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ヒマラヤ登山の最近のブログ記事
今回は「内助の功の嫁さんも呼ぼう」ということになり、入院中の深田さんをのぞく8人の隊員とその夫人、留守本部の3人が参加しました。例によって賑やかで楽しい「おきゃく(宴会)」になりました。
内助の功ということで私の女房も話題に載りました。私がヒマラヤへ行こうかどうしようかと迷っている時に、女房がへそくりを出した、という話が高知新聞に載っていたのです。
じつは、女房にはたいへん親しい友達がいまして、その彼女は生命保険の外交員をやっています。
喧噪のカトマンズ、緑豊かなトレッキング街道、荒々しい大峡谷、地上の楽園プーガオン、ベースキャンプに広がる紺碧の空、神々しい白銀の山々…。
楽しくて、しんどかった日々をいま思い出しています。夢のようです。
これでラトナチュリ遠征隊は解散します。
たくさんの方々に支援していただきまして誠にありがとうございました。おかげて、赤字も出さず事故もなく、無事に全ての行事を終えることができました。
深田は順調に回復しており、押岡の凍傷も良くなりました。みなさん、どうもありがとうございました。
何人かが「次はマナスルへ行くぞ」と言っています。むろん、冗談ですが…。
【写真】2月19日の祝賀会
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写真展会場で聞かれた二つ目に多い質問は、ヒマラヤの麓に住む人たちの暮らしぶりでした。
私たちがキャラバンで通った最後の集落がプーガオンです。何でも、ネパール政府がここに住んでいる人たちがいることを掌握したのはほんの数十年前のことだそうです。
つまり、ここは独立した国だったのでしょう。発見された当初は外国人立ち入り禁止になっていたようです。そういう僻地であり、人間が生きていける限界の地です。
プーガオンには30世帯ほどの人たちが住んでおり、農業と牧畜で生計を支えています。私たちが見た農作物は麦で、急な断崖の上に段々畑を築いています。
千枚田どころではないので「なんまいだ、万枚田」とふざけていました。ちょうど麦の取り入れの時期で、小さい子供達まで大きな麦の束を背負って断崖を降りてきていました。
足下がずるずるとずり落ちるザレ(砂礫地)の急崖をすたすたやってくるのにはビックリしました。
牧畜はヤクや羊を見ました。かわいらしい女の子が羊の群れを追っていました。ここの子ども達はみな働き者です。
プーガオンは標高約4000メートルですが、標高5200メートルのベースキャンプあたりまでヤクが登ってきていました。
私たちなら2日かかるその距離が彼らの生活圏になっているようです。ベースキャンプへプジャ(お祈り)に来てくれたお坊さんといっしょに小さい女の子が遊びにきてくれました。じいちゃんは馬に乗って、孫は歩かしているのです。
集落の上流にある丘の上に壮大なチベット仏教の寺院があります。このような立派な寺院はカトマンズ以外では見ていません。私たちが訪れたときには数人の尼さんがここを守っていました。グーグルアースに載っているプーガオンはこの寺院を指しています。
ここの人たちが何を食べているのかよく知りませんが、私たちが高山病に倒れて民宿した時には、ネパールの定番料理「ダルバート」が出ました。ごはん(私たちが言うところの外米)に豆のスープと、おかずが1品ついたものです。
このあたりに水田はなかったので、私たちのために構えたのでしょう。牛乳のような飲み物もいただきました。
集落の対岸にキャンプ場があります。トレッキング(ヒマラヤの麓歩き)のメインルートではないのですが、シーズンにはトレッカーがぽつぽつやってきます。私たちもキャンプ料を支払いました。そういった現金収入は多少あるのでしょう。
プーガオンの集落は、日本なら一雨来たら崩れてしまいそうな脆い崖の上にあります。さすがに崖の端にある家には(遠くから見ると)人が住んでいる様子ではありませんでした。
家は全て石造りです。石で壁を築きそのすき間に土を詰め、屋根は木を何本も渡して土を詰めています。その辺りには大きな木は全くないので、建築材や燃料にする木ははるか遠くから運んできたのでしょうか。
中にぽつぽつ太陽電池パネルを載せている家があり、照明に使っていました。村長宅には衛星電話機があって、総隊長がそれを借りて日本の留守本部と連絡を取りました。
冬にはそこに暮らせなくて、もう少し標高の低いところへ移動するそうです。なかにはカトマンズまで行く家族もいるそうです。だんだんと、独立国としての様子は薄れて、都会化しているのでしょう。よそ者の思いとしては寂しい限りです。
隊員の誰もが、この村にはもう一度行ってみたい、あの子どもたちに会いたいと思っています。良いところです。
【写真】プーガオン
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転落を防止するためにザイル(綱)を使います。普通は2人が一組になって、1人が登攀している間、他方が確保しています。
いま登攀しているものをクライマー、確保しているものをビレイヤーと言います(トップ、セカンドともいう)。
クライマーは自身の安全ベルトにザイルの一端を結び、そのザイルはアンカー(確保支点)を通してからビレイヤーが保持します。
アンカーとは、氷や雪に打ち込んだ大きな釘(アイスハーケン)です。
雪の場合にはスノーバーと呼ぶアルミのL型アングルをハンマーで打ち込み、氷の場合はねじ込み式のアイススクリューを使います。
アイススクリューはパイプにねじを切ったようなもので、回転させることによって氷の中に喰い込んでいきます。
クライマーは適宜アンカーを打ち込み、それにザイルを通しながら、よじ登ってゆきます。
もし、クライマーが墜落したときは、ビレイヤーが素早くザイルを保持します。折り返した2本のザイルを手で掴んだりビレイ器具を使って、ザイルが流れ出て行くのを止めます。
クライマーは、直近のアンカーから先に伸びたザイルの長さ分だけ転落しますが、それ以上の墜落を免れます。ビレイヤーも自身が転落するのを防ぐために、近くに取ったアンカーと自身の安全ベルトをあらかじめつないでおきます。
クライマーがザイル1本の長さを登攀すると、最後のアンカーにロープを固定します。この固定するロープは登攀に使用するザイルとは別の種類の綱を使います。登攀用のザイルは、強い衝撃が加わると伸びるタイプです。
伸びることによって、アンカーやクライマーに加わる衝撃を和らげます(手で引っ張ってびゅーんと伸びるわけではない)。固定用のロープは衝撃によって伸びないタイプの綱です。
固定ロープが取り付けられると、2番目以降の者はアセンダー(登行器)を使って登ってゆきます。アセンダーとはロープに取り付ける器具で、上方には移動するが下方には移動しない構造になっています。アセンダーは自分の安全ベルトにつないでいるので、転落を免れます。
ヒマラヤでの登攀では、高度順化や荷揚げ(登攀器具やテント食料などの運び上げ)をするため、何度も登ったり下ったりをしなければなりません。それで、ロープは固定したまま置いておきます(登山活動が終了する最後に回収する)。したがって、固定ロープはたくさんの数(長さ)が必要になります。
今回のラトナチュリではカチンカチンに凍った硬い氷(ブルーアイス)は少なく、氷壁といっても雪が固まったもので、アックスやアイゼンがビシビシ効くので、雪壁よりもむしろ登りやすいものでした。
しかも、登攀活動(固定ロープを取り付ける作業)の大部分はハイポーターがやってくれました。私がやったのはアセンダーを使って固定ロープを登るだけでした。つまり、上記の登攀行動はあくまで解説です。はい。
【写真】 スノーバー(左)、アイススクリュー(中)、アセンダー(右)
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写真展にはたくさんの方においでいただきまして誠にありがとうございました。
テレビや新聞でだいぶ報道されたので、皆さん関心も高く、来場者も多かったようです。
「すごいことをやりましたねぇ」とお褒めの言葉もたくさんいただきました。たいへん恐縮しています。私たちは、チンタラチンタラとただ珍道中をやっていただけで、そんなたいそうなことはやっていないのですがねー。
会場で応対していて、良く受けた質問は、ヒマラヤ山麓に住む人たちの暮らしと、氷壁登攀(とうはん)技術に関するものでした。
ここでは、「どうやって氷や雪の壁をよじ登るのか」という疑問にお答えします。
垂直に近い氷の壁をよじ登るには、アックスとアイゼンを使います。アックスとは、柄の短いピッケルだと思ってもらえばよいでしょう。普通は両手に持つので片手にピッケル、他方にバイルを持ちます。
バイルとは、頭部に鳶口のような尖ったもの(ピッケルと同じ)とハンマー(金槌)がついたものです。ハンマーはアイスハーケン(氷釘)を打ち込むときに使います。鳶口は氷壁に打ち込んで手がかりを得るために使います(いずれも同じものだが、ピッケルと(アイス)バイルを総称して(アイス)アックスという)。
アイゼンは登山靴に取り付ける鋼鉄爪です。垂直の氷壁をよじ登るときには、つま先に4本の爪が飛び出したタイプを使います。これを前爪(俗に出っ歯)といいます。
両手のアックスと両足のアイゼンで、X型になって氷の壁に取り付きます。アックスの鳶口を氷面にしっかり打ち込み体を支えている間に、アイゼンの前爪を蹴り込んで数歩よじ登ります。
次は手を1本ずつ動かしてさらに高い位置にアックスを打ち込みます。この動作を繰り返して氷壁をよじ登ってゆきます。
【写真】写真展に展示した登攀用具。ピッケル(左)、アイゼン(中)、バイル(右)
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らんたんさんがコメントをつけてくださっているように、私たちラトナチュリ遠征隊は第16回高新大賞をいただきました。高新大賞とは、財団法人・高知新聞厚生文化事業団が高知県民を元気づけるような活動をした個人や団体に毎年贈っている賞だそうです。
そんなたいそうな活動をしたわけではないのですが、まぁ「県民を元気づけるような」ことには、多少なりともなったのでしょうか。もし、そうであれば良いのですが。
今回、「平均年齢64歳」がずいぶんと話題になりしまた。「還暦を過ぎてもなお果敢に挑戦する姿が多くの県民を元気づけた」と評価していただきました。ただ、あまり年齢には関係ないと思います。
歳は取っても、日頃からこつこつトレーニングを積んでおり、良い仲間と優れたハイポータに恵まれれば、ヒマラヤの易しい方の山ならば誰でも登れます。ヒマラヤと一口に言っても、K2のような難しい山からエベレストのような?易しい山までいろいろあります。「なぁに、エベレストなんて、ありゃぁ観光地だよ」と私たちはふざけています。
ただ最近のヒマラヤは、地球温暖化のせいでしょうか、氷河や雪が少なくなって登攀が難しくなっています。ラトナチュリも1996年の信州大学隊の時よりも難しくなっていました。
また、私たちがやったオーソドックスなポーラーメソッド(極地法)登山は、今どきはやりません。大勢のポーターを雇って何日もかけてキャラバンをするような形態は古いのです。最近は、手近の山で高度順化をやっておいて、ヘリコプターで一気にベースキャンプへ入る、といったアルパインスタイル登山が主流です。私たちには、それをやるだけの体力がなかったのです。
1月20日に高知市内のホテルで表彰式がありました。うれしいことに、リハビリ中の深田さんも出席できました。奥さんに付き添ってもらって杖をつきながら、自力で歩けるようになっています。
「やったぁ。良かった」と、皆で大喜びをしました。「杖じゃなくてピッケルがいるろがよ」とか、(釣りもやるので)「竿の方がえいぞ」などと、もう混ぜっ返しています。
副賞として100万円をいただきました。これは高知県山岳連盟へ寄付して海外遠征基金にしようという話になっています。遠征費用の方は大勢の方からご寄付をいただいて、何とか足を出さなくてすみました。誠にありがとうございました。
帰国直後の記者会見で山本さんは、(思わず)「次はマナスルへ行きたい」と言ってしまいました。キャラバンの帰路に雄々しいマナスルを眺めて「あーぁ、あれに登りたいものだ」と皆で話しました。
記者の質問でついうっかり出てしまったのでしょう。カトマンズでは地図を買っていたのでまんざらでもなかったかもしれませんが。 私はもう二度と行くつもりはなかったのですが、いつもの登山がそうであるように、今はまた行きたいと思うようになっています。
意欲は大いにありますが、ただ、先立つものがないので、もうちょっとむりですね。 ひゃくまんえん、ちょうだい。
【写真】賞状を持ってるのが私。金一封の方が良かったなぁ。
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