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半世紀以上の登山歴を持つ竹村義仁さん(高知市)が、山や自然から学び考えたことを一歩、一歩記していきます。

 

2008年1月アーカイブ

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先日の土曜日は伊予富士(1756メートル)へ行っていました。

いの町本川の新寒風山トンネルから(旧)寒風山隧道へ登って行く道路には積雪がありました。寒風山隧道の登山口から、尾根へでるまでの間は踏み跡がついていました。踏み跡は寒風山へ向かっており、伊予富士方向へは誰も通っていません。

そのあたりで積雪は60-70cmくらいあり、そのラッセルにとりかかりました。深雪をかき分けて進むことを、登山ではラッセルといいます。Russelとは除雪装置を発明した人の名前です。

雪の表面が固くなって(クラストという)いますが、靴で踏むと割れてしまいます。だから、足を高く持ち上げて雪面に乗り、クラストを割って踏み込み、(足が沈み込んでしまうので)いったん足を抜いて周りの雪を落とし込んで再度踏み込み、その足に体重を移してから、反対側の足を持ち上げて雪面に乗り…という動作を一足ごとにしなければなりません。

急な上り坂なので、前に出す足が雪面に上がりません(要するに私の足が短いのだけど)。
 
200メートルほど進んだだけで、「あ、こりゃとても行けんわ」と、そうそうに登頂をあきらめてしまいました。そこから頂上まで夏なら1時間の行程ですが、この分では何時間かかるかわかりません。特に頂上直下の急坂はとても登れないだろうと判断したのです。雪がもうちょっと固いか柔らかければよいのですが、ちょうど具合の悪い固さなのです。

北風を避けるためにツエルト(非常用小型テント)を張って休憩場所を確保し、雪を溶かして紅茶を作り、冬景色をゆっくり愉しんでいました。

しばらくすると3人の登山者が登ってきました。彼らはスノーシューを履いています。「コーヒーを飲んでいきませんか」と声をかけたら、「ラッセルしておきますので、ゆっくり登ってきてください」と先へ行ってしまいました。

スノーシューやワカン(輪かんじき)は雪の上を歩くために靴に取り付ける道具です。今回、わかんを準備していたのですが、うかつにも玄関に忘れてきていたのです。ただ、四国の雪山ではほとんど役に立ちません。

クラストしていなければそのまま沈み込んでしまいます。クラストしていれば3-4歩は歩けますが、落とし穴に落ち込んでしまいます。クラストを割って埋まり込んだわかんを持ち上げるのに大きな労力を費やします。こうした道具は雪がある程度の固さであって初めて効果を発揮するのです。

そのむかし、三嶺(剣山山系にある山 1893m)の中腹にある山小屋から頂上まで12時間、頂上から山頂小屋まで1時間かかったことがありました。夏ならそれぞれ4時間と5分くらいで行ける距離です。四国の雪はそれほど始末に負えないのです。

そんなことを思い出しながらしばらくのんびりしていたら、別の3人組が登ってくるのが見えました。「7人で交代してラッセルすれば頂上まで行けるかな」と急に思い立ち、荷物をまとめて前の3人組を追うことにしました。

他人にラッセルをやらせて、自分はしんどいことをしない人がたまにいます。それはみっともないので、何とか追いつこうとするのですが、3人通ったあとでも(短い足が)いっぱい埋まり込んでしまいます。気ばかり焦ってなかなか進めません。頂上のすこし手前の鞍部まで行って、軟弱者の私は再び登頂をあきらめてしまいました。

前の3人組はリーダーだけが先へ進んでいたようで、頂上手前のピークに隠れて姿が見えません。登頂できたかどうか確認できませんでしたが、なかなかタフな人でした。

写真にあるのは、むかし使っていた古いわかんです。赤いベルトは後から付けたもので、もともとは麻綱で縛るようになっていました。

昭和30年代のある正月に天狗高原へ行きました。手違いがあって、山麓の東津野村郷(現: 高岡郡津野町)へ着いたときは夕方になってしまいました。山道を登っていると、地元の男性に呼び止められました。

「いま時分にどこへ行くのか」と聞くので、「この先で野宿をするつもりだ」と答えると、「うちへ泊まってゆけ」といいます。図々しい私と友達は一晩そこでやっかいになりました。その人が、このわかんを見て「これは何か」と聞くので、使い方を説明しました。
翌朝、その人はさっそくわかんを作っていました。その素早さにびっくり仰天です。もし、その後、郷のあたりの人がわかんを使っていたら、それは私が広めたものです。(本当かどうかわかんないけど?)

 わかんは日本古来の道具ですが、最近は西洋式のスノーシューも使われています。浮力が大きいし、踵が持ち上がるのでだいぶ歩きやすいようです。しかし、急峻な日本の山では、やっぱりわかんが使いやすいと思います。

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賢者の道とは賢者が造った道です。賢者とは、自然をよく知り尽くした人です。

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その筆頭は「けもの」でしょう。けものとは、野山に住む知足の賢者のことです。ちなみに、「けだもの」とは、知足を知らぬ人間の一種をいいます。お間違いなきように。

獣たちが造った道が獣道で、これは自然に逆らわずに、実に自然にできています。私も時々そうした道を使わせてもらうことがあります。ただし、人間が歩いて歩きやすい道であるとは限りません。

人間が通る道で賢者の道とは、例えば江戸時代以前に造られた道です。当時の人たちは自然のことをよく知っていました。その道は、自然に逆らわず造られており、歩いて疲れることが少なく、道に迷うことがなく、崩れることもありませんでした。

今でもそんな山道が残っているところがあります。そんなところは、例えば雪が積もるなどして道がわからなくなっても大丈夫です。辺りの景色をじっくり眺めていると、「あ、ここは右の斜面にとりつくな」とか「その谷を渡って、あの尾根へ行けば良いな」などと、道が見えてくるのです。

愚者の道とは、例えば明治時代以降に造られた道です。産業革命以降に造られた道は、自然とは無関係に造られています。自動車が走るには最適ですが、人間が歩いて歩きやすい道ではありません。江戸時代の街道は、現在の道路のように真っ平らには造っていませんでした。あえてそうしたのだと私は思っています。

道路に限らず、山の中に造られた道も、明治以降に造られた道は、歩いてひどく疲れる道です。大雨が降ったら崩れる道でもあります。

最近、登山道や遊歩道として整備された道でよく見かけるのが、丸太を木馬道か枕木のように横に置いて造った段々道です。この方が歩きやすいと思って造ったのでしょうが、ひどく疲れる道です。丸太が濡れているとつるつる滑って危ない道でもあります。そしてそんなところはたいがい崩れています。

昔、私が子どもの頃に、近所の人たちが集まって山道の手入れに出かけることがありました。その時にやっていた主な作業は溝掘りです。雨水を路肩に落とすための畝(うね)を造っていました。いまはそんな手入れをしないため、大雨の時は登山道を雨水が流れて掘ってしまいます。ところによっては"大地溝帯"になっています。

ひと頃、私は小型のスコップを持っていて、登山道の溝掘りをやっていたことがありました。「国有地や私有地を勝手にこんなことをしてはいけないかなぁ」と思いながらやっていました。

その問題もあるが、溝を掘っても無駄だとわかりました。登山者が畝を踏みつけて溝をなくしてしまうのです。昔、「敷居と溝はまたげ」と祖母に叱られましたが、いまそんな歩き方をする人はいないようです。

登山においては、この右足をどこに踏み出すべきか、一歩一歩を吟味しながら歩くものです。賢者の教えに導かれつつ。

【写真】尾根の上の方にあるのが人の道、下の方にあるのがけもの道

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