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なぜ山に登るかの最近のブログ記事
私が昔に作った俳句を一つご披露します。
『岳人と我が名呼ばれん雪しぐれ』 ぶしょう
雪時雨が降りしきる中を、俺は大きなザックを背負い、雪山を目指して歩いて行く。村人が立ち止まりふり返る。いやぁ、あの人は登山家なのだ。すごいなぁ、あの高く厳しい白銀の頂きを目指して登ってゆくのだ。勇気があるなぁ、と、羨望の眼差しで俺を見ている。どうだ。
「え? なに あれ? 山男? ばっかじゃなかろうか。今時分に山へ行くなんて。気違い沙汰だよ。ったく。遭難でもしてみろ。駆り出されるのは地元のものだ。ちったぁ、ひとの迷惑も考えろ。バカが」
私は村人の尊敬を全身に浴びながら、ただ独りはるか遠くの高みを目指す。これが私の崇高な使命なのだ。行かねばならない。
岳人と我が名呼ばれん雪しぐれ
【写真】雪の舞う山里
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明治40年に陸軍陸地測量部の芝崎芳太郎たちが、当時未踏峰とされていた剣岳(富山県)に三角測量のために登頂する物語です。映像が大変美しい作品でした。
登山家にはバカな習性がありまして、芝崎がキスリングザックを背負っているシーンを見て思わず「そりゃ違うだろうが」と言ってしまいました。
キスリング(Kissling)とは、帆布でできた大型のリュックサックです。スイス、グリンデルヴァルトの馬具職人 ヨハネス・ヒューフ・キスリングが作ったものを、昭和4年に登山家の槙有恒と松方三郎が持ち込んで、日本ではこの名が定着しました。
キスリングさんがこのリュックサックを発明したわけではありませんし、キスリング製以外のものも含めてこのタイプをキスリングと言っていました。
ちなみに、明治後期に陸軍で使われていた背嚢(はいのう)は、木の枠に布を張り、その上に皮を張った箱型のリュックサックだったそうです。あいにく私は当時徴兵を受けていなかったのでこれは使っていません。陸軍でも布製のリュックサックが使われるようになるのは昭和に入ってからのようです。
柴崎と先陣争いをする山岳会の小島烏水が石油コンロを自慢するシーンがあります。このコンロはスベア123という製品で、実は私も使っていました(燃料はガソリン)。
冬山のビバーク(野宿)では頼もしい"仲間"でした。むろん、小島と同じ頃に買ったわけではありません。1世紀も続いているロングラン商品です。
キスリングの件はご愛敬ですが、この映画、および原作の小説(新田次郎著)は史実とは違った部分がいくつかあります。(その詳細は登山雑誌「山と渓谷」6月号に載っています)
このとき、山案内人の宇治長治郎は実際には登頂しませんでした。芝崎の記録には、「氏名不詳とせし男」が途中で「落伍した」とあるそうです。
長治郎は、彼の信仰心から禁忌の山に登ることをためらったのです。
「氏名不詳の」ではない「とせし」に芝崎の心情がにじんできます。
また、小島烏水は、この5年前に槍ヶ岳に登頂し、日本の近代登山を切り開いた人ですが、剣岳にはついぞ登りませんでした。測量隊と山岳会との先陣争いはそもそも無かったのです。
芝崎らの登頂から2年後に山岳会の吉田孫四郎たちが剣岳に登頂し、長治郎の功績をたたえて、彼が案内をした谷を長治郎谷と命名します。
氏名不詳とせし男が日本を代表する山岳ガイドの1人になったのです。私は吉田の行為にこそ感動を覚えます。
明治35年、小島烏水が槍ヶ岳に登ろうとしているときに父親から激しい叱責を受けます。
男たるもの、己の職務のために命を賭すのは当然である。しかし、遊びごときで危険を冒すとは何事だ。と
私も、人間はその本職においてこそ、社会に貢献するべきものだと思います。
芝崎芳太郎は測量官として、宇治長治郎は山案内人として、あたりまえの仕事をただあたりまえにこなしただけですが、それが後々の人々に感動を湧かせます。
【写真】キスリングザックとスベア123
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最近はなくなりましたが、昔は「どうして山に登るのか」とよく聞かれたました。
釣りなら晩飯のおかずができる。パチンコなら景品がもらえる。登山はただしんどい思いをするだけで何も得るところがないじゃないか。そのあたりに疑問があるようでした。
そういう質問をされても、相手を納得させられるような名答や、登るための明確な目的を持っていたわけではありません。ただ、山に登る動機はありました。
私が生まれたのは、上半山村杉ノ川(現:高岡郡津野町)で、周りを山に囲まれた谷底で暮らしていました。視界を遮っている山の向こうに何があるのか、大いに興味をそそられました。ある時、母に聞きました。
「お母ちゃん、あの山の向こうは、どがなく?(どんなところ?)」 母はめんどくさそうに答えた、「あっちはおおのみよね」 「ほんならこっちは」 「こっちはちょうじゃよね」。私は南の山の向こうには大きなノミが住んでおり、北の山の向こうには長い蛇が住んでいるのだと思いました。
朝な夕なに、わが村の最高峰・鶴松ノ森(1100m)を仰ぎながら、「いつの日にか、いつの日にか、あの頂に登ろう。そして、まだ見ぬ世界を見に行こう」。そう思っていたものでした。
転機は小学生の時に訪れました。担任の先生に連れられて梶ヶ森に登りました。そこで生まれて初めて雲海を眺めました。人間は努力次第では雲の上に登ることもできるのだと、その時初めて知りました。それが登山を志すきっかけになりました。
しかし、登山について教えてくれる人も、技術書も用具も、地図さえもありませんでした。だから一人で山に分け入って、自ら道具を作り、自然から生きる力を学んだんです。なーんてのは大嘘だけど、まぁ小中学生の頃に野山で遊び回っていたことが自然から学ぶ多少の練習にはなっていたと思います。
タイトルの「山に聞く」とは、大自然から学ぼうという意味です。人間は自然の一部であり、自然の摂理に逆らっては生きていけない。自然の声を謙虚に聞き、己の人生に生かしていくことが必要になります。登山は哲学です。
私が山に登るのは、まだ見ぬ世界を眺め、山の話を聞くためです。
【写真】朝な夕なに、仰ぎ見たわが村の最高峰・鶴松ノ森
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