加賀藩に「御算用者」(ごさんようもの、会計管理者)といわれる行政職がありました。
猪山家は代々「御算用者」の家柄なのですが、ソロバンが扱えるというのは、特殊技能なのですね。
その猪山家の「家計簿」が磯田さんによる大発見。
これを読み解くと、猪山家の家計は火の車だったことが分かります。
先代が江戸詰であったことが、無駄遣いの原因の一つだったらしいのですが、主人公の猪山直之(堺雅人)はこのままでは家計が破産状態になると判断。借金返済のために一大決心をする。
とにかく家財道具を売れるものは何でも売り払って、借金を返す。
それでも借金は残ります。
あとは債権者に相談して、利息をゼロにしてもらい、長い期間をかけて少しずつ返済していく。
よく債権者が納得したと思いますが、家財を売り払ってまで借金を返す意志を見せたことと、綿密な返済計画が効いたのでしょう。
債権者も取りっぱぐれになるより、いいですからね。
武士は一般的に計算が弱い。家計が破たんする家も多々あったことでしょう。
江戸も後期になって商品経済が発達してくると、年貢米で生活していた武士は困窮、商人に富が集まってくるということになります。
坂本龍馬の本家、才谷屋は質屋もやっていました。
これも磯田さんの説ですが、龍馬は本家に行った際に、上士連中が刀を質に頭を下げてお金を借りている姿を見て、「上士はいばりくさっちゅうけんど、案外たいしたことはない」という考え方が芽生えたのではないか。
幕閣や大名の知己を得て縦横無尽に行動する脱藩後の龍馬を見ていると、身分が低いのにも関わらず、上士やその上の階級に対するプレッシャーが少ないように感じます。
龍馬は一般の武士に比べて、その出自から経済観念を持っていたのが、大いなるアドバンテージとなったのですが、これは余談。
猪山家はこの財政改革によって、破産の危機を脱し、命脈を保ちます。
この映画を見て、どうしても連想してしまうのが、人類史上初といわれる900兆円の借金を抱えるわが国の「家計」です。
これをそのままに放置しておくと、子々孫々まで禍根を残す。
今手を打たないと、どうしようもなくなることが分かっているのに、なかなか有効な手段が取られていません。
もし財政がどうにもならない状況になると、必然的に社会的弱者にしわ寄せがいくことになります。
政府だけではなく国民も、猪山直之のような「覚悟」を決める時が来ているのではないでしょうか。
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きょうの高知新聞朝刊19面「新聞を読んで」。
コピーライターの池田あけみさんの随筆ですが、秀逸でした。
「私たちはいつまで龍馬におんぶし続けてけていくのだろう」という言葉は高知県人にとって耳が痛い。
昔、司馬遼太郎さんが「土佐人が龍馬、龍馬と騒ぐのは、劣等感の裏返し」ということを高知の講演で話してました。
その場で聞いていて、ちょっと恥ずかしくなり、「そのとおりかも」と感じたことを思い出します。
池田さんは、総務省の「地域づくり総務大臣表彰」で大賞を受賞した馬路村農協の東谷望史組合長や大月町のコーラルフルーツ大月農場の例を引きながら、現代を生きている「土佐の龍馬」、正確にいうと、少しでも龍馬たらんとしている人たちを、応援しようと、述べています。
また、桂浜の龍馬像を建てた青年たちのことを挙げて、「私たちは龍馬やその高知県青年たちと同じ土佐の遺伝子を持つ土佐の子どもなのだ」と話し、「『龍馬伝』は今年でぱっと脱ぎ捨てて、また新しく歩き出す方がかっこいいのに」と主張する。
高知県人にとって励まされる発言。
ただ、土佐人だけでなく、龍馬の志を継ぐ者、龍馬的に生きようとしちゅう人間は全国にいっぱいおる。
ソフトバンクの孫社長もそうでしょう。
また孫さんを高知へ呼び寄せることに力をそそぎ、全国を歩いて、高知でのパブリックビューイングに尽力した、ツイッターの坂本龍馬こと吉冨慎作さんなどもしかりです。
池田さんによると、東谷組合長は、27歳の時に龍馬の夢を見たそうです。
龍馬は「おんしゃの生まれた時代に、おんしゃもすることがあるろうがや」と言って消えたとのこと。
土佐人にかかわらず、龍馬好きなら肝に銘じたい、いい言葉ですね。
龍馬にはなれなくても、できることから、龍馬をまねることはできるはず。
ずぼらだけは彼に似ている自信はあるのですが…。
なんて言ってないで、あすから、いや今から少しでも。
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師走に入ったきょうの日曜市は、さすがにやや肌寒く感じられました。
これから、南国高知も「しび凍る」(とても寒い)冬がやってきます。
といって、割と体は身構えているのに、なかなか本格的に寒くならないですね。
もう12月ぜよ。
「龍馬伝」も終わり、きょうから「坂の上の雲 第2部」。
もうちょっとだけ、「龍馬伝」に浸ると、山内容堂は、よく酒を飲んでましたね。
新橋、両国、柳橋、夜の明けるまで飲み続け、いつでも「酔って候」。
2升入りのヒョウタンで、公家をおどかす無頼酒…。
ということで、日曜市を歩いていたら、ヒョウタンを見つけました。
5丁目南333番、池澤清美さんのお店。
水につけておくと、中の部分が腐り、空洞になるとか。
その中に、酒や水などを入れるのですね。
昔から、飲料水の容器といえば、このヒョウタン。
作るのに、ちょっと手間がかかるそうですが、手作りヒョウタンはインテリアとしてもいいですね。
中にお酒を入れて、「飲みねえ、飲みねえ」とやってみたい気もします。
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「JIN―仁―」好きが高じて、企画展「漫画家・村上もとかの世界」に行ってきました。
企画展が行われているのは大和市つる舞の里歴史資料館。
村上さんは、大和高校出身です。それが縁で来年1月23日まで開催されています。
月曜日及び12/29(水)~1/3(月)が休館。 ※1/10(月)は開館し、1/11日(火)は休館。
村上さんのデビュー作から、これまでの軌跡がたどれるようになっていて、貴重な原画もたくさん。
精緻な絵に、ほれぼれして、時の経つのを忘れてしまいました。
そして歴史を追いながら、村上ワールドを再確認。
こうやって改めて見ると、骨太の作品が多いですね、。
初めての大ヒットとなった「赤いペガサス」に「六三四の剣」、そして「龍―RON―」から「JIN―仁―」まで。
中でもつながれた手が離れていく一瞬を描いた一枚の絵で思い出しました。
強烈な印象が残る「岳人列伝」。
なぜ人は山に登るのかを深く掘り下げ、考えさせられた作品でした。
みなさんもぜひ村上ワールドへ。入場無料です。
今なら、仁と龍が裏表の美しいクリアファイルがもらえるかも。野風と咲さん、仁と龍馬が描かれていて、ファン垂涎の逸品です。
そして、そして、なんとJIN(南方仁)先生からの手紙が置いてありました。
それによると、何でも龍馬が刺客に襲われ傷を負ったとか。
龍馬さんを救うため、ペニシリンを届けてくださいということでした。
それも、もう一つの展示会場である下鶴間ふるさと館まで。
しかも途中出されるクイズを解きながら。
よっしゃ、分かった。そりゃあ、龍馬のためやったら、なんじゃあち、やっちゃる。
ということで、めでたくペニシリンを届け、龍馬を助けることができました。
よかった。このまま龍馬を死なせたら、私の住まいの近所に住む乙女姉やんに顔向けができないところ。
御礼にオリジナルポストカードをいただきました。
仁と咲さんのこぼれるような笑顔で、こちらもうれしくなりました。
東京から行くと、ちくと遠いですけど、このようなクイズラリーもあって楽しめます。
年末の仁再放送の前に、もう一度あの幕末世界に浸ってみてはいかがでしょう。
龍馬もこれから大活躍。しばし「龍馬伝」終了の一抹の寂しさから逃れられそうです。
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「龍馬伝」終わってしまいましたね。ちょっと脱力感。
何をしたわけでもないのに、この1年、龍馬と一緒に走ってきた気がします。
あすから「龍馬伝」の感想など、まとめてみようかなと思っています。
最終回の昨日は高知駅前で「龍馬伝」最終回のパブリックビューイングと龍馬の兄嫁、千野を演じた高知出身の島崎和歌子さんと、大友啓史チーフディレクターのトークショーが行われました。
大友さんは2週刊前に「土佐の大勝負」のPVでも、来高されています。
島崎さんは、バラエティ慣れしてるだけあって、当意即妙に会場を沸かせていました。
彼女のほんもののおばあちゃんが会場にいたのは、演出ではなかったと思いますけど。
重苦しい場面が多い「龍馬伝」。アクセントをつけるため、「坂本家はとにかく明るく」ということだったそうです。
食事も必ず土佐の料理が出ていたとか。
リュウキュウにブシュカンもあったそうで、画面にはほとんど映らないけれど、このこだわりがリアリティを出すんですよね。
笑いのうずに包まれていた会場に、驚きのどよめきがおこったのは、武市半平太役の大森南朋さんと土佐勤王党のメンバー3人が、会場に飛び入り参加したときでした。
大森さんは「高知のみなさんに、ぜひあいさつしたかった」。うれしいです。
そして「『龍馬伝』はきょう終わるけれど、龍馬は人々の心にずっと生き続ける。この作品に参加できて、本当によかった」と話してました。
大森さんは、もともと龍馬が好きで、半平太役の話が来たとき、違和感を感じたそうです。
大森・龍馬もいつか見てみたい気がします。土佐弁ばっちりだし。
ディレクターの大友さんは、龍馬伝にまつわる興味深い話を次々にしてくださいました。
面白かったのは「高知を元気にするにはどうしたら?」という質問が飛んだとき。
大友さんは岩手の出身で、寒気にさらされる東北では、建物が熱が逃げにくい、空気が流れていかないように建てられているそうです。
それが、気温の高い高知では、建物を風が吹き抜けていく構造。
「風通しの良さ」が土佐の特性で、具体的には言えないのだけれど、それを何か生かせないか、とおっしゃってました。
一つのヒントになります。考えを深めていきたいですね。
最後に大友さんは25日付の高知新聞夕刊に掲載されていた「やまもも」の一説を朗読しました。
「やまもも」は高知県の小中学生の詩集です。
城東中1年の平田諒太君の「大河ドラマ」という作品。「龍馬伝」のことです。
(前略)
このドラマはだれの心にも
真っ赤な炎をつけてくれる
と信じている
そして
今の日本の何かを変えてくれるとも
これからはこのようなドラマから
日本を変えていき
だれもが幸せに
いやな思いをしないでいける世に
この日本が
生まれ変われば良いと考える
そう、
このドラマのようにそれ以上に
世界が生まれ変わればいい
ぼくはそう信じていきたい
これからも自分の志でずっと
頑張っていきたい
大友さんは、この詩に深く感銘を受け、「龍馬伝」を見て、こういう風に感じてもらったら、制作者としてこの上なくうれしいと、おっしゃってました。
龍馬の志が、制作スタッフに伝わり、演じる役者さんにも伝播していく。
そしてドラマを見た人が、龍馬の志を紡いでいく。
龍馬が死んでも、ドラマは終わっても、これからもずっと彼の志は、世界中の人々に伝わっていくことでしょう。
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先日、実家の墓参りに行っていて、ふと武市半平太の家に行く気になりました。
すぐ近くで、半平太の家は、高知市五台山の南にあります。
「龍馬伝」の半平太役、大森南朋さん、富さん役、奥貫薫さんの夫婦の好演もあり、さまざまな人が訪れていました。
ちょっと中をうかがうと人影が。
「中に入ってもいいですか」と問うと、「どうぞ」とおっしゃるので、入らせていただきました。
高知新聞でも紹介されていた坂本美栄さんがいらっしゃったので、「新聞を読みましたよ」と声をかけると、はにかんだような、すてきな笑顔をみせてくださいました。
教員だった美栄さんは、南国市稲生出身。
終戦から1年後、近くで農業をしていた坂本義路(よしじ)さんと結婚しましたが、嫁いできた家が、半平太の生家でした。
ちなみに坂本家は龍馬の坂本家とは関係ありません。
昭和11年に国の史跡指定を受けていたので、修理や改装もままならなかったそうです。
しかしそのおかげで、間取りや内装はほとんど半平太の当時そのままということです。
半平太は22歳までこの家に住んでおり、もちろん龍馬も遊びに来たことでしょう。
坂本さん夫妻は、長年にわたり、丁寧に観光客を迎えていましたが、義路さんは今年の4月中旬亡くなりました。
義路さんは優しい人で、けんかを一度もしたことがなく、夫婦での生活は「幸せだった」(美栄さん)そうです。
半平太と富さんに負けないおしどり夫婦ですね。
武市夫婦が見たであろう、庭をながめながら、その風景にとけ込んでいる美栄さんの自然な姿に心が和みました。
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