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2009年6月アーカイブ
私が18歳で東京に住み始めたとき、東京のとある人に、こんなことを言われました。「あなたが本当に高知県人かどうかを確かめるので、いくつか質問したい」というのです。
「よしわかった、どんな質問だ?」と言いますと、「君は、納豆と、はんぺんと、がんもどき、を知っているか?」と尋ねられました。
当時18歳の私は、この三つのうち、どれも知りませんでした。想像もつきませんでした。そもそも、納豆というと、「甘納豆のことか」と思いました。そうすると、「これはすごい! 本物の高知県人だ」といわれました。
どうやら、高知県人は、「基本的に、この三つの食べ物を知らない」という特徴をもっているらしいのです。私は、18歳まで、修学旅行以外は、ほとんど旅行もしたことがなく、外食もほとんどしたことがなく、せいぜい、自宅や、親戚の家、友人の家などで食事をした経験しかなかったため、かなり純粋培養された高知県人だったようです。
私は、納豆と、はんぺんと、がんもどきを、見たことがありませんでした。その後、東京で暮らすうちに、「納豆」は極めて頻度が高く遭遇する食べ物であり、「はんぺん」や「がんもどき」も、それなりの頻度で遭遇する食べ物であることが分かりました。
納豆は現在でも、私はあまり好きではなく、進んで食べようとは思いません。また、私は鮮魚商の息子でしたが、18歳までは、暖海魚しか基本的に食べたことがなく、ニシンは「かずのこ」しか知りませんでしたし、ホッケやサケも食べたことがありませんでした。
28年ぶりに高知に帰ってきて、なんと!定食屋の日替わり定食に、納豆の付けあわせが出るのをみて、私はがく然としました。恐るべきことに、納豆を食する文化のないはずのこの高知で納豆がでてくるではないか!という驚きです。やはり、隔世の感があります。私は化石の高知県人なのでしょうか?
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みなさま、「高知福祉機器展」をご存知ですか。「生き活きサポートセンターうぇるぱ高知」というボランティアグループを主体に、高知県社会福祉協議会が協力し、高知市朝倉の「福祉交流プラザ」で行われる福祉機器展示会です。毎年行われており、今年は第8回で、6月19日金曜日から21日日曜日まで行われました。
東京では福祉機器展が毎年行われています。しかし、高知の障害者やその家族が、東京に出かけていき、福祉用具や機器を見たり、自分の体で試してみることは、並大抵のことではありません。
そこで、「高知で」福祉機器展を作ろうと考えた有志たちが、福祉機器のメーカーや販売店と折衝を進め、成功させました。それが、これまで8回にわたり行われているものです。
福祉用具やリハビリテーション専門職の間では、この「高知の福祉機器展」は全国的に有名で、私も千葉県で活動しているころから「東京と高知には福祉機器展がある」話は何度も聞いていました。
この福祉機器展では、わが国ではまだ十分普及していない様々な福祉機器や、介護用品が展示されているのみならず、実際に、障害者が器具を使用してみることができます。
出展カテゴリーは、福祉車両、住宅改修、視覚・聴覚、ベッドまわり介護用品、リフト、靴、おしりまわり(オムツなどの排泄用具・器具等)、自助具、食品、キッズ・コミミュニケーション(子供の医療・福祉・介護相談等)に大きく分かれます。
車椅子をとっても、実に多くの種類のものが展示され、担当者が懇切に利用者に説明しています。
オムツひとつをとっても、「オムツのファションショー」という写真のようなイベントで説明されるものだけでも多種多様です。そのほか、様々なセミナーが会場で開催され、専門職がケアの方法や、リハビリテーションや、在宅医療などについて知識を深めるイベントが盛りだくさんです。
トランポリンのコーナーもあり、障害者がトランポリンに乗ってリラクゼーションやリハビリテーション体験もできます。
北欧の福祉先進国では福祉機器センターが地区ごとにあり、そこで多種の福祉機器・用具を試すことができ、非常に活用されていると聞きます。しかし、わが国では、在宅介護支援センターなどに福祉用具の展示が行われていますが、有効に機能していません。
実は、高知で行われるような福祉機器展が日本各地の地方都市で試みられていますが、ほとんどの福祉機器展が挫折しているそうです。高知の福祉機器展のみが、なぜ、このような活力を持って生き残り、発展しているのか。
それは、行政主導でもなく、企業主導でもなく、志をもった有志が、その主体だからだと私は思っています。
実行委員会を見ても、うぇるぱでの中核スタッフの度重なる夜間の打ち合わせを見ていても思うのですが、そこは「損得掛け値なしの労働や活動」で満たされています。
ともかく、やりたい人が思いを持ってやってきて、思い思いの作業をし、深夜まで打ち合わせや準備にいそしんでいます。魅力的な人たちが魅力的な仕事をしているので、人が集まるという構造です。
これが、例えば、行政主導だと、担当者が代わるたびに内容が変わったり、熱意のある担当者が移動するだけで低迷しそうです。
また、行政主体では、いろいろな圧力団体に気を回す必要があったり、展示をする企業に平等に展示機会を与えようとするあまり、必ずしも面白くない内容になったりするのかもしれません。企業主導でこれを行うとしても、利益率を計算すると、こんな高知のように中央から離れたところで、費用対効果を単純に計算するだけでは困難に満ちています。
しかし、高知福祉機器展は、しっかり継続しています。関係者の深い公益性への思いと、その仕事の魅力の故だと思います。高知が誇るべき財産のひとつだと、私は思います。
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28年ぶりに高知に帰ってきて、ひとつ気がつくのが、土佐弁がかなり標準語化している、という現象です。特に若い人や子供の話す土佐弁にその傾向があるように思います。
ちょっと残念に思っています。そして、私が話す土佐弁は、「お年寄りが話すような土佐弁だ」とよくいわれます。比較的古典的な土佐弁を私が話しているらしいのです。
実は私は28年前に東京に出たとき、「東京弁」と折り合いをつけるのに、それなりの苦労をした経験があります。私が学んだ関東圏の言葉を、基本的には「標準語」といわず、一応、ここでは、「東京弁」という言葉で表したいと思います。つまり、それは、(標準語の根幹になっている)東京を中心として関東圏で語られる「会話の言葉」のことです。
そこで、私が経験したその「折り合い」の話ですが、東京弁と土佐弁の違いはイントネーションばかりではありません。テレビなどで語られる標準語とは異なる、口語でのみ語られる「やっかむ」「かたす」「おっかない」などの言葉が理解できず、辞書を引いて調べました。
「言っちゃう」「飲んじゃう」などの「ちゃう」「じゃう」という言葉のニュアンスがうまく理解できず、この言葉を使用する勇気を持つまで数ヶ月の時間がかかりました。初めて「ちゃう」を使用して相手に通じたとき、まるで、初めて英語で外国人と話したときのような感動がありました。「だからさあ」「でもさあ」などの「さあ」が女性的な言葉に思え、長期間、使用する勇気を持てませんでした。
「食べられる」というと受身の意味のみならず「可能を表す」ことを知りました。しかし、その後、「羊羹あるんだけど、食べません? 和田さん、甘いもの食べられるんだっけ?」みたいな言葉を聞いても、どうしても、受身の意味に感じられ、違和感を感じ続けました。(土佐弁では可能形は「食べれる」である。また、「食べられん」というと「食べることができない」の意味ではなく「食べてはいけない」の意味になる)
あるいは、「おなかが張った」という言葉が「満腹感を表す言葉」ではなく、「不快感や病的なニュアンス」で語られることも、しばらくして知りました。(土佐弁では「おなかが張った」という言葉には、病的な意味は基本的になく、(しばしば快感を伴う)「満腹感」を表す。)
このようにして、一つ一つの言葉をクリアして修得し、東京で暮らして7年たったとき、ついに、私は関東圏で生まれた人間だと間違えられるようになりました。
「和田さんは東京出身ですか?」とか、「横浜のお生まれですか?」と言われるようになったのです。私としては、かなりの「達成感」がありました。ついに「標準語を会得した」のです。つまり、それは、「正しいイントネーションと語彙のニュアンスを含めて東京弁を話せるようになった」感触です。
その後、私の話し言葉を聴いて私の出身地を推測できる人はいなくなりました。高知出身の人と会ったときですら、私が東京弁で話している限り、私が高知出身であることを相手が察することはないようでした。
そのとき私は自覚したのですが、そのときから、私はかなり純粋な土佐弁を話すことができるようになったと思います。この段階で、私の脳の中では、東京弁は土佐弁とは別の言語として認識されました。
関東で話すときは「東京弁の脳」で話し、高知に帰省したときには、東京弁の混じっていない土佐弁を「土佐弁の脳」で話すのです。
私の中では、別の言語ですから、東京弁は土佐弁と一語一句にいたるまで峻別され、仮に同じ言葉であっても、異なるイントネーションで話されます。
意識的に土佐弁を話しているときには、土佐弁に東京弁を混入して話すことはなく、逆に、東京弁に土佐弁を混入して話すことはない…そういう感触です。
スペイン語を話す人とポルトガル語を話す人は互いにコミュニケーションできるといいます。つまり、スペイン語とポルトガル語は互いに方言であるわけです。
私の場合は、「スペイン人にはスペイン語を、ポルトガル人にはポルトガル語を話す人」というような感じで、「高知県人には土佐弁を話し、関東圏の人には東京弁を話す」という感じでやってきました。
そして、28年ぶりに高知に帰ってきて活動を始めて、高知の人の話す言葉が、単語にしてもイントネーションにしても、東京弁がかなり混在していることに、やや違和感を感じているわけです。「こうてきた」というべきところを「かってきた」と言う高知県人がいることに驚きを感じるわけです。(土佐弁では、「こうてくる」が東京弁の「買ってくる」の意味で使用するのが正しく、「かってくる」は「借りてくる」の意味として使用するのが正しい。東京弁の「買ってくる」と土佐弁の「借ってくる」のイントネーションも全く異なる)
私の中では、土佐弁と東京弁は別の言語なので、聞いていると、その混在が明確にわかり、違和感があるのです。私は(それほど年寄りでもないのに)「化石の高知県人」かもしれません。
さて、少し話は変わりますが、私は、日本の様々なところに、仕事や学会で行き、現地の人と話すのですが、おそらく、土佐弁ほど純粋に生き残っている地方言語はほとんどないように思います。
現在でも、高知県人同士が土佐弁を話しているのを、関東圏出身の人が横で聞いていると、かなり理解できない言葉が出てくることは間違いないようです。
あおぞら診療所に松戸から転勤した職員は、なお土佐弁で話される言葉が理解できない事態に遭遇し続けています。
そんなことは、他の地方では私は経験がありません。他の地方でも、「なまり」はあるのですが、ここまで決定的に標準語と異なる言語体系が日常的に使用されていることは少ないと思われるのです。
私自身、述べたように、「土佐弁という母国語を基盤として、類似言語である東京弁を数年間かけて習得した」という自覚です。
先日も、警察官が、犯人を推察するのに、「その人の特徴を教えてもらえますろうか? そうやねぇ、土佐弁で話しよったか、そうやなかったか、らあを教えてもらえます?」と
言うのを聞いて、驚きました。つまり、高知では、「話す言葉でその人間の特徴を捉えることができる」のです。
「この手の話」は、米国では聞いたことがありますが、(警官とは何度も話したことがありますが)関東で聞いたことはありません。
つまり、米国では、英語を話さず、スペイン語や中国語を話す人がおり、その言葉がその人を特徴づけるという話は聞きます。
しかし、関東で、日本人を相手にして、「使用する言葉の種類がその人の手かがりになる」なんてことは聞いたことがなかったのです。「日本人は(比較的均質な)日本語を話すに決まっている」という前提があるからです。
私の母親の実家は大正町にあります。子供のころ、大正町にいくと、言葉の違いを強く感じました。「やっちゃあせんけんねぇ」という場合などの「けん」とかの言葉が高知市内の土佐弁にない言葉だからです。
しかし、今、大正町や、窪川、中村、宿毛の方々と話して感じるのは、結局、これらはすべて、(東京弁との大きな相違に比較して)互いに非常に似た言語だいうことです。そして、これらは基本的に土佐弁の範疇(亜型)であると理解しています。
というのも、土佐弁(の亜型)を話す人同士では相互の言葉を理解でき、東京弁を話す人とのようなコミュニケーションギャップを生じないからです。
私は、高知で活動を開始し、百歳以上の高齢者とも話しをするとき、土佐弁という同じ言語で対話し、感慨深く思います。おそらく、坂本龍馬も、板垣退助も、今、私が使っているこの言葉と、ほぼ同じ言葉を話していたはずだ、と思うのです。(ただ、残念なのは、坂本龍馬と同時代の「ペリー来航を知らせる米国の新聞の活字」は読めるのに、「坂本龍馬が書いた肉筆の手紙」を私は読めないことです。話し言葉は現在に至るまで共通でも、書き言葉が異なるということはあります)
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松戸から転勤した職員たちが異口同音にいうのは、「高知は食べ物がおいしい」ということです。
私も、高知を離れて28年ぶりに高知で活動しているのですが、確かにそういう気がします。
ともかく、スーパーで買う野菜などがおいしいし、ごく普通の定食屋で出される料理がおいしいのです。これはまちがいないです。
さて、高知は日本の中でも在宅医療の供給が少ない土地で、「なかなか在宅医療は定着しないのではないか」という意見もよく聞きました。
しかし、実際に、高知市内で在宅医療を行ってみての私の感触は、「千葉県よりもやりやすい」というのが率直な印象です。
その理由は「家族が保たれている」ということが一番大きいと思います。
千葉県で活動しているとき、土着の農家の方々もそれなりの数で診療させていただきましたが、実際には、患者さんの大部分は「地方から出てきて首都圏で働いてきた人」でした。
地方の県から、学生時代などに出てきて、首都圏で結婚し、子供をつくり、定着した人たちです。
その人たちが、寝たきりや治らないがんになったとき、私たちの扉をたたかれるのでした。
「血縁親族から切り離された核家族のなかでの家庭介護」をどう構築するか、あるいは「核家族の家庭介護崩壊にどう対面するのか」が私たちの主要な仕事でした。
しかし、高知は少し事情が違います。核家族と言っても、一族が県内に居る人が圧倒的に多いのです。
また、地縁がよく保たれています。「高知の女性は働く人が多く、家での介護に専念しない」と聞いてきましたが、それでも条件がはるかによいという印象です。
そもそも、働く女性は、基本的には勤勉で機転が利くので、「所詮はマネジメントである家庭介護」構築も困難ではないのです。
改めて自分のことを振り返ってみました。私の先祖は江戸時代末には潮江(高知市内)にいたことが分かっています。
私の親族で、私が直接認識できる人だけでも50人程度が県内に在住しています。こんなことは、千葉県在住者の核家族にはありえないことです。そんなことを感じながら、高知での仕事を始めました。
【写真】あおぞら診療所高知潮江から見た虹
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その経験から、30代~40代になっても、ずっと親のスネをかじり続け、親の年金をせびったり、自分の意思に反すると親に狼藉を働いてしまう…という若者の事例を多く見てきました。
「近頃の若者は・・・」なんてことはないという前言を翻すようですが、やはり、「近頃の若者」というか(すでに若者と言うには30代~40代になってしまっているのですが)、そういう人が、いまの時代に多いことも、また事実だと思うのです。
実はこのことは、前回述べた「高度成長期に青年を生きた人は、まじめに働けばそれなりの財産を手にしている」こと、そのような財産をある程度持つ方々が、今、老人になっているということと無関係ではありません。このことについて、少し私が考えたことを書いてみたいと思います。
私は、現在は、「若年者が高齢者に比較して力を失っている社会」ではないかと思っています。例えば、戦前であれば、30歳の男性は、「妻や子供を残して戦争にいかなければならなかった」り、(平均寿命も短く、加齢により虚弱になる年齢も早かったため)「すでに年老いた父母を引き取る必要がある」ことも珍しくなかったはずです。
あるいは、その年になれば、「自分の親や配偶者の親の葬式を出す」こともしばしばあったと思われます。あるいは、お嫁さんも25歳くらいになると、衰え始めた姑よりも体力も気力もあり、「お母様には洗濯物たたみだけお願いします。井戸の水汲みとか、重いもの持つのは私がやりますからね。お料理も全部私がやりますから心配要りませんよ」とか言って、完全に家を取り仕切ることができたかもしれません。
ところが、現在、長寿社会の中で、通常、「30歳の男性の両親」は、多くの場合、健在です。健在であるばかりか、心身ともに高い能力を維持し、かつ、高度成長期に蓄えた資本も十分に持っている両親は珍しくありません。
そして、経済力でも、また、様々な社会的能力でも、息子の世代よりも力に恵まれていることは珍しくありません。65歳の男性は元気で、まだまだ働く気力があり、嘱託などの仕事をしながら、さらに孫を自動車で保育園に送り迎えする…。
64歳の女性は体力と能力に恵まれ、ボランティアはするし、家事は何でもするし、料理も30歳の嫁よりはるかに上手である…なんてことは、今の社会では珍しくありません。もう、若い人が、かんたんには年配の人にかなわない、そういう社会でもあります。
このような社会では、30歳の男性が、「虚弱になった親を引き取る」「親の葬式を出す」「命がけで戦争に参加する」という社会と異なり、どうしても、親に依存してしまう30歳の男性を生み出してしまう、そういう「温床」があるような気がしています。
親の持ち家に、30台や40台の息子が継続して住み続け、継続的な就労を行わず、両親に暴力をふるい、経済的虐待を行うなどの現象は、親の経済的蓄積と、親の身体的・精神的能力が維持されていることを前提としています。
もちろん、そればかりではなく、若年者の失業率が高率であるという社会背景もあります。
長寿社会はすばらしいことですが、「親の能力が高く保たれる」この時代において、「若い世代を積極的に独立させる手法」をとっていかないと、このような、若年世代が親に依存したまま継続するような状態が生み出されてしまうように思わます。
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