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半世紀以上の登山歴を持つ竹村義仁さん(高知市)が、山や自然から学び考えたことを一歩、一歩記していきます。
第2次隊登頂隊の挑戦
私たちは全員登頂を目指していたので、第1次隊に続いて第2次隊も挑戦します。しかし、支援をしてもらうはずのハイポータが休養のためベースキャンプへ戻ってしまいました。いくら屈強なハイポータでも、2回も続けて登頂することは無理なのです。ちょっと計画が甘かったようです。
第2次登頂隊員のうち、入交さんは高山病がどうしても抜けなくてC1まで登って断念。市村さんもC1から西峰の氷壁を見て断念してしまいました。ヒマラヤに何度か登ったベテラン登山家が撤退を決めたのに、深田さんと私は(愚かにも)頂上を目指すことにしました。
10月8日に、2人のハイポータとともにC1に入り、9日に西峰(6804m)によじ登って、そのすぐ先にあるC2に入りました。深田さんも私も疲れきっていて、私は自分でアイゼンが脱げないほどでした。
深田さんは、C2からラトナチュリを眺めて「とても自分には登れない」と判断してあっさり登頂をあきらめてしまいました。あきらめの悪い私は、「明日休養すれば登れる」と思ってしまいました。
高約6800mのC2では呼吸が苦しく、咳が激しく出ました。寝ようと思って横になると息ができなくなります。体を起こせば多少はましです。つらい一夜でした。
0日になってやっと登頂をあきらめました。ここでもし高山病で倒れたら、ヘリコプターを呼ぶことも、背負って降りることもできないから、みんなに迷惑をかける。それが登頂をあきらめた理由でした。自分ではまだ登れると思っていました。実際には、登頂するだけの体力はもうなかったのですが、判断力が鈍っていたのです。
11日の夕方に意気消沈してABCへ戻ってきました。ABCで私の帰りを待っていた中島さんは、あまりに遅いので心配して途中まで迎えに来てくれました。ベースキャンプでも「竹村が戻らない」と皆で心配していたそうです。
私は無事に下山しましたが、深田さんは手の指が軽い凍傷になってしまいました。さすがに7000mは、生易しいものではありませんでした。
れで登攀活動は終了しましたが、結局、登頂に成功したのは2人だけでした。
もしも、全員が登頂できていたら「なんじゃぁ、易しい山だったのか」と思われてしまいます。誰も登頂できなければ、「それみたことか。無謀なことをやって」とバカにされます。
「2人が登頂に成功し、3人が西峰に登った。スキーもできた」というのは大成功だった、と自画自賛しています。
まぁ、とりあえず良かった良かった。
【写真】西峰から見るラトナチュリ
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