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高知市で在宅医療に取り組む医師、和田忠志さんが、医療のことや日ごろ考えること、身辺のことを自在につづります。

 

2010年7月アーカイブ

菅首相は所信表明演説で、『新内閣は、「強い経済」、「強い財政」、「強い社会保障」の一体的実現を、政治の強いリーダーシップで実現していく決意です。

まず、「強い経済」の実現です。一昨年の金融危機は、外需に過度に依存していた我が国経済を直撃し、他の国以上に深刻なダメージを与えました。強い経済を実現するためには、安定した内需と外需を創造し、富が広く循環する経済構造を築く必要があります。』(高知新聞ホームページより)と述べています。

『「強い社会保障」では、経済、財政、社会保障はそれぞれが互いに好影響を与えるものと認識を示し、安定的な社会保障の提供は、国民の安心を約束し持続的な成長を導くとした。』(民主党ホームページより)とあります。私も同じ気持ちです。

私の希望は、端的に言って、「とにかく未来の世代にツケを残さないでほしい」ということです。赤字国債は「将来の国民の税金を現在の国民が使用する」ことを意味します。つまり、「自分たちの子供や孫やひ孫の税金」で今の人たちが潤うことです。非常に不合理なことだと思います。

それよりは、勇気を持って「今の税収の増加」をしてもらいたいと思います。税収の増加のためには、経済の活性化や増税などの方法があります。「今の増税には勇気がいるが、将来の増税はなしくずしに赤字国債を発行してできてしまう」ことがあり、政策的に「今の増税より将来の増税がやりやすい」というパラドックスがあります。

こういう手段で後世の国民を苦しめることはやめたほうがよいと思います。今の人たちは今の人たちの力で潤うべきで、「人口が減り、国力が低下することが分かっている将来の国民」の税金を、もうこれ以上使用すべきではないと思います。

そのためにも内需の活性化は重要だと思います。高齢社会は国民の福祉の内需が増える社会でもあります。内需の拡大により、国そのものを豊かにしながら経済を活性化し、今の人の税金で、今の政策ができるようにしてほしいと私は願うばかりです。

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菅直人新内閣が発足しました。米国では、黒人ハーフのオバマ大統領が様々な抵抗に遭遇しながら、医療保険制度を初めとした新しい政策を打ち立てているのに対し、鳩山首相は力を発揮できず退陣せざるを得ませんでした。わが国にも強いリーダーシップで政策を実現するリーダーが欲しいと、多くの国民が望んでいると思います。

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菅首相は市川房江氏の秘書から出発した人です。このような草の根の社会運動家から首相に上り詰めた人は、これまでいなかったのではないかと思います。

菅直人氏は、1946年10月10日生まれで、63歳。山口県出身、東京工業大学理学部応用物理学科卒業。社会運動家としては、市川房枝選挙事務所代表、社会民主連合副代表、新党さきがけ副代表、民主党代表(初代・3代)等を歴任しています。

政党としては、社会市民連合→社会民主連合→新党さきがけ→旧民主党→民主党に属し、1996年に当時の橋本内閣の厚生大臣として、薬害エイズ問題に取り組み、当時の厚生省がみつからないといっていた文書“郡司ファイル”(当時の厚生省生物製剤課長・郡司篤晃)を発見させ、被害者に謝罪し、救済の道を明確にしたなどの業績があります。

また、彼は改憲論者で、日本のあるべき姿を示す新たな憲法を作る必要性を説き、外交では、北朝鮮問題を重視する立場です。自衛隊が平和維持活動、国際協力を行うべきと考えています。

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「足腰が立つうちは自宅で過ごせるけど、寝たきりになるとギブアップの人続出」という現実が生み出されるのは、介護保険制度の基本的な制度設計によることをお話しました。これは、「制度の根幹部分」のあり方によって、わが国全域で生み出されている問題なわけです。

このことに関して、一言申し添えたいことがあります。この「ギブアップの人続出」の現実に対して、「ボランティア」、「近所の互助」あるいはNPOで対応しよう、みたいな論がありますが、私はそういう考え方に反対です。リアリティーに乏しいと考えるからです。

「ボランティア」「近所の互助」あるいは「NPO」で、すぐれた地域活動をされている方が、全国に居られます。また、そういう方々で本当にわが国全体のモデルになるような活動をされている方も居られます。私が以前活動していた千葉県松戸市の地域活動家の孤独死の取り組みなども、その一つです。それはそれで、すばらしいことですし、他の地域にそれらを普及していくことは非常によいことです。しかし、それとこれとは、別の話だと思うのです。

乗り物で言えば、「ボランティア」とか「近所の互助」は自転車、NPOは軽自動車のようなものと考えます。本気で物や人を輸送するなら、大型トラック、あるいは、バス・鉄道・飛行機などが必要です。もちろん、大型トラックがあって、それに加えて自転車もあればより便利なので、あればもちろんよいですが、自転車が大型トラックに代わるという話はありません。

その意味で、本格的な地域のインフラ構築の討論なしに、「ボランティア」「近所の互助」あるいはNPOで・・・みたいな話にすりえかるのは、あまり責任ある討論ではないと考えております。「ボランティア」「近所の互助」が制度の細部を補完することはありえますが、「制度の根幹部分を補完するであろう」みたいな議論は、私はリアリティーがないと思っています。

制度の根幹部分による問題は、やはり制度の改良(あるいは大きな別制度による補完)によって解決すべきであるし、もし、それが改良できないならば、「目下のところ、根本的には解決できない」と、誠実に語るべきであると思います。

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前回に引き続き、介護保険の「認定」は要らないと考える理由についてお話を続けたいと思います。

第四に、第二号被保険者に対する給付が病名利権を構成していることです。

介護保険の被保険者は、年令により二つに分かれています。65才以上の人を「第1号被保険者」といいます。40才以上65才未満の医療保険加入者を「第2号被保険者」といいます。第二号被保険者の場合には、下のメモに記載した十六の特定疾病に該当した人だけが介護保険給付を受けられるという制度設計です。

メモ:特定疾病:
①筋萎縮性側索硬化症、②後縦靱帯(こうじゅうじんたい)骨化症、
③骨折を伴う骨粗鬆症(こつそしょうしょう)、④シャイ・ドレーガー症候群
⑤初老期における認知症、⑥脊髄小脳変性症、⑦脊柱管狭窄症、⑧早老症
⑨糖尿病性神経障害、糖尿病性腎症、糖尿病性網膜症、⑩脳血管疾患、
⑪パーキンソン病、⑫閉塞性動脈硬化症、⑬慢性関節リウマチ、⑭慢性閉塞性肺疾患、 ⑮両側の膝関節、股関節に著しい変形を伴う変形性関節症 ⑯がん末期

私は「病名で介護の必要性を語る」ことに、根本的な矛盾を感じています。介護の必要性は、「障害の度合い」によるのであって、「病名による」のではありません。40才以上65才未満の人の場合、上記の病名がない限り、介護の必要性がいかにあろうと、介護保険給付は受けられません。介護保険料は徴収されるにもかかわらず・・・です。そもそも、「病名」というのは医学的な診断名であって、病気を分類したり、治療行為を行う根拠とするためにあるのであって、介護の必要性を判断するためにあるものではありませんから、論理的に矛盾した話です。

私は、「病名」で「障害」に対する給付が受けられたり受けられなかったりすることは、本来の「基本的人権」の考えに反すると考えていて、第二号被保険者の16疾病は法的な差別優遇であり、他の障害を有する人の人権に対する差別的な対応であると考えています。

そのそも、この特定疾病というのも「認定制度」に付随した制度であり、認定制度を廃止し、40歳以上の被保険者で、「ケアマネジャーが介護が必要と判断した人」に介護を必要なだけ給付すればよいだけの話です。なぜ、病名で給付を優遇したり制限したりし、差別しなければならないのか、私には理解できません。

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前回に引き続き、介護保険の「認定」は要らないと考える理由についてお話を続けたいと思います。

第二に、介護必要度や介護サービス利用の判断見識において、「役所を国民やケアマネジャーよりも上位におく制度設計」という点で、私は疑問を感じています。

そもそも、限度基準額の存在は、「国民は限度額を定めてないと無制限に使用するであろう」という国民性悪説的な仮定があり、給付権限をケアマネジャーが行うことにも疑念を挟むケアマネジャー性悪説でもある制度です。「役所が制限をしなければ国民やケアマネジャーが節度を保てないであろう」という、国民やケアマネジャーよりも役所に信頼を置く制度という点で、私は疑問を感じます。

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繰りかえしますが、概観的には、現在、認定されている限度基準額の半分程度しか使われていない現実があります。つまり、制度設計が性悪説であり、国民の見識を疑っているのに反し、事実は「国民は必要なものだけを利用する見識を持っている」ということです。

また、繰り返しますが、医療保険給付は医師の権限で必要性の判断が行われます。ケアマネジャーが介護に関する見識と良心を持つ限りにおいて、「その必要性の判断を任せられない」という論理はないと思います。公的介護の必要性が、現場のケアマネジャーなどではなく、役所に支配され、限度額まで役所に縛られている国は、外国でもあまり例がないのではないかと思います。

「限度基準額がないとケアマネジャーがむやみに介護を給付してしまうのでは」「国民がむやみに使用してしまうのでは」という危惧がよく聞かれます。医療保険の場合でも、営利的観点から医療保険制度を悪用する医師がいることも確かです。保険制度で給付される医療を必要性以上に利用する患者さんもいることも確かです。だからと言って、「医師から医療の必要性を判断する権限を取り上げてしまおう」というような議論はないと思います。

ケアマネジャーに介護必要性の判断権限を与えたとき、すべてのケアマネジャーが良心的に働けるとは限らないと思いますし、国民も必要以上に使用したいと考える人もいるとは思います。しかし、だからといって性悪説的にとらえるのは誤りだと考えます。「認定審査で全例を取り締まる」よりは、役所は「けしからん例を指導」すればよいわけであって、ケアマネジャーに介護保険給付の権限を任せることで、より柔軟で迅速で無駄のない介護保険制度になると、私は考えています。

第三に、認定審査に多大な資金が使用されていることや、その手続きが煩雑で時間がかかることです。一人当たりの認定審査にかかる費用を私は知りません。しかし、主治医の意見書だけで5千円かかりますから、素直に考えて、一回当たり1万5千円を下ることはないと思います。2万円を超えているかもしれません。

介護認定審査会をやっていると、「サービスを利用していない人」が更新申請をするのにしばしば遭遇します。このような更新申請でもまったく同じような認定手順が踏まれます。介護保険は認定を受けてないとすぐには使用できないので、サービスを現在使用していない人(目下利用を希望していない人)も更新を続けるのです。これにも莫大の費用がかかります。

また、認定審査には時間がかかります。認定審査にかかる期間は市町村によって異なりますが、1ヵ月強のところが多いと思います。がん末期の人が「具合が悪くなり始めたときに介護保険を申請しても、認定が降りるときにははるかに具合が悪くなっていて、介護保険の認定審査速度では間に合わない」ということが全国で問題になっています。これは、単純な話で、「認定タイムラグ」という事務手続きによる被害の話です。もし、認定審査がなく、ケアマネジャーが介護保険給付権限を有していれば、もともと、このようなトラブルなど起こりえない話です。

現在認定審査に使用されている多大な資金を、認定審査を廃止することで利用可能とし、「介護を必要とするが限度基準額があるために受けられない人たち」に分配するほうが、社会の介護機能が高まると、私は考えています。

【写真】潮江小学校の校歌にも歌われている緑の筆山(20104月25日)

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