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在宅医療: 2011年6月アーカイブ
私は、高知市で「あおぞら診療所高知潮江」という医療機関を開設しています。そして、「在宅医療」という、患者さんを自宅で拝見する活動を中心に医療を行なっています。
現在はほとんどの時間を高知で過ごしますが、もともと私は千葉県の開業医でした。大好きな高知に医療機関を開設でき、なんとかやれていることは、多くの人のお力によるのであり、深く感謝しています。
高知の診療所の前身である「あおぞら診療所」を千葉県松戸市に開設してから12年がたちます。この間、「あおぞら診療所」の名前の由来について、多くの人から聞かれましたので、ここで答えておこうと思います。
「あおぞら診療所」は、私と前田浩利、川越正平という三人の医者の、学生時代の討論に端を発しています。私たち三人は、学生時代に松原雄一医師 (1953.12.1- 1994.7.9)と出会いました。この松原雄一医師が、若手医師の親睦団体である「若手医師の会」(現在は活動を終えた組織です)を作って、積極的に、医師や医療がどうあるべきかを討論していました。私と前田浩利、川越正平は、この「若手医師の会研修問題委員会」で、医師のトレーニングがどうあるべきかというテーマを追究していくことになるのですが、その母体を1983年につくった人物が松原雄一医師です。
松原雄一医師は精神科医で、敢えて旧式の精神病院に身をおき、患者の人権問題に取り組みました。その後、独立して1988年に「健康医療ガイドセンター」という組織を作りました。この健康医療ガイドセンターは、当時としては、とびぬけて先進的な「患者のためのセカンドオピニオン」(主治医以外の専門家の意見)を提供する事業所でした。
そのころは、わが国では、まだ、がんの告知もほとんどされていない時代でした。1992年ごろ、日野原重明先生(現聖路加国際病院理事長)が、「和田君、これから日本ではがんの告知は10年くらいで普及すると思う。アメリカでは20年かかった。(輸入国である)日本では速度が早くなるから、10年でがんの告知は日本に普及すると思う。」(この言葉は見事に的中しました)と言っていたくらいです。
ですから、1988年というのは、完全に医師のパターナリズム(医師による専断的な治療方針決定)が主流だった時代です。その時代に、「自分の病状の理解」に苦しむ多くの患者さんたちを見て、「正しい医療情報を提供して、正しく医療を理解してもらわなければならない」と、松原雄一氏は考えたのです。
松原雄一医師は、「健康医療ガイドセンター」という新しい実験をするなかで、セカンドオピニオンを提供する場合でも、ときには医療行為をしたほうがよいことを知り、「健康医療ガイドセンター」に医療機関を併設することにしました。その医療機関の名称が「青空診療所」でした。青空診療所設立直後に、残念なことに、松原雄一医師は脳腫瘍に倒れ、約二年間の闘病生活の後、逝去されました。
私たちは、松原雄一医師の仕事を受け継ぎ、時代に即応した医療を実践したいと考え、「青空診療所」を私たちの医療機関の名称として譲り受けたいと考えました。私たちの医療機関とするにあたり、漢字をひらがなに改め、「あおぞら診療所」と命名しました。
私たちは、松原雄一氏という偉大な先人の仕事をささやかながらでも受け継ぎたいと考えました。12年のとしつきを経て、改めて感じることは、私たちの非力さです。偉大な先人の仕事は広範で深く、私たちのような者には、その一部しか受け継ぐことが困難だということです。これからも、微力ながら努力を尽くしたいと思います。
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