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半世紀以上の登山歴を持つ竹村義仁さん(高知市)が、山や自然から学び考えたことを一歩、一歩記していきます。

 

2009年3月アーカイブ

A071209006 遠征中やその準備中に、みなで話し合いをしていて紛糾する場面が良くありました。「それはまずいこうやれ」「そんなもんいくか」あーだこーだと、なかなか決着がつきません。

前に決めていたものをひっくり返すこともしばしばありました。ふだんの登山と違い遠征では各人の思い入れが強くあり、厳しい環境にさらされていると自我が出てしまいがちです。そのため、絶えずもめるのです。

結論が出ない時、その担当者がたまりかねて「最後には俺が決めて良いんじゃろ」と言い「うん、良い。あんたが決めや」で決着がつくことがありました。

登山の世界には「リーダー決定」というものがあります。

メンバーの中でリーダーのみが決定権限を有しており、独裁的に決めることができます。その独裁者にたてつくものが必ずいますが、ともかく決定権は1人にしかありません。リーダーは時に臨んで伝家の宝刀を抜くことができるのです。

今回の遠征では、わずか9人の隊員の中で総隊長・隊長・副隊長(2名)と、4人もの役職があり、そのほかに、食料係、装備係、会計係などの各担当者も決めていました。各人はそれぞれの担当部門でリーダーであり、決定権を有しています。

私が子供のころ、終戦直後で(むろん、大化の改新ではなくて第2次大戦ですぞ)、「いままでの日本は封建社会であり悪である、これからはなにごとも民主主義で行かなければならない」といった風潮がありました。

子供の遊びも、それまではガキ大将がすべて決めていました。それは封建制であるから、民主主義で決めようということになりました。

しかし私は「民主主義は悪である」と言っていました。この場合の民主主義とは多数決のことです。

Aちゃんはパン(メンコ)をやりたいと主張し、Bちゃんはびんだま(ビー玉)をやろうという。Cちゃんは別にどっちでも良い。この場合、Cちゃんの意向で全てが決まってしまいます。

そこでAちゃんは「おい、俺の言うことを聞かんとどうなるかわかちゅうろうなぁ」と恐喝にかかり、Bちゃんは「あんたの好きなびんだまをやるけに」と買収にかかります。どうでもよいCちゃんは、客観的に物事を判断することなく、恐喝に屈するか、買収に負けてしまいます。ようするに利己的になるのです。

ここにガキ大将がいれば、いろいろなことを総合的に判断して決断します。例えば、今日はメンコをやることに決め、Aのメンコを1枚取り上げてBに与えます。

そういう強権的でかつ誰もが(しぶしぶでも)納得する決断は独裁者でなければできないのです。腕力だけでは、ガキ大将として君臨できません。

私は、独裁制でもない多数決でもない、より望ましい決定方法はないだろうかと考えていて、一つの方式に思い当たりました。

それは「みなで話し合って1人が決める」というものです。アイデアを出す段階ではできるだけ多くの人が参加する方がよい。

しかし、決断するときには、責任者1人が決めるのがよい。多数決では誰もが無責任になってしまいます。

登山では案外これが守られています。激しくけんかをするが、最後にはすんなり収まるところに収まっています。独裁者もその山行が終わればただのひとになるので腐敗も起こりません。けっこうおもしろい世界です。

今回の遠征隊員は昔から登山をやっているものばかりなので、そういう古い習慣がまだ残っていたのでした。

【写真】トレーニングでのミーティング

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IMG_3570 写真展会場で聞かれた二つ目に多い質問は、ヒマラヤの麓に住む人たちの暮らしぶりでした。

私たちがキャラバンで通った最後の集落がプーガオンです。何でも、ネパール政府がここに住んでいる人たちがいることを掌握したのはほんの数十年前のことだそうです。

つまり、ここは独立した国だったのでしょう。発見された当初は外国人立ち入り禁止になっていたようです。そういう僻地であり、人間が生きていける限界の地です。

プーガオンには30世帯ほどの人たちが住んでおり、農業と牧畜で生計を支えています。私たちが見た農作物は麦で、急な断崖の上に段々畑を築いています。

千枚田どころではないので「なんまいだ、万枚田」とふざけていました。ちょうど麦の取り入れの時期で、小さい子供達まで大きな麦の束を背負って断崖を降りてきていました。
足下がずるずるとずり落ちるザレ(砂礫地)の急崖をすたすたやってくるのにはビックリしました。

牧畜はヤクや羊を見ました。かわいらしい女の子が羊の群れを追っていました。ここの子ども達はみな働き者です。

プーガオンは標高約4000メートルですが、標高5200メートルのベースキャンプあたりまでヤクが登ってきていました。

私たちなら2日かかるその距離が彼らの生活圏になっているようです。ベースキャンプへプジャ(お祈り)に来てくれたお坊さんといっしょに小さい女の子が遊びにきてくれました。じいちゃんは馬に乗って、孫は歩かしているのです。

集落の上流にある丘の上に壮大なチベット仏教の寺院があります。このような立派な寺院はカトマンズ以外では見ていません。私たちが訪れたときには数人の尼さんがここを守っていました。グーグルアースに載っているプーガオンはこの寺院を指しています。

ここの人たちが何を食べているのかよく知りませんが、私たちが高山病に倒れて民宿した時には、ネパールの定番料理「ダルバート」が出ました。ごはん(私たちが言うところの外米)に豆のスープと、おかずが1品ついたものです。

このあたりに水田はなかったので、私たちのために構えたのでしょう。牛乳のような飲み物もいただきました。

集落の対岸にキャンプ場があります。トレッキング(ヒマラヤの麓歩き)のメインルートではないのですが、シーズンにはトレッカーがぽつぽつやってきます。私たちもキャンプ料を支払いました。そういった現金収入は多少あるのでしょう。

プーガオンの集落は、日本なら一雨来たら崩れてしまいそうな脆い崖の上にあります。さすがに崖の端にある家には(遠くから見ると)人が住んでいる様子ではありませんでした。
家は全て石造りです。石で壁を築きそのすき間に土を詰め、屋根は木を何本も渡して土を詰めています。その辺りには大きな木は全くないので、建築材や燃料にする木ははるか遠くから運んできたのでしょうか。

中にぽつぽつ太陽電池パネルを載せている家があり、照明に使っていました。村長宅には衛星電話機があって、総隊長がそれを借りて日本の留守本部と連絡を取りました。

冬にはそこに暮らせなくて、もう少し標高の低いところへ移動するそうです。なかにはカトマンズまで行く家族もいるそうです。だんだんと、独立国としての様子は薄れて、都会化しているのでしょう。よそ者の思いとしては寂しい限りです。

隊員の誰もが、この村にはもう一度行ってみたい、あの子どもたちに会いたいと思っています。良いところです。

【写真】プーガオン

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