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半世紀以上の登山歴を持つ竹村義仁さん(高知市)が、山や自然から学び考えたことを一歩、一歩記していきます。
山に神はいるのか
京都のさわたりさんからいくつか質問をいただきました。お返事が大変遅くなってすみません。お答えします。
▲『山に登ったら何が見えるか』
ラトナチュリの西峰に登ったときには、南の方はヒマラヤの白銀の峰々、北にはチベットの赤茶けた高原が、それぞれどこまでも広がっているのが見えました。その白と黒との世界は、神仏が住み給うところだと思いました。
そうです。山に登ったら神が見えるのです。
あいにく、まだ拝謁を賜ったことはありませんが。
▲『登山中は何を考えているのか』
京都に哲学の道というのがありますね。登山道はどこでも哲学の道です。私は、登山中はいつも哲学をやっています。
もっとも、西田幾太郎のような立派な人間にはついぞなれませんでしたね。どこが違うのかなぁ。
▲『怖くはないのか』
大声を出して叫んでも誰にも聞こえない。そんな山中に独りぽつねんといることが良くあります。山は孤独なものです。ラトナチュリでは氷壁をピッケルとアイゼンでよじ登りました。
下は千尋の谷です。山では生と死は隣り合わせです。しかし、山で怖いと思ったことはあまりありません。いつも神仏の加護があるからです。
▲『山の神様は本当にいるのか』
私のブログにはいろいろ神がかったことを書いているので、怪しげな新興宗教の教祖ではないかと思われた方もいるかもしれません。
そのとおりです。私は、信仰は尊いものであり、人は誰も信心を持つべきだと思っています。ただ、宗教となると、世界のどの宗派も嫌いです。
念のために言っておきますが、尊敬できる立派なお坊さんや神父さんをたくさん知っています。しかし、宗教という団体となると何教であれ、その本来の姿を失っていると思っています。が、その話はこのブログの趣旨ではないのでやめておきます。
山に神様は確かにおいでになります。ただ、「困ったときの神頼み」といいますが、山の中で何か困ったことがあっても決して助けてくれません。あてにしないように。しょうがないから、死に物狂いになってあれこれやって、「あぁあ、あたしももうここで終わりか」と覚悟を決めてふと見ると、目の前に自分の生きて行くべき道が見えるのです。
神は人を助けはしないが、覚悟決めたものを見殺しにもしないのです。
もしも、生きることが辛いとか虚しいと思う方がいたら、自然教登山宗にぜひお入りください。必ず救われます。
あ、こういうの嫌いですか。
【写真】 チベット高原
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竹村さん
お返事ありがとうございます。
ナルホド、そういえば私の周りにも神様はぎょうさんいてはります。
師走の澄んだ青空
朝日を受けて輝く夜露
寒風を受けてなびく桂川の枯れススキ
粛として境内に飾られた門松
雪に包まれた比叡山
万里の霊峰も、千尋の谷もない平坦な近畿ですが、
歩を進めていると、たまぁに神様に出会う時があります。
…事故の時に、私、神様に邂逅したのかもしれません。
神様に出会えるなんてラッキー♪
生きててラッキー♪
人との巡り合わせも神様の采配。
高知と京都じゃ一生存在すら知らなかったかもしれませんね。
出会えた事に感謝して…
神様、竹村さんにも天の巡り合わせを!
来年もご健康で益々のご活躍をお祈りしています。
良いお年をお迎えください。
あけましておめでとうございます。
今朝の新聞に、高新大賞に選ばれた事が
書かれていました。おめでとうございます。
竹村さんのブログを
いつもワクワクしながら読んでいます。
私は山に登ったことがないですが、
「山に神はいる」という事、少し分かるような
気がします。人生の中で、覚悟を決めた時に
ふと行く道が見えるってことありますよね。
私も、自然教登山宗に入信できるでしょうか。(^^)