ホーム > ユニーク土佐人ブログ > 山に聞く
キスリング
明治40年に陸軍陸地測量部の芝崎芳太郎たちが、当時未踏峰とされていた剣岳(富山県)に三角測量のために登頂する物語です。映像が大変美しい作品でした。
登山家にはバカな習性がありまして、芝崎がキスリングザックを背負っているシーンを見て思わず「そりゃ違うだろうが」と言ってしまいました。
キスリング(Kissling)とは、帆布でできた大型のリュックサックです。スイス、グリンデルヴァルトの馬具職人 ヨハネス・ヒューフ・キスリングが作ったものを、昭和4年に登山家の槙有恒と松方三郎が持ち込んで、日本ではこの名が定着しました。
キスリングさんがこのリュックサックを発明したわけではありませんし、キスリング製以外のものも含めてこのタイプをキスリングと言っていました。
ちなみに、明治後期に陸軍で使われていた背嚢(はいのう)は、木の枠に布を張り、その上に皮を張った箱型のリュックサックだったそうです。あいにく私は当時徴兵を受けていなかったのでこれは使っていません。陸軍でも布製のリュックサックが使われるようになるのは昭和に入ってからのようです。
柴崎と先陣争いをする山岳会の小島烏水が石油コンロを自慢するシーンがあります。このコンロはスベア123という製品で、実は私も使っていました(燃料はガソリン)。
冬山のビバーク(野宿)では頼もしい"仲間"でした。むろん、小島と同じ頃に買ったわけではありません。1世紀も続いているロングラン商品です。
キスリングの件はご愛敬ですが、この映画、および原作の小説(新田次郎著)は史実とは違った部分がいくつかあります。(その詳細は登山雑誌「山と渓谷」6月号に載っています)
このとき、山案内人の宇治長治郎は実際には登頂しませんでした。芝崎の記録には、「氏名不詳とせし男」が途中で「落伍した」とあるそうです。
長治郎は、彼の信仰心から禁忌の山に登ることをためらったのです。
「氏名不詳の」ではない「とせし」に芝崎の心情がにじんできます。
また、小島烏水は、この5年前に槍ヶ岳に登頂し、日本の近代登山を切り開いた人ですが、剣岳にはついぞ登りませんでした。測量隊と山岳会との先陣争いはそもそも無かったのです。
芝崎らの登頂から2年後に山岳会の吉田孫四郎たちが剣岳に登頂し、長治郎の功績をたたえて、彼が案内をした谷を長治郎谷と命名します。
氏名不詳とせし男が日本を代表する山岳ガイドの1人になったのです。私は吉田の行為にこそ感動を覚えます。
明治35年、小島烏水が槍ヶ岳に登ろうとしているときに父親から激しい叱責を受けます。
男たるもの、己の職務のために命を賭すのは当然である。しかし、遊びごときで危険を冒すとは何事だ。と
私も、人間はその本職においてこそ、社会に貢献するべきものだと思います。
芝崎芳太郎は測量官として、宇治長治郎は山案内人として、あたりまえの仕事をただあたりまえにこなしただけですが、それが後々の人々に感動を湧かせます。
【写真】キスリングザックとスベア123
気に入ったら押してください→人気ブログランキングへ
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: キスリング
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://blog.kochinews.co.jp/blog/mt-tb.cgi/3887


コメントする