ホーム > ユニーク土佐人ブログ > 山に聞く
先日、夜中に目が覚めると部屋がぐるぐる回っている。
そりゃ安普請の家だから少々揺れるのはしかたがないが、ぐるぐる回るのはおかしい。船酔いをしたみたいに胸がむかむかして気持ちが悪い。トイレに行こうと起き出すと、足がもつれて歩けない。
廊下に座り込んで「こりゃぁ、まいったぜょ」と、しばしぼーぜんとしていました。いっときしてそれは収まり、その後は何ともありませんでした。
ところが、その翌日も同じようになる。女房に「目が回るぞー」というと、むりやり病院へ連れて行かれました。点滴を打ち、CTスキャンを撮ってもらったが、頭には異常がないという。そう、もともと頭は良いのだ。
「手足のしびれや、ものが変に見えることはありませんか」と女医さんに聞かれたので、「先生が美人に見えますが」と言いたかったけど、そんな冗談を言う元気はなかった。「それは正常です」というか、「あなたは極めて重症です」というか試したかったなぁ。
さらにその翌日も同様だったので、こんどは耳鼻科へ行って耳の検査をしてもらいました。しかし、こちらも異常は見つからない。今のところ原因不明です。
友達に話すと、「大丈夫か。もう歳なんだから気をつけろよ」といいながら、口元はにやけています。「やったー」という表情です。もっとありていに言えば「ざまー見ろ」です。
年を取ると、誰もが体のあちこちに故障が起きてきて、何かの持病を抱えているものです。しかし、私は大病を患ったこともないし、これといった持病もありません。山で鍛えたせいかどうかは分かりませんが、至って頑強です。それで、やっと仲間入りをしたと喜んでいるのです。
こっちはガリレオ・ガリレイの苦しみを味わっていました。彼も辛かったろうなぁ。
というわけで、冬山へ入るかどうか迷っているところです。
【写真】いの町伊吹山の霧氷
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
高知鷲尾山岳会の忘年会は、いつも石鎚山系瓶ヶ森の麓にある鷲尾山荘で行われます。今年も先日行いました。
友達との飲み会はいろいろありますが、私はいわゆる歓楽街にはあまり行きませんし、飲み屋で飲むのは好きではありません。二次会もたいがい欠席します。
私は飲むとすぐに寝てしまう癖があって、友達からいつもひんしゅくを買っています。飲み屋では寝ることができないし(でも、たいがい寝ている)、飲み代や帰りのタクシー代が高いのが不満です。
その点、山荘でやる飲み会は、まずは費用が安い、飲み屋の1回分で5-6回はできる。寝袋持参だからいつでも寝られる。一眠りしてまた飲める。朝酒もできる。
周りが静かだらかじっくり話せる。騒いでも歌っても踊っても他人に迷惑を掛けない、などなど良いことだらけです。
何よりも、鷲尾のメンバーは誰もが気のおけないものばかりで、いつも楽しい宴会になります。
今年は当番の西岡さんが料理上手で、カツオの塩たたきやイノシシのすき焼きなど盛りだくさんの料理が出ました。酒もペルーのピスコ、ロシアのウォッカ、九州の鷲尾(焼酎)などいろいろ。すっかり盛り上がって踊りだすものもいました(あまりの醜態で写真は載せられない)。
「おい、もう忘年会はないかや」と誰かが言っていました。年に1回でしょう。
ふつう。
忘年会の翌日は、しらさ峠に新しくできたしらさ避難小屋を見に行こうと出かけました。
その帰路、私はバランスを崩して手をついたはずみで左手の薬指を突き指してしまいました。指がくねっと曲がったので自分で引っ張って治しました。
それからが大変、皆がそれぞれ救急箱持参で駆けつけて、やれテーピングじゃ、副木じゃ、ザックをおろせ、カメラを持ってやるぞ、担架を作るか(そがなもんいらんちや)と大騒ぎ。誠に頼もしい仲間です。我が登山人生で最大の遭難事故になりました。
ちなみに、翌日に病院へ行って診てもらいましたが、3日後には副木を外して、いまブラインドタッチで書いています。
【写真】イノシシのバター焼きとアメゴのスモーク
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
私が持っている変わった登山用具のひとつにマルチプレートと称するものがあります。
これは、自作したもので、A4サイズの合板(ベニヤ板)とステンレス板、それにプラスチック板(いずれも薄板)をガムテープで繋いで蝶番のように開閉できるようにしたものです。合板の表側は塗料で黒く塗り、合板とプラスチックの内側にはアルミホイルを貼り付けています。
これにはいろいろな用途があります。
まずは、ハレ切り。写真を撮影するときに、逆光だと太陽の光がレンズに当たっ
てゴースト(光の反射)が写ります。それを防ぐために、黒く塗った方を内側にし
てカメラの前にかざして、太陽光を遮蔽します。
二番目はレフ板。花などを撮影するとき、アルミホイルを表にして、光を反射さ
せて影を少なくします。
そして、風防。屋外でストーブ(コンロ)を使用するときに、風を遮るためにコの
字型に開いてストーブを囲みます。(ストーブの取扱説明書によると、あまり狭
く囲い込まない方が良いそうだ)
さらに下敷き。雪の上でガスストーブを使うときは、カートリッジが冷えるのを
防ぐためにカートリッジの下に敷きます。安定の悪いテントの中で、ストーブの
下敷きにもします。また、熱いコッフェル(鍋)を置くのにも使います。
そして、机。天気図を書くときにプラスチックを上にして下敷きにします。
さらに、熊や猪に襲われたときの盾として、気に入らないやつを張り倒す張り扇
として、けっこう重宝しています・・・
というわけで、いろいろ便利に使えるマルチ用途のプレートです。
【写真】ストーブの風防
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
今年7月に北海道大雪山で10人の方が亡くなる遭難事故がありました。
そのときに思ったのが
『夏の雪を恐れよ、冬の雨を恐れよ』
でした。
夏山で雪が降ることはめったにありませんが、冬並みの寒さになることはしばし ばあります。そのための防寒装備、たとえば、冬用下着(ロングスリーブ、ロン グタイツ)やセーターは必携です。耳と手が寒くなるのでイヤーバンド(耳覆い)や手袋も欲しくなります。
一方、冬山で雨が降るのはめずらしいことですが、たまにはあります。雨でなく
ても、雪が溶けたり汗をかいたりして衣類が濡れて、体温をどんどん奪われてし
まうことがあります。冬では衣類を濡らさない工夫が要ります。
また、晩秋や早春には、「昨日は夏、今日は冬」と突然気温が変わってしまうこ
とがあります。
夏に雪が降ることも冬に雨が降ることも、1日で夏と冬が入れ替わることも滅多
にありません。だから、私たちはどうしても油断をしてしまいます。
『安全とは、将来おそらく起こらないであろう事に備えて、あらかじめ損をして
おくこと』
です。
山ではそれを全部独りで背負わなければならないのがシンドイところですが。
【写真】雨にも雪にも強い山の賢者
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
日帰りの山歩きに出かけるとき、お弁当は何食分持って行きますか?
え? 日帰りだったら1食分でよいのでは??
私は通常、3食分の食料(食糧)を持っています。
登山中に何かアクシデント(事故)が起こって、今夜はビバーク(野宿)をしなければならない。そんなときのための夕食と朝食分です。明日の夕方までには帰れるだろうという想定です。
ちなみに、1泊―3泊の場合には、通常の食料の他に、3食分の予備食を持ちます。4泊以上の長期山行では、4日ごとに3食分を加えます。食料ばかりでなく、日程も4日に1日の予備日(休養日)を設けます。
1日や2日くらい何も食べなくて死ぬことはないし、空腹のために(多少辛いけど)行動できないことはありません。べつだん非常用の食料を持たなくてもかまいません。
しかし、アクシデントが起こったときに、食料がたっぷりあると気分的に落ち着きます。精神的な余裕がなければ、新たなアクシデントを誘発してしまいます。「水も食料もたっぷりある、どうてことはないや」という気持ちが保険になる…かな?
まぁそれだけのことではあります。
昼食は普通は行動食です。
登山行動中に弁当1食分などまとまった量を食べると、その後、満腹のために行動できなくなってしまいます。そこで、休憩のたびにちょっとずつ食べられるような食料を持って行きます。それが行動食です。つまり行動中は、いつも満腹でもない空腹でもない状態にしておくのです。
逆に、行動時間を少なくして、ちょっとした料理をつくって景色を眺めながらのんびり食べたり、昼寝をしたり、そんなスローライフ登山もときどきやります。
そのせいかなぁ、最近ちょっと腹が出てきた。
【写真】冬山で焼き肉
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
昔の登山技術書には「行動中にはできるだけ水を飲むな、食事の時にはたっぷり飲め」と書いてありました。それを初めて読んだときには、それまでかまわずガブガブ飲んでいたので、「これは悪い我流が身についてしまった」と思ったものでした。
ところが、極力水を飲まないようにしてみると、体の調子が悪くなることに気がつきました。やたら飲み過ぎても体調を崩します。
それで、目盛りのついたカップを買ってきて、登山中に飲む水の量を記録しながら、1日に何リットル飲むのがよいか実験をしてみました。
しかし、必要とする水の量は日によって大きく変わるのです。気温、湿度、風速などの気象条件、ザックの重さ、坂道の傾斜、歩く速度などの運動量、入山1日目か2日目か等々、状況によってかなり大きく変化します。
結局、そのときの結論は「1日に何リットルと杓子定規に決められない。自分の体と相談しながら、たっぷり飲む」との結論に達しました。
何のことはない、いままで自分が体感的にやっていたことそのままです。
本に書いてあることを鵜呑みにしない、山のことは山に聞けという良い例です。
ただ、何リットルの水を携行するのがよいかの問題は残ります。
山に入る人が少なかった昔は、1リットルの水筒1本だけを持っていて、水場があるごとに飲んだ分を継ぎ足していました。水場が多い日本の山では、1リットル携行していれば事が足りました。
しかし、登山人口が増えた現在では、水が汚染されている場合があります。軽々に飲まない方がよいのかも知れません。水場の上方(標高の高い方)に登山道や山小屋・キャンプ場がなく、地中からわき出している水なら大丈夫でしょう。たぶん。
最近の私の流儀では、春から秋にかけての三季は、水1リットルと飲料水(日本茶、紅茶、スポーツドリンクなど)1リットル(合計2リットル)を持つ。冬は1リットルでよい。ということにしています。
むろん、これは標準の量です。そのときの様々な状況(気象、運動量、水場のあるなし、宿泊か日帰りか等)に応じて加減します。
水筒は広口のものを使っています。残量が分かるし、コッフェル(鍋)などから注ぎやすいのがメリットです。お茶を沸かしたり、雪を溶かして水を作ったとき、水筒に注ぐ必要があるからです。ちなみに、雪を溶かして作った水にはゴミが混ざっています。それでコーヒー用のフィルターで濾しています。
冬はペットボトルやポリタンなど非金属の容器は使えません。凍った時にストーブで暖めて溶かすことが出来ないためです。私はやかん型水筒を使っています。
古いもので、最近は売っていないようです。直接火にかけられるし、湯たんぽやアイロン代わりにも使えます。アイロンとは、衣類が濡れたときにお湯を入れた水筒で乾かすことです。
縦長の水筒をパッキングする(ザックにしまう)ときは縦に入れます。横に入れると、満タンの時はよいが、水が少なくなると水筒の中でチャプチャプ跳ねてうっとうしいかぎりです。また、栓がゆるんだときには全部こぼれてしまいます。しかし、縦置きは意外と収まりにくいものです。
多量の水を運ぶ時、大きな容器を使うよりも、小さな容器に小分けした方が良いでしょう。2リットルを超える大きな容器では、満タンに入っていないと、水が動いてバランスを崩すおそれがあります。けっこう歩きぬくいものです。
山では高山病を予防するためにも水はたっぷり飲むのがよいようです。ヒマラヤでは生水は飲まず、お湯を飲みました。大きなテルモス(魔法瓶)にお湯か紅茶を入れて飲んでいました。
ネパール語でお湯はタトパニと言います。私が最初に覚えたネパール語が「タトパニ ディノス(お湯を下さい)」でした。
本当は、ビア ディノスだろうって? あたり!
【写真】ヤカン型水筒と広口水筒
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
今回から話題を変えて、登山のヒント、ノウハウ、私の流儀について書いてみようと思います。
まずは、ステッキ、ストック、トレッキングポール、アルパインストック、スタッフ、金剛杖・・・呼び方はいろいろありますが、要するに杖の話です。
登山において、「杖は使うべきではない」「I型2本ストックを使うべきだ。T型は使ってはならぬ」「石突きのゴムキャップは必ず付けるべきだ」等々、人によってそれぞれ主張があるようです。
T型とかI型とは、握りの部分の形です。また、私の分類ではスキーのようにI型2本1組の杖をストック、T型1本だけで使うものをステッキと呼び分けています。
昔の登山技術書には、杖は使わない方がよいと書いていました。しかし、現在、特に中高年の方には使うことをおすすめします。
私は、握りがTとIを組み合わせた形の1本ステッキを使っています。2本ストックは日本の山には合わないと思っています。
林道のような比較的広くて平らな道を長く歩くときは2本ストックが良いのですが、一般的な登山道では1本ステッキが良いと思います。片手にステッキを持ち、他方の手は岩や木などしっかりしたものに掴まるのが良いと考えるのです。
私はちょっとした岩場や沢、藪の中を行くときでもステッキを使います。ホールド(手がかり)代わりにしたり、石をぴょんと跳び越えたり、藪をかき分けたりするのにけっこう使えます。
ただし、じゃまになるときも結構あって善し悪しです。要は使い方です。基本的には、岩場など(岩や鎖などに)手でしっかりつかまる必要がある場所では、ザックに取り付けておくのがよいでしょう。
石突(いしつき=杖の先端部)に着けるゴムキャップは、岩の多い道や舗装路以外では外しておくことをおすすめします。キャップがあると滑るので危険なのです。
ただ、登山者の多いルートでは道や植生を痛めないために着けておくのが良いでしょう。そう強く主張する人がいますから。
もちろん、バスや電車に乗るときや、ザックに取り付けたときには必ずゴムキャップをしておきます。
石突きの少し上には小さなリング(傘)がついていますが、リングから下の長さは短い方が良いようです。長いと土に刺さり抜けぬくくなります。ただ、雪渓など堅い雪の上を歩くときには長い方が安定します。
杖はあくまで補助です。全体重を預けるような突き方をしていると、石突が滑って転落するおそれがあります。特にT型はそうする傾向があるので注意がいります。
このために、T型を使ってはならぬと主張する人がいます。しかし、滑るのはゴムキャップをしているからではないでしょうか。金属の石突きならけっこう安定しています。
リストバンド(手革、手首に掛けるための帯)は強い力が加わると切れるか伸びるものをおすすめします。
衝撃が加わったときに手首を折るおそれがあるからです。私はちょっと工夫をして伸びるように作っています。また、切れやすいひもを使っています。
【写真】私が使っているステッキ。リストバンドの片側のループ(輪)を引っ張ると、他方が縮んで、伸びるようになっている。ひも自体にも多少の伸縮性がある。
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
ヨーロッパアルプスの未踏峰が次々と初登頂された、1854年(一説には1840年)か
ら1865年までを"アルプス金の時代"といいます。イギリスの紳士階級が山岳ガイ
ドやポーターを雇って未踏峰に挑みました。
1865年にエドワード・ウィンパー(Edward Whymper 英)がマッターホルンに登頂す
ると、おもだった未踏峰はなくなり、登山の魅力が急速に失われてしまいます。
こうした時代に新しい登山の考え方を提唱したのがアルバート・フレデリック・
ママリー(Albert Frederic Mummery 英)でした。
ママリーは登山の意義を考えました。ただ登頂するだけでなく、登山者を阻もう
とする様々な困難や危険に立ち向かい、自分が持つ技術や知識でこれと闘うこと
が登山の本質だと考えました。
成功しようが失敗しようがそれは大した問題ではない、あえて難しいルートを選
び、失敗してもひるまずに挑戦を続け、それを克服するところに登山の意義があ
る。ただ頂上へ達するために、易しいルートを選んで登ることには登山の意味は
ない。
こうした考え方は当時は異端であり、アルパインクラブ(英国山岳会)は当初ママ
リーを受け入れませんでした。
ママリーは、1879年にマッターホルンのツムット稜登攀(とうはん)を皮切りに、
グレポン、グランシャルモ、ダンデュジェアンなどを登攀(バリエーションルー
トを開拓)し、やがて1888年カフカズ(コーカサス)へ遠征します。
1890年からはガイドレスでシャモニ針峰群の登攀を行います。それまでは山岳ガ
イドに導かれない登山など考えられなかったのです。やがてドイツの若者たち
が、ガイドレスで岩壁登攀(ロッククライミング)を試みるようになり、"アルプ
ス銀の時代"を作ります。
ママリーは最初に登山の美学を主張した人でした。また、8000m峰に最初に挑戦
した人でもあります。
1895年、カシミールのナンガ・バルバット(8125m)へ遠征し、いまもなお挑戦を
続けています。
我らの心の中で。
『真の登山家とは、新しい登攀を試みる人のことである』ママリー
【写真】剣山系ジローギュにて
(大正時代にはMummeryをマンメリーと表記し、彼の考え方をマンメリズムと表記
していた)
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
先日、登山用語について問い合わせがあったある方から、『ただ冬季登攀やその他命がけの登攀を何度も試みるという遠征隊のメンバーの気持ちを理解するのはやはり難しそうです(どうしても残された家族の立場に立ってしまいます)』という疑問をいただきました。
登山家に対する『なぜ、あえて危険を冒すのか』といった疑問や非難に的確に答えるのは難しいものです。
むかし、私が答えていたのは『真珠を欲するものは、海中深く潜らねばならぬ』でした。今どきは養殖でしょうかね~
真珠のネックレスが欲しければ宝石店へ行って買えばよい。懐を痛めるだけで、真珠を育てる苦労や、宝石に加工する苦労はしなくてすみます。
しかし、あえて労苦や困難を自ら引き受け、何の保証も報償もない、(海中深くではなくて)深山深く分け入り銀嶺の頂を目指すのが登山家なのだと思います。
真の美や感動は、いつも人間の限界ぎりぎりの、危険と隣り合わせのところにあるのです。
ただ、わざわざ危険を冒したり、スリルを楽しんでいるわけではありません。
だいぶ昔のこと、友達と街を歩いているとき、小さな横断歩道で信号が赤になりました。車が1台も来ていないので、その友達は渡ってしまいました。
私は信号が変わるまで待っていました。
「君は、規則をきっちり守る方か」と聞かれて、私の答え「ここは、男の死に場所じゃない」「死ぬわけねーだろうが」
赤信号の横断歩道と青信号の横断歩道は同じように見えても危険度が明白に違います。
小心者の登山家はそうした危険は決して犯さないのです。
歩道にいるときでも、電柱の陰に隠れています。交通量の多い(横断歩道のない)道路は渡りません。
ただ、自然はそれほど単純ではありませんが。
人生では、時に死を覚悟してでも成し遂げなければならない仕事はあります。
あえて険しい道を選ばねばならないこともあります。そのとき、あなたはどうしますか。
じつのところ、私にその度胸はないのだが、とりあえず、危険から遠ざかっているところでは勇気を鼓舞しています。
【写真】北アルプス五竜岳
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
明治40年に陸軍陸地測量部の芝崎芳太郎たちが、当時未踏峰とされていた剣岳(富山県)に三角測量のために登頂する物語です。映像が大変美しい作品でした。
登山家にはバカな習性がありまして、芝崎がキスリングザックを背負っているシーンを見て思わず「そりゃ違うだろうが」と言ってしまいました。
キスリング(Kissling)とは、帆布でできた大型のリュックサックです。スイス、グリンデルヴァルトの馬具職人 ヨハネス・ヒューフ・キスリングが作ったものを、昭和4年に登山家の槙有恒と松方三郎が持ち込んで、日本ではこの名が定着しました。
キスリングさんがこのリュックサックを発明したわけではありませんし、キスリング製以外のものも含めてこのタイプをキスリングと言っていました。
ちなみに、明治後期に陸軍で使われていた背嚢(はいのう)は、木の枠に布を張り、その上に皮を張った箱型のリュックサックだったそうです。あいにく私は当時徴兵を受けていなかったのでこれは使っていません。陸軍でも布製のリュックサックが使われるようになるのは昭和に入ってからのようです。
柴崎と先陣争いをする山岳会の小島烏水が石油コンロを自慢するシーンがあります。このコンロはスベア123という製品で、実は私も使っていました(燃料はガソリン)。
冬山のビバーク(野宿)では頼もしい"仲間"でした。むろん、小島と同じ頃に買ったわけではありません。1世紀も続いているロングラン商品です。
キスリングの件はご愛敬ですが、この映画、および原作の小説(新田次郎著)は史実とは違った部分がいくつかあります。(その詳細は登山雑誌「山と渓谷」6月号に載っています)
このとき、山案内人の宇治長治郎は実際には登頂しませんでした。芝崎の記録には、「氏名不詳とせし男」が途中で「落伍した」とあるそうです。
長治郎は、彼の信仰心から禁忌の山に登ることをためらったのです。
「氏名不詳の」ではない「とせし」に芝崎の心情がにじんできます。
また、小島烏水は、この5年前に槍ヶ岳に登頂し、日本の近代登山を切り開いた人ですが、剣岳にはついぞ登りませんでした。測量隊と山岳会との先陣争いはそもそも無かったのです。
芝崎らの登頂から2年後に山岳会の吉田孫四郎たちが剣岳に登頂し、長治郎の功績をたたえて、彼が案内をした谷を長治郎谷と命名します。
氏名不詳とせし男が日本を代表する山岳ガイドの1人になったのです。私は吉田の行為にこそ感動を覚えます。
明治35年、小島烏水が槍ヶ岳に登ろうとしているときに父親から激しい叱責を受けます。
男たるもの、己の職務のために命を賭すのは当然である。しかし、遊びごときで危険を冒すとは何事だ。と
私も、人間はその本職においてこそ、社会に貢献するべきものだと思います。
芝崎芳太郎は測量官として、宇治長治郎は山案内人として、あたりまえの仕事をただあたりまえにこなしただけですが、それが後々の人々に感動を湧かせます。
【写真】キスリングザックとスベア123
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ


最近のコメント
「障害者でも登れる山」ペンション・サライ「高知鷲尾山岳会・川添浩介」さん
「高新大賞」千葉 徹さん
「志を高く 登山家はつらいよ」千葉 徹さん
「志を高く 登山家はつらいよ」千葉 徹さん
「ザイルの仲間」ペンション・サライ「高知鷲尾山岳会・川添浩介」さん
「高新大賞」野村さん
「高新大賞」エーデルワイスさん
「帰郷」横山美子さん
「山に神はいるのか」らんたんさん