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半世紀以上の登山歴を持つ竹村義仁さん(高知市)が、山や自然から学び考えたことを一歩、一歩記していきます。
2008年12月アーカイブ
京都のさわたりさんからいくつか質問をいただきました。お返事が大変遅くなってすみません。お答えします。
▲『山に登ったら何が見えるか』
ラトナチュリの西峰に登ったときには、南の方はヒマラヤの白銀の峰々、北にはチベットの赤茶けた高原が、それぞれどこまでも広がっているのが見えました。その白と黒との世界は、神仏が住み給うところだと思いました。
そうです。山に登ったら神が見えるのです。
あいにく、まだ拝謁を賜ったことはありませんが。
▲『登山中は何を考えているのか』
京都に哲学の道というのがありますね。登山道はどこでも哲学の道です。私は、登山中はいつも哲学をやっています。
もっとも、西田幾太郎のような立派な人間にはついぞなれませんでしたね。どこが違うのかなぁ。
▲『怖くはないのか』
大声を出して叫んでも誰にも聞こえない。そんな山中に独りぽつねんといることが良くあります。山は孤独なものです。ラトナチュリでは氷壁をピッケルとアイゼンでよじ登りました。
下は千尋の谷です。山では生と死は隣り合わせです。しかし、山で怖いと思ったことはあまりありません。いつも神仏の加護があるからです。
▲『山の神様は本当にいるのか』
私のブログにはいろいろ神がかったことを書いているので、怪しげな新興宗教の教祖ではないかと思われた方もいるかもしれません。
そのとおりです。私は、信仰は尊いものであり、人は誰も信心を持つべきだと思っています。ただ、宗教となると、世界のどの宗派も嫌いです。
念のために言っておきますが、尊敬できる立派なお坊さんや神父さんをたくさん知っています。しかし、宗教という団体となると何教であれ、その本来の姿を失っていると思っています。が、その話はこのブログの趣旨ではないのでやめておきます。
山に神様は確かにおいでになります。ただ、「困ったときの神頼み」といいますが、山の中で何か困ったことがあっても決して助けてくれません。あてにしないように。しょうがないから、死に物狂いになってあれこれやって、「あぁあ、あたしももうここで終わりか」と覚悟を決めてふと見ると、目の前に自分の生きて行くべき道が見えるのです。
神は人を助けはしないが、覚悟決めたものを見殺しにもしないのです。
もしも、生きることが辛いとか虚しいと思う方がいたら、自然教登山宗にぜひお入りください。必ず救われます。
あ、こういうの嫌いですか。
【写真】 チベット高原
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私たちは全員登頂を目指していたので、第1次隊に続いて第2次隊も挑戦します。しかし、支援をしてもらうはずのハイポータが休養のためベースキャンプへ戻ってしまいました。いくら屈強なハイポータでも、2回も続けて登頂することは無理なのです。ちょっと計画が甘かったようです。
第2次登頂隊員のうち、入交さんは高山病がどうしても抜けなくてC1まで登って断念。市村さんもC1から西峰の氷壁を見て断念してしまいました。ヒマラヤに何度か登ったベテラン登山家が撤退を決めたのに、深田さんと私は(愚かにも)頂上を目指すことにしました。
10月8日に、2人のハイポータとともにC1に入り、9日に西峰(6804m)によじ登って、そのすぐ先にあるC2に入りました。深田さんも私も疲れきっていて、私は自分でアイゼンが脱げないほどでした。
深田さんは、C2からラトナチュリを眺めて「とても自分には登れない」と判断してあっさり登頂をあきらめてしまいました。あきらめの悪い私は、「明日休養すれば登れる」と思ってしまいました。
高約6800mのC2では呼吸が苦しく、咳が激しく出ました。寝ようと思って横になると息ができなくなります。体を起こせば多少はましです。つらい一夜でした。
0日になってやっと登頂をあきらめました。ここでもし高山病で倒れたら、ヘリコプターを呼ぶことも、背負って降りることもできないから、みんなに迷惑をかける。それが登頂をあきらめた理由でした。自分ではまだ登れると思っていました。実際には、登頂するだけの体力はもうなかったのですが、判断力が鈍っていたのです。
11日の夕方に意気消沈してABCへ戻ってきました。ABCで私の帰りを待っていた中島さんは、あまりに遅いので心配して途中まで迎えに来てくれました。ベースキャンプでも「竹村が戻らない」と皆で心配していたそうです。
私は無事に下山しましたが、深田さんは手の指が軽い凍傷になってしまいました。さすがに7000mは、生易しいものではありませんでした。
れで登攀活動は終了しましたが、結局、登頂に成功したのは2人だけでした。
もしも、全員が登頂できていたら「なんじゃぁ、易しい山だったのか」と思われてしまいます。誰も登頂できなければ、「それみたことか。無謀なことをやって」とバカにされます。
「2人が登頂に成功し、3人が西峰に登った。スキーもできた」というのは大成功だった、と自画自賛しています。
まぁ、とりあえず良かった良かった。
【写真】西峰から見るラトナチュリ
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10月4日、第1次登頂隊とハイポータは4時30分にC2を出発してラトナチュリに向かいました。私はそのときABCにいて、中島さん、井垣さんとともにビデオカメラとデジタルカメラで登頂の様子を撮影していました。
カメラのレンズを望遠側にいっぱいにしても人物は点のようにしか見えません。双眼鏡で眺めていると、頂上にかなり近くまで行って1人の人物が動かなくなってしまいました。
「何かあったか」と心配していたら、山本さんが無線で「押岡さんが目が見えなくなった」と連絡してきました。「押岡がんばれ!」3人で必死にエールを送っていました。
その人物はやがて、固定ロープを使って独りで懸垂下降をはじめました。「やった。目が見えるんじゃ」私たちは大喜びしました。しかし、固定ロープが尽きたところで再び動かなくなってしまいました。
ロープなしに下山するのは無理なのです。押岡さんは、そこで登頂隊が戻ってくるまでの6時間を待機することになり、両足の指先が軽い凍傷になってしまいました。
もう少し登ったところで、もう1人別の人物が動かなくなりました。「あれは山本か刈谷か」と心配していたら、ハイポータの1人がダウンしたそうです。さすがにネパール人は強くて、彼はその後復帰して登頂を果たします。
やがて、頂上は雲に包まれてしまい、私たちには見えなくなってしまいました。
14時すぎ、無線でハイポータが連絡している声が聞こえました。早口のネパール語なので内容はわかりませんが、「どうも登頂したらしい」と中島さんと話をしていました。
やがて、山本さんから「登頂成功」と元気な声が聞こえてきました。山本さんと刈谷さん、ハイポータ5人が登頂に成功しました。ベースキャンプにいた入交さんとともに健闘をたたえあいました。
登頂隊のほんとうの苦労は実はこれからです。頂上からC2まで今日中にくだらなければならないのです。すっかり日が暮れた星明りの中をくたくたになってC2に帰り着いたそうです。翌日はまだ、氷の壁をC1まで下らなければなりません。そして、ベースキャンプまで。頂上はゴールではなくて、単なる折り返し点に過ぎないのです。
【写真】 ラトナチュリ頂上
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9月27日は隊員全員でABCへ向かいました。ヒマラヤの登山では、ベースキャンプから頂上までいくつかのキャンプを建設しながら、少しずつ高度を上げてゆきます。今回、私たちは3箇所のキャンプを設け、それをそれぞれABC(advance base camp),C1(camp one),C2(camp two)と名づけました。
大快晴の中を登るのは気持ちがよいけど、フライパンの上を歩いているような暑さです。ただし、(この日はなかったけど)日がかげったり風が出ると、とつぜん厳冬期へ戻ってしまいます。その寒暖の差が激しいので油断はできません。
途中まで登ると、憧れのラトナチュリ主峰が初めて見えました。日本を出てから1カ月近くもたってからのことです。
ABCへの荷揚げなどは、我々が高山病でもたもたしているうちにハイポータだけですっかりやってくれていました。ABCはラトナチュリがよく見える場所にあり、水場も近くにあります。後日、ここに太陽電池も設置して無線機などの充電ができるようにしました。高山病を避けるために、この日はまだここに泊まれません。しばらくラトナチュリを眺めてから、ベースキャンプへ引き返しました。ラトナチュリを堪能した楽しい1日でした。
夜のミーティングでこの好天を逃さずにアタックをかけようということになり、第1次登頂隊を編成しました。その隊員は、山本、刈谷、押岡、中島の4人です。
28日に第1次登頂隊の4人と井垣さんがABCへ登りました。29日から雪になってしまい、C1まで行って、ABCへ引き返してきました。第2 次登頂隊(市村、入交、深田、竹村)もベースキャンプからABCへ向けて出発したものの、1時間も行かないうちに引き返してきました。30日も雪で、一次隊はABCで、二次隊はベースキャンプで、それぞれ意気消沈して停滞しました。
10月1日に一次隊はABCからC1に登りました。C1からラトナチュリの前衛峰(頂上の手前に衛兵のように聳えているピーク)である西峰に登らなければなりません。平均斜度65度の雪と氷の壁です。65度というと三角定規の60度を想像してたいした傾斜ではないように思うかもしれません。実際に登るときには垂直に見えます。前を登っている人は靴底とお尻しか見えません。
ここで、中島さんと井垣さんは登頂をあきらめました。中島さんは、2日に西峰へ少し登った標高6300mの氷河最上部からスキー滑降をしました。刈谷さんがそれをビデオで撮影しました。
3日に一次隊は氷壁とナイフリッジ(ナイフの刃のように幅が狭い稜線)をよじ登って西峰に登頂し、ラトナチュリ側へ少し下ったところに建設されたC2へ到着しました。翌日は登頂を目指します。
【写真】ABCへのハイキング。ピークは西峰と本峰
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