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プーガオン
写真展会場で聞かれた二つ目に多い質問は、ヒマラヤの麓に住む人たちの暮らしぶりでした。
私たちがキャラバンで通った最後の集落がプーガオンです。何でも、ネパール政府がここに住んでいる人たちがいることを掌握したのはほんの数十年前のことだそうです。
つまり、ここは独立した国だったのでしょう。発見された当初は外国人立ち入り禁止になっていたようです。そういう僻地であり、人間が生きていける限界の地です。
プーガオンには30世帯ほどの人たちが住んでおり、農業と牧畜で生計を支えています。私たちが見た農作物は麦で、急な断崖の上に段々畑を築いています。
千枚田どころではないので「なんまいだ、万枚田」とふざけていました。ちょうど麦の取り入れの時期で、小さい子供達まで大きな麦の束を背負って断崖を降りてきていました。
足下がずるずるとずり落ちるザレ(砂礫地)の急崖をすたすたやってくるのにはビックリしました。
牧畜はヤクや羊を見ました。かわいらしい女の子が羊の群れを追っていました。ここの子ども達はみな働き者です。
プーガオンは標高約4000メートルですが、標高5200メートルのベースキャンプあたりまでヤクが登ってきていました。
私たちなら2日かかるその距離が彼らの生活圏になっているようです。ベースキャンプへプジャ(お祈り)に来てくれたお坊さんといっしょに小さい女の子が遊びにきてくれました。じいちゃんは馬に乗って、孫は歩かしているのです。
集落の上流にある丘の上に壮大なチベット仏教の寺院があります。このような立派な寺院はカトマンズ以外では見ていません。私たちが訪れたときには数人の尼さんがここを守っていました。グーグルアースに載っているプーガオンはこの寺院を指しています。
ここの人たちが何を食べているのかよく知りませんが、私たちが高山病に倒れて民宿した時には、ネパールの定番料理「ダルバート」が出ました。ごはん(私たちが言うところの外米)に豆のスープと、おかずが1品ついたものです。
このあたりに水田はなかったので、私たちのために構えたのでしょう。牛乳のような飲み物もいただきました。
集落の対岸にキャンプ場があります。トレッキング(ヒマラヤの麓歩き)のメインルートではないのですが、シーズンにはトレッカーがぽつぽつやってきます。私たちもキャンプ料を支払いました。そういった現金収入は多少あるのでしょう。
プーガオンの集落は、日本なら一雨来たら崩れてしまいそうな脆い崖の上にあります。さすがに崖の端にある家には(遠くから見ると)人が住んでいる様子ではありませんでした。
家は全て石造りです。石で壁を築きそのすき間に土を詰め、屋根は木を何本も渡して土を詰めています。その辺りには大きな木は全くないので、建築材や燃料にする木ははるか遠くから運んできたのでしょうか。
中にぽつぽつ太陽電池パネルを載せている家があり、照明に使っていました。村長宅には衛星電話機があって、総隊長がそれを借りて日本の留守本部と連絡を取りました。
冬にはそこに暮らせなくて、もう少し標高の低いところへ移動するそうです。なかにはカトマンズまで行く家族もいるそうです。だんだんと、独立国としての様子は薄れて、都会化しているのでしょう。よそ者の思いとしては寂しい限りです。
隊員の誰もが、この村にはもう一度行ってみたい、あの子どもたちに会いたいと思っています。良いところです。
【写真】プーガオン
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はじめまして、ではありませんが・・
竹村さんに一度お会いしたことがあります。
今まで山登りにはご縁がなく正直、関心すらありませんでした。プーガオンの写真は世界史の教科書にでてるような感じで本当にこんな景色があるのかしら・・と驚きました。では、また これを機会に色々な素晴らしい世界をみせてください。
キスリング。懐かしいですね、古い写真は全部此、パッキングに苦労した思い出が有ります。若かりし頃、鷲尾山岳会冬期石槌山合宿訓練の帰り、「いつも帰りは、アイゼンを着用し駆け足」でバランス感覚を養う訓練をしていました。私はいつも「アルミの背負子」でキスリング「個人装備」と氷でガチ々になった「蒲鉾」テント一式の運搬専門でした。何と下りカーブで背負子の肩バンド取り付け部分が、一本切れて5~6㍍転落、体が一回転してテントの上に乗った状態で、雪に埋もれて怪我一つ無し、幸運でした。後ろのA君が、先行の仲間に大声で一言「浩介が消えた」しっかり聞いていました。岩を飛び越していましたので私が見えなかったでしょう。私も道にはい上がるまで「何が起こったのか理解できませんでした」結局キスリングの肩ベルトを利用して、下山した思い出が有ります。